第三話 代官の突然の来訪
「はぁ…………」
テオドールは大きく息を吐き出すと、手に持った羽ペンを机の上に放り投げて椅子の背もたれに体重を預けた。
「お師匠様、お疲れ様でした」
「お疲れ様でした、閣下。 取り急ぎの書類はこれで最後となります」
「ようやく終わったか……。 エミル、クラウスも手伝ってくれて随分と助かった」
「いえ、従騎士として当然の仕事ですので」
テオドールは、ブリュム遠征の間に溜まりに溜まった書類を約一ヶ月かけて一掃した。
領主としての仕事なので仕方が無かったとはいえ、本来は”戦場で馬を駆り剣を振るう”事を生業としている武人であるテオドールには、この長期間のデスクワークはかなり堪えるものだった。
「これで領主としての仕事も一段落ついた……。 軍務禁止令が解けるまでの時間は、怪我の療養と執務で鈍った身体を鍛え直すのに使いたいものだな」
そんな事を呟くテオドールに、従騎士二人はちょっと困った様な表情で苦笑いを浮かべた。
その時……
コンコンッ
『旦那様失礼します、ジャンです』
ノックと共に扉の向こうからジャンの声が聞こえて来た。
「ジャンか。 いいぞ、入ってこい」
『は……では、失礼します!』
ジャンはやや緊張した面持ちで部屋へと入って来た。
「何かあったか?」
「代官のルッツ様が旦那様を訪ねていらっしゃってます」
「ルッツが?」
「えと、何でも”溜まっている執務”が終わった頃に話があるとか何とか……」
「”溜まっている執務”か……ルッツの奴、終わるタイミングを計って来たか……相変わらず食えない奴だ」
「えっと、旦那様?」
「支度をしたら行くので、そのまま待つ様に伝えて置け」
「はあ、分かりました……」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
テオドールは手早く支度を整えると、従騎士の少年二人を伴って代官のルッツの待つ応接室へと向かった。
「しかし、代官殿が直々に来られる要件とは何なのでしょうね?」
「”溜まっている執務”が終わった頃にとか言っていたから、急ぎの要件という訳では無いのでしょう。 それでいて直接赴くような案件……」
「ここで悩んでいても仕方あるまい」
「ふむ、それもそうですね」
従騎士二人と話しながら歩いている内に、テオドールは応接室の前へとたどり着いた。
「内容は本人に聞けばいいだけの事だ」
そう言うとテオドールは応接室の扉に手を掛けた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
テオドールが応接室に入ると、一人の初老の男がソファーに腰掛けて茶を啜っていた。
「待たせたな、ルッツ」
「テオドール卿、もう宜しいので?」
「幸いな事につい先程片付いた所だ」
「それは何より」
そう言って薄く笑うと、ルッツは手に持っていたカップをテーブルの上に置いた。
「それで私に用とは?」
「はい。 此方を卿へと預かっていまして……」
そう言うと、ルッツは懐から蝋封された羊皮紙を取り出してテオドールへと差し出した。
その羊皮紙は非常に上質な物であり、その蝋封の刻印はテオドールにとって見覚えの在るものだった。
「”百舌鳥の刻印”……フェルディナント殿下からか」
「はい。 卿の仕事が落ち着き次第、手渡す様に申し付けられておりました」
「ふむ……」
テオドールは羊皮紙を手に取ると、その封を破って羊皮紙を広げた。
「む…………」
テオドールはその羊皮紙に書かれていた内容を一瞥した。
「…………むぅ?」
書かれていた内容を読み進めて行く内にテオドールが段々と”苦虫を噛み潰した様な表情”に変わって行っていた。
「お師匠様!?」
「閣下、如何しましたか?」
テオドールの様子がおかしい事に気づいた重騎士二人が口々にテオドールに声をかける。
「…………」
その二人にテオドールは無言でその手に持っていた羊皮紙を差し出した。
羊皮紙を受け取った従騎士二人は、その書かれている内容に目を通した。
「えっと……これは……」
「これは、閣下に”見合いを勧める”ものの様ですね……」
「はい、その通りです。 卿は来年で30に成られます。 ダールグリュンの家の事を考えれば”早急に奥方をお迎えして世継ぎを残される”方が良いと、殿下はお考えです」
「……しかし、だからと言ってこの様な時期に……。 秋には再び出兵もあるというのに」
「”だから”こそでしょうね。 殿下が皇帝陛下の後継になられた場合、卿のダールグリュン家はその”譜代の臣下”という事になります故」
「む……今後も見据えれば必要な事という事か」
ルッツの意見にテオドールは納得した様に小声でつぶやいた。
「それに見合いをしたからと言ってその方と必ず婚姻を結ばなければならないという訳ではありません。 先ずは候補に挙がっている御令嬢達と顔合わせだけでもなさってはどうでしょう?」
「ふむ、殿下の勧めとなれば無下にする訳にもいかんか……分かった、一先ず面合わせだけでもする事としよう」
「では、私の方から殿下にご報告申し上げて日取りの調整をいたします。 数日後にはご報告できるかと」
こうして、テオドールはフェルディナント皇子の勧めで見合いを行う事になったのだ。




