第七話 第一次クロクス会戦
アーベマフォン王国 エッシュ
エッシュ領主 執務室
「帝国が動いただと!?」
エッシュ領主は、その報告に声を荒げた。
何故なら、帝国がイーリスを占領してから一月と経って無かったからである。
本来であれば、都市一つを占領したなら新たな支配体制の確立等で数か月はかかるはずだからだ。
「で、帝国はどれだけ兵を動かしたッ!?」
「は…イーリスに駐留する中から、灰熊騎士団約8000です!!」
「は?」
領主は思わず、呆けた声を上げた。
基本的に兵の立てこもる城を落とすのには、”籠城している兵数の三倍の数”が必要とされていたからだ。
現在エッシュには、王都よりの援軍を含めて20000の軍勢が控えていた。
「おのれ……帝国の犬共めッ!! 我等にはその程度で十分だと言うのかッ!!!」
「りょ、領主様! 落ち着いてくださいッ!!」
「エッシュを落とすのに我が方の半分の兵力も要らぬと言うつもりかッ!! ふざけおってッ!!!」
領主は怒りに燃えながら、玉座から立ち上がった。
「私自ら、帝国の犬共を蹴散らしてくれるッ!! 出陣の用意をせよッ!!!」
「お、お待ちくださいッ!! 王都から…陛下からは、”エッシュを死守せよ”とのお達しが来ております!! ここは籠城に徹して、その後王都からの援軍を待ってから出陣でもよろしいのでは?」
「そんな惰弱な考えでは帝国の犬共どころか、王都の無能共にも何を言われたものか分かったものではないわッ!!!」
「し、しかしッ!!!」
「くどいぞッ!!!!! 出陣は決定事項だッ!!!!!」
エッシュ領主は出陣を決定すると、兵2000をエッシュの守備に残し、帝国軍の二倍以上の数である兵18000を引き連れて、エッシュの東”クロクス平原”に陣を敷いて帝国軍を待ち受けた。
ベルンシュタイン帝国 南方方面軍旗下、灰熊騎士団 兵数 8000
対するアーベマフォン王国 エッシュ駐留軍 兵数 18000
クロクス平原の東西に睨み合う様に陣取った両軍。
後の世で『第一次クロクス会戦』と呼ばれる戦いの幕が切って落とされようとしていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
帝国軍 本陣
本陣内、軍議用の天幕
ブライトクロイツ将軍以下、この戦いに出撃した主だった諸将が軍議を開いていた。
「敵は上手く我々の誘いに乗った様だな」
「は、敵の総数はおよそ18000。 現在は、それを三つに分けております。 本陣におよそ8000、右翼、左翼にそれぞれ5000ずつ。 敵は数の利を生かして”鶴翼”の形を取っています」
「まあ、予想通りの動きだな」
「それに対して……現在、我が方の兵力は”7000”。 まともにぶつかり合えば一揉みに潰されかねませんぞ?」
軍議に参列している諸将から不安の声が漏れ聞こえる。
「将軍、本当に我が軍の命運を”あの者達”に任せてもよろしかったのですか?」
「不服か?」
「い、いえ……そのような事は…」
どうやら新参の士官の何人かが、今回の作戦に疑問を抱いている様だった。
「不安に思う気持ちも分かる。 だが”あの者達”の力は本物だ。 ”北の蛮族”とも一戦交えてきた猛者だからな」
「ええ、その力は重々承知しています」
「ならば、戦の流れが変わるまで耐え凌げ。 それで”我が方の勝ちは盤石”となる」
「将軍がそこまで言われるのであれば…」
「敵は明朝には動くだろう。 精々、我々に食いついてもらうとしよう」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
深夜
エッシュ北東部 ヴァルムの森
「よう、テオドール」
「ああ、間に合ったか」
月明かりが差す森の中、岩場に座るテオドールの下にランドルフが数人の部下を引き連れて到着した。
テオドールとランドルフが率いる灰熊騎士団遊撃部隊1000名は、本隊から離れエッシュ北部に広がるヴァルムの森の中を複数の小隊に分けて進軍、現在はエッシュから数km程離れた森の中に集結していた。
「で、様子はどうだ?」
「敵はおよそ18000、本隊の三倍近い数を繰り出してきたな」
「ヒュウ、敵さんも思い切ったもんだ」
「ここまでは予想通りだな。 後の問題は……」
テオドールは、そう言いかけてから部下に合図を送る。
それを受けて、十数人の部下達が小走りで森の中へと消えて行った。
「敵の偵察か?」
「ああ、相手は此方に気が付いているな」
「しかし、エッシュの領主ってのは無能だって聞いてたぜ? そんな事に気が回るもんか?」
「”領主”は、な…。 恐らく、部下の中に独断で森に偵察を出したのがいたんだろう」
ランドルフが大きく息を吐く。
「まあ……でも、やる事は変わらんのだろう?」
「ああ、手筈通りに私達遊撃部隊は……」
森の隙間から昇り行く朝焼けを見つめながら、テオドールは呟いた。
「”鶴の首をへし折りに行く”」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
早朝
エッシュ領主軍 士官用天幕
「く……領主様は、何故わしの言う事を聞いて下さらぬのか……」
天幕の中で一人の士官が頭を抱えていた。
この士官の名は、オットー。
エッシュ領主の配下で、兵500名を預かる部隊長だ。
侵攻する帝国軍の数の少なさに疑問を持った彼は、独断で私兵を動かして偵察を行っていたのである。
彼は先程、偵察の結果を携えて領主に”エッシュまで撤退して籠城する”様に進言をしてきたのだ。
結果は、当然の事ながら却下された。
”勝てる戦から背を向けて、首都の馬鹿共の笑い者になれと言うのかッ!!!”
そう、罵倒されて天幕から追い出されて来たのだ。
「戦上手の灰熊が”数の利”を知らぬはず無いと言うのに……必ず策があるはずなのだ! おまけに別働隊を率いるのは、灰熊子飼いの”獅子”と”虎”だと言うのに……」
オットーは頭をガリガリと掻きながら、大きく溜息を吐いた。
「せめて……最悪の事態だけは避けねば……。 こりゃ、わし死んだかの?」
もう一度、大きく溜息を吐き出すと、オットーは出撃までの短い時間を”最悪の事態を避ける方法”を考えるのに費やすのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌朝 クロクス平原
朝靄の中、帝国軍7000とエッシュ領主軍18000は対峙していた。
吹きすさぶ風は、朝靄を掃い、両軍の軍旗を舞わせる。
帝国軍はブライトクロイツ将軍の指揮の元、”魚鱗の陣”を敷く。
対するエッシュ領主軍は当初の予想通り、”鶴翼の陣”で帝国軍を迎え撃つ。
「頃合いだな、始めるぞ。 全軍、進撃せよッ!!!」
ブライトクロイツ将軍の号令の元、帝国軍が進軍を開始した。
「迎え撃てッ!! このまま押し包んで潰せッ!!!」
エッシュ領主軍は、帝国軍の動きに合わせる様に、両翼を展開させて三方から包囲する様に動く。
戦闘の序盤こそ拮抗していたが、数の違いからか徐々に帝国軍が押され始め、防戦一方となっていた。
それでも帝国軍は、それを良く防御し被害を最低限に抑えていた。
だが如何せん、その大きな戦力差で思ったような反撃も出来ずジリ貧に陥っていた。
「しょ、将軍ッ!! 我が方、既に敵に三方を囲まれていますッ!!」
「戦局はどうか?」
「は、今は何とか持ちこたえておりますが、抑えきれなくなるのは時間の問題かと…!!」
「ふむ、そろそろ頃合いだな」
「将軍!?」
側近が慌てふためく中、ブライトクロイツ将軍は悠然と配下に指示を出す。
「全軍、ありったけの軍旗を掲げよッ!! 軍鼓を鳴らせッ!!!」
ドンッ ドンッ ドンッ ドンッ ドンッ ドンッ ドンッ ドンッ ドンッ ドンッ
将軍の指示に従い、色とりどりの軍旗が掲げられ、軍鼓が戦場に響き渡った。
「隊長ッ!! 敵陣に動きがッ!!!」
「こ、これは……各自、警戒を密にッ!!! 領主様はどうしておられる!?」
帝国軍の動きを察知したオットーが部下達に指示を飛ばす。
「領主様は”あれは敵の悪あがきにすぎぬ”と仰られて、全軍に総攻撃を命じられましたッ!!」
確かに、現在はエッシュ領主軍が優勢な為、その命令は妥当なものと思えた。
だが、オットーにはヴァルムの森に潜む”別働隊”が気になって仕方が無かった。
(帝国軍は……灰熊は何を考えている……? 平地での戦いでは数がものを言う事を知らぬ訳でも無いだろうに……。 三倍近い兵力差で”鶴翼の陣”で攻められれば、三方からジリジリと削られて押しつぶされるのは必定の筈……。 そして、ヴァルムの森に潜む”別働隊”……)
鶴翼の陣とは、野戦で良く使われる陣形の一つだ。
両翼を大きく広げて、羽で包む様に敵を包囲殲滅する寡兵を相手取るのに適した陣形である。
弱点としては、両翼を大きく広げる為に本陣の守りが薄くなる事などがあげられる。
「ッ!!!!!」
「隊長!?」
「そうか……本隊は”囮”だッ!!!」
帝国軍の狙いに目星をつけたオットーは、慌てて本隊後方へと自身の指揮下の兵を動かす。
「た、隊長!? 全軍に攻撃命令が出ています、これは命令違反になるのでは!?」
「馬鹿者、敵本隊は囮だッ!! 別働隊が動くぞッ!!!!!」
オットーの隊が本陣後方に到着した時、既にヴァルムの森の方から土煙が上がっているのが見えた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「本隊より、合図出ましたッ!!!」
森の入り口で戦局を見守っていた部下から報告が入った。
「ようやく出番だな!!」
「では、手筈通りに私が先に出るぞ」
「おう、後詰は任せなッ!!」
「テオドール隊100騎、全員騎乗ッ!!!」
テオドール掛け声に従って、テオドール子飼いの騎兵100騎が一斉に軍馬へと騎乗する。
「続いてランドルフ隊900、テオドール隊の尻に付け!! テオドールの撃ち漏らしを俺達で掃討するぞッ!!!」
続いて、ランドルフ掛け声で、ランドルフ預かる歩兵900が武器を構えて一斉に立ち上がった。
「狙うは、”エッシュ領主の首ただ一つ”ッ!!!」
テオドールは、剣を高々と掲げた。
それに応えて、部下達が鬨の声を上げる。
「全騎…………我に続けぇッ!!!!!」