第七話 夫婦鹿の令嬢
「お嬢様、まだ拗ねていらっしゃるんですか?」
揺れる馬車の中、二人の女性が向かい合っていた。
一人は”赤みかかった金髪の侍女”でもう一人は”着飾った年若い令嬢”だった。
「幾ら奥方様が”直前までお見合いの話を内緒にしていた”からって、何時までも拗ねているなんて……」
「…………べ、別に拗ねてなんか……」
「拗ねてます。 お嬢様、お見合い相手の男爵閣下をお嫌いなのでは無いのでしょう?」
「そ……それは……」
侍女の指摘に令嬢は顔を真っ赤に染めた。
「ふふ、お嬢様は幾つになっても可愛らしい。 とても微笑ましいですわ」
「むぅ……それは同じ歳の”乳姉妹”に言う事?」
「お嬢様と違って、私には心に決めた方が居りますから」
憮然とする令嬢を尻目に侍女は嫋やかな笑みを浮かべた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌日の朝、テオドールはシャルロッテを従えて宿舎としている屋敷の玄関の前に立っていた。
本日の見合いの相手を出迎える為である。
”昨日の事”があった為か、二人は微妙にギクシャクしていた。
意図的に視線を合わせようとせず、会話も比較的差しさわりの無いものばかりだった。
「昨日はよく眠れたか?」
「えっと……ごめんなさい、あんまり……」
「ふぅ、しょうがないやつだな……と、言いたいところだが……俺もだ」
「それでお見合いの方は大丈夫なのですか?」
「全く寝ていない訳では無いからな。 そこまで心配するほどでは……」
と、言いかけた所でテオドールの口が止まった。
「……テオ様?」
「…………忘れてた」
怪訝に思って声をかけたシャルロッテに、テオドールは小声で呟いた。
「忘れてたって、何がですか?」
「……本日の”見合い相手の事を書いた書付を確認しておく”のを忘れてた」
「えーッ!? お見合いのお相手、もうすぐここに来られるんですよッ!?」
「流石に相手の事を何も知らないと言うのは失礼か……」
そう呟くと、テオドールはその場で踵を返した。
「テオ様、どちらへ?」
「部屋に戻って書付を確認してくる」
「でも、その様な時間は……」
部屋に戻ろうとするテオドールをシャルロッテは、慌てて止めに入ろうとした。
その時……
「ダールグリュン卿、失礼いたしますッ!」
一人の兵士が屋敷の玄関へと駆けて来て一礼した。
「む、どうした?」
「は、お相手の御令嬢がご到着なさいました! 間も無く此方に御令嬢がお乗りになった馬車が参ります!」
「ぐ、間に合わなかったか……」
「ダールグリュン卿?」
「いや、このまま玄関前で出迎えるので、馬車を通してくれ」
「ははッ」
兵士は再び一礼すると、もと来た方に駆けて行った。
兵士が駆け去るのを見届けた後、テオドールは大きな溜息を吐いた。
「……間に合いませんでしたね」
「む、とんだミスをしてしまったな。 せめて寝る前に触りだけでも目を通しておくんだったな……」
「あ、それよりもテオ様」
「む?」
「参られました」
シャルロッテの声にテオドールが伏せていた顔を上げる。
丁度、屋敷の玄関前へと馬車が入ってくるところだった。
入って来た馬車は、立派な造りではあるもののその車体を飾る装飾の類は最低限施されている程度のものであった。
そして、その家の家紋であろう”牡鹿と牝鹿”の紋が馬車の扉に彫り込まれていた。
(”牡鹿と牝鹿”の紋……? 殿下の配下の貴族でこの様な紋を掲げている者が居ただろうか?)
馬車の紋を見て怪訝な顔をしているテオドールの前に、件の馬車がゆっくりと停車した。
停車した馬車の扉が開き、中から”侍女のお仕着せに身を包んだ赤みがかった金髪の女性”が出てきて嫋やかに一礼した。
「お初にお目に掛かります、”テオドール・ダールグリュン男爵閣下”。 ”当家”にお仕えしております”侍女長”のセリアと申します」
「”侍女長”? それにしては随分とお若い様だが?」
テオドールの指摘も無理は無かった。
何故ならそのセリアと名乗った女性は外見こそ大人びてはいたものの、そこまで歳がいっている様には見えなかったからだ。
高く見積もっても精々20代前半ぐらいにしか見えなかった。
「ああ、すまない。 こんな事を聞くなど不躾だったな」
「いえ、当然の疑問ですわ」
テオドールの言う様な疑問には手慣れているのか、セリアと名乗った侍女は笑顔で返事を返した。
「”当家”のお嬢様とは”乳姉妹”という間柄でして、その縁で奥方様から大変可愛がっていただいておりまして。 それに”帝国へ亡命”した後に先任の者が身体の不調を理由に引退をしましたので、それを引き継ぐ形でつい先日にお役目を拝命したのですわ」
「なるほど」
(”帝国へ亡命”? と、いう事は見合い相手は”他国から帝国へ亡命してきた元貴族の令嬢”という事か。 それなら見慣れない家紋であったのも納得だ。 ……ん、待て。 そうなると、この紋……”どこかで見た様な”……)
「あの、テオ様?」
テオドールがセリアと話しながら思考を巡らせている所に、後ろに控えていたシャルロッテが小声で声をかけた。
「ん、どうした?」
「えっと、さっきからお見合い相手のお嬢様が馬車から降りてこられない様なのですが……」
「む、そういえば……」
シャルロッテの言う通り、馬車からセリアが降りて来た後”誰も出てきて無い”のである。
「男爵閣下、如何いたしましたか?」
「いや、私と見合うはずの御令嬢が姿を見せられないのでな。 どうしたのかと思ってな」
「ああ、これは申し訳ありません。 どうもお嬢様は男爵閣下にお会いするのに”酷く緊張なさっている”様子でしたので……すぐに呼んでまいりますわ。 …………この期に及んで往生際の悪い(ボソ)」
「ん?」
「いえ、此方の事でございます。 少々お待ちくださいませ」
セリアは深々と一礼すると、早足で馬車に戻って行った。
「……どうしたのだろう?」
「さぁ……私には何とも……」
テオドールとシャルロッテには何が起こっているか分からず、お互いに顔を見合わせた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「お嬢様、男爵閣下がお待ちかねですよ。 さ、お早く!」
「…………どんな顔して会えばいいの」
令嬢はうつむいたまま頑なに馬車の座席から腰を上げようとはしなかった。
「むぅ……まだ強情張りますか! そういう事なら私にも考えがあります!!」
そう言うな否や、侍女……セリアは令嬢の手を取ると”力任せに引っ張り出した”のだ。
「せ、セリアッ!?」
「もう、こうなったら力づくですッ! お嬢様、御覚悟をッ!!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
『せ、セリアッ!?』
『もう、こうなったら力づくですッ! お嬢様、御覚悟をッ!!』
馬車の前に居たテオドールとシャルロッテの耳にセリアと見合いの相手であろう令嬢の言い争う声が聞こえて来た。
「え、セリアさん!?」
「何をやってるんだ……?」
言い争う声を聞いて戸惑う二人の目の前にセリアともう一人、着飾った格好の”長い赤毛を後ろで束ねた女性”が飛び出して来たのだ。
「あッ!?」
「…………」
「お、お見苦しい所をお見せいたしました…………男爵閣下?」
テオドールとシャルロッテは、その”長い赤毛を後ろで束ねた女性”を見て言葉を失っていた。
そんな中、”長い赤毛を後ろで束ねた女性”は”気まずそうな表情”をしながら顔を伏せて視線を逸らした。
「……”ノエル”」 「……”ノエル”様?」
テオドールとシャルロッテは、その”長い赤毛を後ろで束ねた女性”の名前を同時に口にした。
それを聞いて”長い赤毛を後ろで束ねた女性”……”デュランベルジェ家の嫡子、ノエル・デュランベルジェ”は、顔を伏せたまま身体をビクッと反応させた。
「え、ええ!? の、ノエル様が此方に居られるという事は……」
「今日の見合い相手と言うのは……ノエルなのか?」
テオドールの問い掛けにノエルは、”顔を真っ赤にして俯いたまま”小さく頷いて答えた。
(普段、男勝りで勝気なお嬢様があの様にしおらしくなさるとは……本当に”恋”と言うものは人を変えるものなのですね。 さて、お嬢様……”ノエル”に相応しい殿方であるかどうか、見極めさせていただきますわ)
戸惑うテオドールと俯いたままのノエルを視線に捕らえながら、ノエルの”乳姉妹”であり、”無二の親友”でもあるセリアは再び嫋やかに微笑んだ。




