第三十話 ブリュム撤退戦 -怒り狂う獅子-
『ガぁアアアアアアァァぁァァァァァァぁぁぁァぁぁぁぁァぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーッ』
テオドールの咆哮が森の中に響き渡る。
その咆哮は聖皇国軍だけに飽き足らず、味方であるはずの帝国軍までもを震え上がらせた。
「……て、テオドール……様!?」
「ぐ……銀髪の剣鬼……な、何をしたぁッ!!!」
「…………」
テオドールはそれに答える事無く、ゆっくりとマティアスに向かって歩み出した。
冷めた様でいて、怒りに燃える双眸をマティアスに向けたまま。
「おのれッ!!!」
マティアスは短騎槍を構え直してテオドールを迎え撃つ。
「……なッ!?」
マティアスが短騎槍を構え直した一瞬の間に”マティアスの目の前からテオドールの姿が消えていた”のだ。
(馬鹿なッ!? 奴は何処に消えたッ!?!)
姿を消したテオドールを探してマティアスが素早く視線を巡らせる。
右…… 左…… 下……。
(いない…………まさかッ!?)
まさかと思いながら、マティアスは視線を上へと向けた。
そこには跳躍したテオドールが”間近まで迫っていた”のである。
「そこかぁッ!!!」
マティアスは咄嗟に短騎槍を突き出した。
だが、テオドールは”その動きを予め読んでいた”かの様に寸での所で身を捻って短騎槍を回避した。
そして、その回避した勢いそのままに”ある一点”に目掛けて腕を振り落としたのだ。
そこには先程、ノエルによって放たれた”太矢”がマティアスの左肩に突き刺さったままになっていたのである。
テオドールはその太矢をつかみ取り、その勢いのままに”マティアスの肉を抉り、引き裂いた”のだ。
「ぐぁああああぁぁぁッ!!!!!!!!!!!!」
刺さっていた太矢で無理やり肉を引き裂かれたマティアスの悲鳴が森の中に響き渡った。
その激痛に耐えかねて、”左手に持っていた剣”がその手を離れて地面に転がり落ちた。
テオドールはマティアスを一瞥すると、”足元に転がった剣”と”先程まで嬲られていたノエル”を素早く拾い上げてマティアスの脇をすり抜けた。
「……テオドール様」
「…………」
弱々しい声でノエルはテオドールの名を呼んだが、テオドールは終始無言のままノエルを少し離れた場所へと下した。
そして、”その場に落ちていた剣”を拾い上げて立ち上がる。
「あ、それは……」
その剣は先程”マティアスに弾き飛ばされたノエルの剣”だった。
テオドールは右手に”マティアスから奪った剣”を左手に”ノエルの剣”を取った。
「おのれ……あの一瞬で私の武器を奪うとは……」
左肩の傷の痛みに表情を歪めながらも、マティアスはテオドールに向けて短騎槍を構える。
「…………」
そのマティアスの姿を一瞥すると、テオドールはゆっくりと構えを取った。
対峙するテオドールとマティアス。
ゾワッゾワッ
苦々しげな表情を浮かべるマティアスがテオドールの視線に入った時、周囲に三度、あの時の悪寒が走った。
「小賢しいわぁぁぁぁぁぁぁァッ!!!!!」
マティアスは悪寒を自らの怒号で打ち消しながら、短騎槍を構えてテオドールへと突進した。
『ガぁアアアアァァァァァァぁぁぁァぁぁぁぁァぁぁぁぁぁーーーーーーーーッ』
テオドールは再び咆哮を上げると、突進してくるマティアスに向かって真っすぐに駆け出した。
「死ねぇッ!!! この”化け物”がぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!」
先ずは武器のリーチで勝るマティアスが向かって来るテオドールに必殺の突きを繰り出した。
だが、テオドールは先程の要領で身体を捻って短騎槍を紙一重で回避した。
「貰ったぁッ!!!!!」
その動きを読んでいたマティアスは突き出した短騎槍を”突き出したまま横へと大きく薙ぎ払った”のだ。
「……!」
流石のテオドールもその攻撃を回避する事が出来ず、咄嗟に剣で防御するのが精一杯だった。
しかし、マティアスは防御されたのも構わず、テオドールを力任せに薙ぎ払って弾き飛ばした。
弾き飛ばされた勢いのまま、テオドールは数m先に着地する。
「ぐ……あの薙ぎを捌くか……!!」
渾身の一撃を捌かれたマティアスは表情に焦りを滲ませながら、再び構えを取った。
一方でテオドールは”何事も無かったかの様に”構えを取った。
(あの薙ぎが捌かれるとなると……どう攻める……どうやって奴を……)
テオドールを睨みつけたまま思考を巡らせていたマティアスに対して、今度はテオドールが動きを見せた。
突然、地面を蹴ってもの凄い速度でマティアスに迫ったのである。
「おのれ、来るかッ!!!」
その動きに反応して、マティアスは迎え撃つべく素早く構えを直した。
短騎槍を横に構えて盾にしてテオドールの攻撃を阻む。
しかし、テオドールはそれに構う事無く短騎槍に目掛けて剣戟を放った。
ギンッギンッ ギンギンギンギンギンギンッ ギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギンッ
最初に左右一回ずつ、そこから怒涛の連撃を繰り出した。
その速度はどんどん上がって行き、最終的には”剣戟の音に次の剣戟の音が追い付く”程の速度になっていたのだ。
(くそ……何という剣速だ……!! 防ぐだけで精一杯ではないかッ!!! これが……”人間の動き”だというのかッ!?!)
マティアスが歯ぎしりをしながら必死にテオドールの猛攻を防いでいる時、マティアスの前で”二つの事”が起こった。
一つは無数の剣戟を受け続けている短騎槍が”悲鳴を上げ始めている”事。
もう一つは、”自身のものとは違う血が小雨の様にマティアスに降り始めた”事だ。
「な、何だコイツは……!?」
マティアスは自身に襲い掛かるテオドールの姿を見て驚愕した。
テオドールは人間とは思えぬ尋常では無い速度で剣を振るいながら、”全身から血を流していた”のだ。
それは”明らかに人間の限界を超えた動きをした反動”から来る傷であった。
ギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギンッ
それでも、テオドールはその動きを止める事無く剣戟を放ち続けていた。
そして……
バァキィィィィィィィィンッ
大きな破砕音を響かせてマティアスの短騎槍は、テオドールの猛攻に耐え切れずにへし折れた。
マティアスは咄嗟に短騎槍を手放し地面に転がる事によって、辛うじてテオドール剣戟を受けずに済んでいた。
「ぐ……クソッ!!!」
地面に転がるマティアスにトドメを刺すべく、テオドールはその手に持つ剣を振り上げた。
(殺られるッ!!!!!)
マティアスがそう思った瞬間……
「怯むなッ!! 将軍をお助けしろッ!!!」
その声と共に周囲から数本の槍がテオドール目掛けて飛来したのだ。
飛来する槍を易々と打ち払ってテオドールは周囲を見渡した。
そこには、今までそこに居なかった”周囲に散っていた”聖皇国兵達の姿があった。
聖皇国兵達は、周囲で竦んでいる聖皇国兵や帝国兵には目を向けず武器を手にあっという間にテオドールを包囲した。
「将軍、御無事でッ!!」
「ぐ……貴様等ぁ……」
「お叱りは後程……今はお下がりくださいッ!!」
地面に倒れていたマティアスはテオドールを包囲していた数名の兵士に素早く包囲の外へと連れ出され、包囲の中には”剣を振り上げたまま”のテオドールのみが残った。
「如何な強者とて包囲してしまえば手も足も出まいッ!!!」
「…………」
「だんまりか……まあ、いいッ!! 殺せッ!!!!!」
その言葉を合図に包囲している兵士達は武器を構えて”一斉に殺意をテオドールに向けた”。
そして兵士達が一斉にテオドールに飛び掛かろうとした……その時
『ガぁアアアアァァァァァァぁぁぁァぁぁぁぁァぁぁぁぁぁーーーーーーーーッ』
テオドールは三度目の咆哮を上げたのだ。
ゾワッゾワッゾワッ
「「「ッ!?!?」」」
その咆哮を間近で浴びた聖皇国兵は、今まで滾らせていた殺意を一気に吹き飛ばされ、周囲の両軍の兵達と同じく、その恐怖に委縮し身体の自由を奪われてしまった。
そして、足を止めた兵士達にテオドールは”剣を振り上げたまま”ゆっくりと歩み寄っていった。
「ば……ば、化け物……」
「あ、悪鬼だ……」
”化け物”、”悪鬼”と口々に漏らしながら怯える兵士達にテオドールは躊躇無く剣を振り下ろした。




