第五話 帝国の癌 後編
「近くで見るとやっぱり大きいなぁ……」
お仕着せ姿で買い物籠を持ったシャルロッテは、目の前にそびえ立つ城を見上げていた。
その城は、この街……イーリスの街の中央にそびえ立つ太守の城だったが、現在は帝国南方方面軍の総督府として使用されていた。
「お買い物は、無事に終わったからいいけど……」
そう呟きながら、シャルロッテは手元のメモに視線を落とす。
”お買いものが終わったら、お城まで行って旦那様を迎えに行く事”。
買い物のリストが書かれたメモの最後にその文章が書かれていたのだ。
「ん~…やっぱり、この場所に私は場違いな気がするなぁ…」
「そこのお前、そこで何をしている?」
シャルロッテは、突然声をかけられた。
それは、城の城門の前に立っていた衛兵だった。
「え、えっと……こういう時は、確か……」
突然声をかけられた事に驚きながらも、シャルロッテは自身の首の掛けていた身分証明のメダルを衛兵に差し出した。
「ん、銅…準市民か。 ここに何をしに来た?」
「は、はいッ! お仕えしている旦那様がこのお城にお勤めしてて、旦那様をお出迎えに行くようにと言われて来ましたッ!」
「ほう、感心な事だな。 お前の主人の名は?」
「えっと……」
名前だけ告げるのは簡単だ。
だが、このあたりの国々で”テオドール”と言う名はそれほど珍しくはない。
こういう場合、名前と共に”爵位や役職”を告げるのが一般的だった。
「確か……遊撃部隊隊長のテオドール様ですッ!」
「ん~、遊撃部隊のテオドール……もしかして、銀髪の色男の?」
「あ、はいッ! その方で間違いないかと……」
「へぇ、テオドール卿ってこんなかわいい子雇ったんだな。 何時もは用がある時はかしましいおばちゃんが来てたもんだけどなぁ」
(かしましいって……マリーさんの事かな?)
「軍議が終わるには、もうしばらくかかりそうだがここで待っているかい?」
「あ、はい。 よろしければ……」
シャルロッテは衛兵の行為に甘えて、城門の前で待たせてもらう事にした。
衛兵詰所の横の壁に寄りかかって城門前の通りに目を向ける。
そこには、しばらく前まで戦争が行われたとは思えない”平和な光景”が広がっていた。
人々や荷車が忙しく行き交い、あちらこちらに露店が出店している。
駐屯しているであろう帝国の兵士は、それを略奪する事無くごく当たり前に客として商品を購入していた。
そのそばで、多くの”元奴隷”であろう人足が荷を運んでいたが、そこには聞きなれた”鞭を振るう音”が聞こえてこない。
銅のメダルを首から下げた人足の表情には、以前には見られなかった”やる気”や”希望”が見て取れた。
「お買い物をしている時から何と無く思っていたけど、街の中が以前より明るくなったみたい……」
陰湿な裏通りの娼館で今まで過ごしていたシャルロッテにとって、今の目の前の光景は眩しく映った。
「何か、夢を見てるみたい……。 テオ様には、感謝しないと……」
その暖かく、眩しい光の元へと連れ出してくれたテオドールの事を思うと、シャルロッテはくすぐったい様な気持ちになるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ぽかぽかする午後の陽気の中、シャルロッテは壁に寄り掛かったままうとうとしていた。
(ああ、心地のいい陽気……)
不意にシャルロッテの耳に城門が開く重々しい音が聞こえてきた。
(城門の開く音…? テオ様?)
左目を擦って眠気を払いながら、シャルロッテは城門の方へ視線を向けた。
そこには”豪奢な軍服を身に纏った、軽薄そうな表情の若者”が数人の騎士を引連れて城門から出て来る所だった。
「ふん、”灰熊”の奴め。 ”自分だけで何でもできる”とうぬぼれおって!」
「いや、まったくですな。 此度のイーリス攻略戦でも、公子率いる兵一万がいなければ勝利すらも危うかったかも知れないと言うのに……」
「あのご老体には、公子の偉大さが分からないのでしょう。 いえ、もしや…若く有能な公子を妬んでの発言なのかもしれませんぞ?」
憤慨する若者を、ある者は宥め、ある者は褒めちぎっていた。
それは誰が見ても”取り巻きがご機嫌取りをしている”光景であった。
それが待ち人では事を確認したシャルロッテは、あまりジロジロ見ては失礼だと思い視線を若者達から外した。
(違った……。 帝国にも”ああいう人達”がいるんだな……。 テオ様みたいな方ばかりと思ってたのに……)
「お、中々可愛らしいお嬢さんじゃないか?」
「?」
先程の取り巻き達がシャルロッテに気が付いて近寄って来ていた。
「お前達、如何したのだ?」
「いえ、可愛らしいお嬢さんを見つけたので声を…」
「ほう」
シャルロッテは、あっという間に若者と取り巻き達に囲まれていた。
一縷の望みを込めて衛兵の方に視線向けるが、衛兵達は見て見ないふりをしていた。
「眼帯をつけている娘? 珍しいな」
「でも、中々の上玉ですよ」
「何処と無く、小動物っぽい所が良いねぇ」
シャルロッテは怯える心を奮い立たせて、首に下げた銅のメダルを若者達に見える様に差し出した。
「わ、私は、遊撃隊隊長テオドール様の家の者です! その…今は、旦那様をお迎えに来てて……」
「テオドール? ああ、あの”傭兵上がり”の」
「ですから、こういうのは……」
「そうか、お前はあの男の”所有物”か。 ”傭兵上がり”の分際でいい趣味をしている」
”所有物”と言う言葉にシャルロッテは身体をビクッと震わせた。
その姿を見て、若者がいやらしい笑みを浮かべる。
「あの”傭兵上がり”の物と言うのが少々気になるが、良いな気に入った。 私の屋敷に連れ帰って可愛がってやろう。 感謝するといい」
取り巻きの一人がシャルロッテの腕を掴んで強引に連れて行こうとした。
「や、やめてください! 私は旦那様を…テオ様を待っているだけで…」
「黙れ、”奴隷”の分際で貴族である私に口答えするとは何事だ!!」
「ッ!!!」
シャルロッテは力ずくで若者の前に引きずり出された。
若者は、シャルロッテの全身を嘗め回す様に一瞥する。
「なるほど、確かに”傷物”ではあるが中々の上玉だな。 しかし、あの”傭兵上がり”もこんな幼女を囲っているとはな。 偉そうにほざいていながらその実、こんな幼女を手籠めにしているとは、とんだお笑い草だッ!!!」
「そ、そんな……テオ様はそんな方ではありませんッ!!」
いやらしい笑みを浮かべながら、若者は必死で反論したシャルロッテの顎を掴み、強引に自分の方に顔を向けさせる。
「何が違うと言うんだ、汚らしい売女め!」
「ち…ちが……」
「おお、そうだ。 ふふふ……”傭兵上がり”め、自分の”可愛がっている女”を私の手で”辱められた”と知ったらどの様な顔をするのだろうなぁ?」
「ッ!!?」
「悔しそうな顔をするのか、それとも恨めしそうに睨んで来るのか……どちらにしても見物だなッ!!!」
取り巻きの騎士二人に左右から腕を抑えられて、シャルロッテは身動きが取れないでいた。
必死でもがいてはみているが、男…それも騎士二人に抑えられていては、その腕を振り払う事も出来ないでいた。
(そんな……こんな事に…こんな事になるなんてッ!! テオ様……)
「はっはっはっはっはっ、嫌がる娘を手籠めにするのは何度やっても興奮するなッ!! 今から楽しみだッ!!!」
怯えるシャルロッテを見て、若者は愉快そうに笑った。
周りの人々や、本来なら治安を守るべき衛兵ですら、この光景を見て見ぬふりをしていたのだ。
シャルロッテは、左目の目端に涙を浮かべながら抵抗したが、所詮は少女の細腕である。
「よし、屋敷に帰るぞ。 娘を連れてこい」
「ははッ!!」
(……テオ様ッ!!!)
「何をしているッ!!!」
不意に聞こえた声にシャルロッテは、聞こえた方向に視線を向ける。
そこにはシャルロッテが待ち望んだ人物…白い軍装の銀髪の騎士テオドールが立っていた。
「…テオ様ッ!!!」
「シャル!? 公子、これはどういう事ですかッ!?」
テオドールは厳しい面立ちのまま、この事態を問いただすべく若者…クレメンス公子の元へと歩み寄って行く。
「な、何だ貴様ッ!! この御方がエーデルシュタイン大公のご嫡男であらせられるクレメンス様と知っての事かッ!!」
クレメンスの取り巻きは、慌てて”クレメンス公子の名”を出してテオドールを静止させようとした。
だが、テオドールはそれを無視して突き進み、止めようとした何人かの騎士を払いのけてクレメンスの元へと歩み寄った。
その迫力には、当のクレメンスも腰が引けていた。
「公子、そこのシャルロッテは我が家の家人。 それをどこにお連れ為さるか!?」
「な、何を言っている!! 無礼者がッ!! この”奴隷”の娘を私がどうしようと貴様には関係無いだろうがッ!!!」
「シャルは我が家の家人だと今申し上げたはずです!! 何より、帝国内で奴隷を所有する事は、皇帝陛下により十五年も前に禁止されている筈です!!!」
「ぐ……」
テオドールに気圧されて、クレメンスは押し黙ってしまった。
「公子、無礼な言をした事をお許しください。 ですが……公子の発言、行動は”明らかに帝国法に反する”ものです。 今回の所は、私の胸の内に留めますので今後はご自重ください」
「おのれ、調子に乗りおってッ!!」
「次に事を起こした場合、ブライトクロイツ閣下にご報告差し上げます。 事によっては”皇帝陛下”のお耳に入る事があるやもしれません」
「なッ!?」
「ですから、今後はこういう事が無き様……」
テオドールは、絶句するクレメンスに”丁寧に一礼”すると、シャルロッテの方へと歩を進めた。
「今すぐシャルロッテを解放しろ!!」
「ぐ……”傭兵上がり”風情が…」
「”一介の騎士”が”騎士隊長”に刃向うか? 法に照らして”上官反逆罪”で”この場で手討ち”にしても良いのだぞ?」
テオドールは、シャルロッテを抑え付けていた騎士達に向けて、殺気の籠った視線を向けて腰に下げた剣に手をかけた。
「もう良いッ! 離してやれッ!!」
クレメンスの声に反応して、騎士達がシャルロッテから手を離した。
シャルロッテが力無くその場にへたり込む。
「覚えていろッ!! この私にこの様な事をした事を絶対に後悔させてやるッ!!!」
クレメンスは、怒気を孕んだ捨て台詞を吐くと、取り巻きの騎士達を引き連れてこの場を逃げる様に立ち去った。
テオドールは、クレメンス一行が見えなくなったのを確認すると、膝を折ってシャルロッテと視線を合わせた。
「無事か、シャル?」
「は、はい……ありがとうございました、テオ様」
気丈に返事をするシャルロッテの肩は、まだ微かに震えていた。
「もう大丈夫だ。 大丈夫だからな」
震えるシャルロッテの頭を撫でて落ち着かせてやる。
それで安心したのか、シャルロッテの左目から涙がポロポロ零れはじめた。