第二十九話 ブリュム撤退戦 -獅子の咆哮-
「ここまでだな”銀髪の剣鬼”ッ!!!」
倒れたテオドールにトドメを刺さんと、マティアスが短騎槍を振り上げた。
ヒュンッ
「ムッ!?」
突如、マティアスの耳に”風切り音”が聞こえた。
マティアスは咄嗟に振り上げた短騎槍でその”風切り音”が聞こえた方向を薙ぎ払った。
キンッ
短騎槍に弾かれて”一本の太矢”が宙を舞った。
「矢……だとッ!?」
(矢!? ま、まさか……)
慌ててテオドールが視線を向けた先には、弩弓を構えた”赤毛の少女”……ノエルの姿が映った。
「馬鹿ッ!! 何故、出て来たッ!!! すぐに下がれッ!!!!!」
テオドールは自身のすぐ傍に敵がいるのも構わず、ノエルに向かって叫んだ。
「だ、ダメですッ! 司令官を失えば、総崩れに……」
「馬鹿ッ!!! そんな事を言っている場合かッ!!!」
「…………貴様か?」
今までテオドールとノエルのやり取りを”冷めた眼”で見つめていたマティアスがポツリと呟いた。
「……え?」
「私の戦いを邪魔したのは、貴様かッ!!! このッ!! ”神聖な戦場”に土足で踏み込んで来たというのかッ!!! 薄汚い”子供を産ませる以外に価値の無い女の分際で”ッ!!!!!」
マティアスは憤怒の表情で罵声を吐き捨てた。
今までの”武人の顔”を脱ぎ捨てて、まるで”悪鬼の様な形相”でノエルを睨みつけていた。
「こ、ここで総大将を失う訳にはいきませんッ!! 私が代わりにあい……」
「五月蠅いッ!!! 戦場で”女如き”が囀るなッ!!!!!」
「ッ!?」
マティアスはノエルの言葉を怒号で遮って黙らせると、倒れているテオドールには目もくれずゆっくりとノエルに向かって歩き出した。
「薄汚い”女如き”が……神聖な戦場を汚すなどッ!!! 万死に値するッ!!! いや、八つ裂きにしても飽き足らんッ!!!!!」
「やめろッ!! 貴様の相手は俺だッ!!!」
テオドールは折れた剣を投げ捨てて、マティアスをノエルの元に行かせまいと飛びかかった。
ガキィィィィィィンッ
だが、それもマティアスの短騎槍の一振りで弾き飛ばされてしまった。
「”負け犬”は黙って寝ていろッ!!!」
「ぐ……逃げろノエルッ!!!!!」
逃げろと叫ぶテオドール。
しかし、ノエルはその場から引く事無く、震える手で弩弓を引き絞って太矢を番えていた。
「わ、私は確かに女です! ですが”護るべきもの”、”戦うべき時”は弁えていますッ!!!」
「”女如き”が偉そうにほざくなッ!!!」
怒気に燃える視線をノエルに向けたまま、マティアスは短騎槍を構えてノエルに向かって駆け出した。
「くッ!!!」
駈け込んでくるマティアスにノエルは咄嗟に弩弓で矢を放った。
ドスッ
「ッ!?!」
だが、マティアスはそれに構う事無く放たれた矢を左肩で受けた。
「……”女如き”が武人の身体を汚したなッ!! 楽に死ねると思うなッ!!! 指先からじわじわと細切れにしてくれるわッ!!!!!」
短騎槍を振り上げてノエルに迫り来るマティアス。
ノエルは弩弓を投げ捨てて、腰に佩いた剣を引き抜いた。
(父上、私に力をッ……!!!)
ノエルは短く言葉を呟くと、剣を手にマティアスに斬りかかった。
「フンッ!!!」
ガキーーーーーーーーーーンッ
ノエルの放った渾身の一撃は、マティアスが一振りした槍先にあっさり弾かれその手を離れてしまった。
弾き飛ばされた剣に一瞬意識をとられたノエルに対して、マティアスは容赦無く蹴りを見舞う。
「うッ!?」
蹴られて地面へと倒れ伏したノエルに、マティアスは怒りの形相で更に蹴りを繰り出した。
「所詮はこの程度かッ!! ”この程度の腕”でッ!! ”女如き”がッ!!! ”神聖な戦場”に立ってッ!!! ”この私の戦いを汚す”などとッ!!!」
腹を蹴り上げ、顔を踏みつけ、口汚く罵りながらマティアスは執拗にノエルを責め続けた。
……そして、マティアスの意識が完全にノエルをいたぶる事に向いた時、それは起こった。
ゾワッ
突然、戦場全体が”言い知れぬ悪寒”に包まれたのである。
「何ッ?!?」
「……え?」
その”悪寒”を感じて、ノエルを嬲っていたマティアスの動きが止まった。
それだけではない。 現在、戦場にいる帝国、聖皇国両軍の兵士達もその”悪寒”を感じて動きを止めていたのである。
(な、何だ……今の悪寒は……!?)
悪寒のショックからいち早く復帰したマティアスは膨大な冷や汗を掻きながら周囲を見渡した。
足元には自身が嬲っていた女。
周囲には悪寒のショックで引き攣らせた表情の両軍の兵士達。
そして、聖皇国軍が騎乗している軍馬は何頭かが泡を吹いて倒れており、それ以外の軍馬もあまりのショックに身体を震わせて立ち尽くしていた。
(馬が”暴れ出していない”だとッ!?)
元来、馬は非常に憶病な動物である。
訓練を受けて戦場を駆ける軍馬であろうとそれは例外ではない。
何かの拍子に怯えて暴れ出す事もあるのだ。
その”憶病な馬”が暴れるどころか、”震えてその場から動けずにいる”のだ。
(何だこれはッ!? これでは馬が”蛇に睨まれた蛙”の様ではないかッ!!)
そして周囲を見渡していたマティアスは”自身の遥か後ろに立つ人影”に気がついた。
その手には何も持たず、その身を土に汚れた”白銀の鎧に包んだ一人の男”が立っていたのだ。
「銀髪の剣鬼……」
「て、テオドール様ッ!!!」
それはつい先程、マティアスに倒されたはずのテオドールであった。
テオドールは周囲が注目する中、ボロボロに蹴られ踏まれたノエルに視線を向け、次にそのノエルを痛めつけたマティアスへと視線を向けた。
ゾワッゾワッ
「ッ!?!?」
マティアスの背に先程と同じかそれ以上の”言い知れぬ悪寒”に襲われた。
『ガぁアアアアアアァァぁァァァァァァぁぁぁァぁぁぁぁァぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーッ』
次の瞬間、テオドールから”獣の様な”咆哮が響き渡ったのだ。
長い銀髪を振り乱しながら咆哮する様はまるで”怒り狂う白銀の獅子”の様であった。




