第二十話 籠城を封じる策
「あ、兄者……こりゃぁ、どういう事だ!?」
戦場より帰還したサミュエルが最初に見たのは”本陣から撤退”するために忙しく動く聖皇国軍の姿だった。
「”補給線の確保”の為に南のアガットまで一時後退する。 今回は進軍を急ぐあまり、その辺が疎かになっていたからな。 このままでは持久戦には持ち込めん」
「だからってここまで来て下がるのかよッ!!」
「まあ、”持久戦をしてやる義理は無い”がな……」
「……何?」
サミュエルが怪訝な顔をしている中、マティアスは不敵な笑みを浮かべた。
「一体そりゃ……」
「後で詳しく説明してやるから、お前も部下に引き上げの準備をさせろ」
「お、おう……」
撤退の準備をさせるべくサミュエルを送り出したマティアスは、不敵な笑みを浮かべたまま遠くに見えるブリュムの城壁へと眼を向けた。
「策は成した。 さて、どう動く……”堅牛”、そして”銀髪の剣鬼”」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
聖皇国軍の退却後、ブリュムへと帰還したテオドールをブリュムを護っていた城兵達は歓喜の声を上げて迎えた。
「お師匠様、御無事で何よりですッ!!」
「援軍を差し向けようと思ってたんだけど、準備が終わる前に連中を追い返しちまうとはね」
「皆には心配をかけたな。 まあ、私が追い返したのではなく敵が勝手に引き上げていったのだがな……」
「あの”聖影将軍”と一騎討ちを始めたと聞いた時はどうなる事かと思いましたよ」
部下達に囲まれて出迎えられていたテオドールの元に一人の兵士が息を切らせながら駈け込んで来た。
「て、テオドール将軍、失礼いたしますッ!!」
「む、どうした?」
「アルノルト将軍より『至急、南門特設指令所まで出頭されたし』との事ですッ!!」
「了解した、すぐに向かおう。 マルテッ!」
「分かってるよ。 後はアタシがやっておくさ」
「任せる。 エミル、行くぞ!」
「はい、お供しますッ!」
テオドールはその場の後処理をマルテに任せると、エミルと共に南門へと赴いた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ブリュム南門前 特設指令所
特設指令所となっている陣幕の中には既に主だった将兵が出そろっていた。
南門で戦っていたオットーやノエルもその場に居た。
「テオドール、参りました」
「おお、テオドール卿来たか。 これで主だった者は全員揃ったな」
「急な呼び出しでしたが、何かありましたか?」
「うむ……先程、テオドール卿がブリュムに帰還する前の事だ、南門の城壁で本陣まで後退した敵軍の動向を見張っていた兵から報告があったのだ」
「敵軍に何かあったのですか……?」
「敵軍が”退却準備を始めた”のだ……」
「なッ!? こ、ここまで来て退却!?」
朝からの攻勢、反撃を受けての速やかな後退……そしてその日の内に退却……。
その手際の鮮やかさからそれは、計画されていた行動だと推測できた。
「しかし……陣まで築いて置いての退却とは……」
その行動をその場に集まった将兵達は、皆一様に不可解に思っていた。
そんな中、一人の千人長が手を挙げた。
「敵が退却をするのならば、その隙を突いて追撃をかけるべきでは無いでしょうか?」
「うむ、確かにそれは妥当な何ではあるが、”退却自体が我々を吊り出す罠”という可能性もある」
「追撃をかけるなら慎重に動かねばなりませんな……」
どうしたものかと皆が押し黙る中、その場の末席にいた一人の百人長が恐る恐る手を挙げた。
「貴官は……西門の守兵隊の者だな」
「は、はい! 今の話とは関係が無いかもしれないのですが……報告ができていない事が一つありまして……」
「何だと?」
「す、すいませんッ! 先に敵の退却の話だ出てしまい、中々切り出せずにおりました!!」
「まあ、報告が遅れた事は良い。 で、その報告とは何だ?」
「は、ははッ!」
アルノルトが促すと、その百人長は緊張した面持ちで報告を始めた。
「み、南門での攻防が始まってしばらくした頃だったでしょうか……部下から”ある報告”が上がって来たのです」
「その”ある報告”とは……?」
「”西の地平線に煙が上がっている”と……」
「……煙?」
「は、私がそれを聞いて確認した所、確かに西の方角で”複数の煙が立ち上っている”のを確認しました」
「西か……。 それで、何故報告が遅れた?」
「伝令を将軍の所に送ろうとした時、敵陣への攻勢が始まってしまったので……申し訳ありません」
「そうか……では、報告が遅れた事は不問とする」
「はは、ありがとうございます!」
”敵の突然の退却”と”西から立ち上る煙”……それが何を意味するのかを見出せないまま、会議は平行線を辿っていた。
しかし、それは指令所に”突如飛び込んで来た”兵士によって破られた。
「ほ、報告! 報告いたしますッ!!!」
「騒がしいぞ、何事だ!?」
「西門からの報告です! このブリュムを目指す”数多の民”が現れたとの事です!!」
「何!?」
”敵の突然の退却”と”西から立ち上る煙”……更に”西よりブリュムに向かって来る数多の民”。
逸れの意味する事とは……。
「……しまったッ、謀られたかッ!!!」
先程まで沈黙をしていたオットーが突然声を上げた。
「オットー!?」
「”謀られた”だと? どういう事だ?」
「……はッ、恐らく敵はブリュムへの攻勢と同時に”西側の村落を焼き払った”のだと思われます!」
「村を焼き討ちだと? それはもしや、我らの補給線を絶つつもりで……?」
「いえ、そんな”生易しい”ものではありませんッ!!」
オットーの鬼気迫る様子から、その場に居る者達は事の次第が容易ならざるものであると感じた。
「アルノルト将軍、現在のブリュム蓄えはどの程度でしょうか?」
「蓄えか……。 籠城を前提とするならば、兵等と街の民を一月は賄えるぐらいには…………そういう事か」
「左様。 言うならばこれは、”籠城を封じる策”」
ブリュムの現在の人口は、帝国駐留軍6000を含めて20000弱。
それが約一月、籠城できるだけの蓄えがブリュムにはある。
そして、一月もあれば本拠地であるヤーデからの援軍は余裕で間に合う。
「周辺の集落を焼き討ちして、そこに住まう人々をこのブリュムへと追い立てれば……」
「受け入れれば、受け入れるだけ此方の負担となる……」
「ならば態々、敵の策に乗ってやる必要は無いッ! 民衆を追い返せば……」
「それをすれば帝国と、我らが主である皇子殿下の評判は地に落ちるでしょうな……」
「何より、それはブリュムの民を裏切る事になるッ!!」
「皆、静粛に!!」
急な事態に熱くなる配下達をアルノルトは一括して黙らせた。
「民は出来うる限り受け入れる。 至急、受け入れ準備をせよ!」
「は、ははッ!!」
「偵察を出して敵陣の動向を探れ! 出来るだけ詳細にだ!! それと受け入れた民の人数の確認も早急にだ!!」
アルノルトは部下達に素早く指示を飛ばす。
その指示を受けて多くの部下が陣幕より駆け出して行った。
そして陣幕にはアルノルトとテオドール、その近臣のみがその場に残った。
「オットー、どう見る?」
「ブリュムへ流れて来る民の数にもよるでしょうが……まあ、数多の民を抱えてとなると……」
オットーは渋い顔をして言葉を濁した。
それはこの状況が容易ならざるものになる事を雄弁に語っていた。
「持って半月……いや、十日と持つかどうか、といった所だろうな」
「あの、伯う……いえ、アルノルト将軍、ヤーデから援軍と兵糧を送ってもらう事は出来ませんか?」
「援軍に出ていた殿下は、まだヤーデにお戻りではないのだ。 送って来れたとしても、状況を打開できるほどには期待できぬ」
「そうですか……」
シュンとしてエミルが引き下がった。
「テオドール卿」
「はッ」
「貴殿ならどうする?」
「…………」
テオドールは暫し思案した後、徐に口を開いた。
「撤退すべきかと……」
「ブリュムは放棄するのかね?」
「……はい」
「……ッ」
テオドールの意見を聞いて、その場に同席していたノエルは思わず息を呑んだ。
それは故郷であるブリュムを捨てる事を意味しているからだ。
「ですが、民は出来るだけヤーデへと連れ帰るべきです!」
「ッ!?」
「ふむ、気持ちは分かるがそれは容易な事では無い」
「ですが、ここで民を見捨てれば我等は”ブリュムの民を虐げて来た聖皇国の腐れ坊主共”と変わらぬかと……」
アルノルトから視線を外す事無く、テオドールは力強く言い切った。
その答えにアルノルトは満足げに頷いた。
「なるほど……。 ノエル嬢」
「はい、将軍閣下」
「貴殿や貴殿の家族に故郷を捨てさせる事になる……」
「……いえ」
アルノルトの言葉にノエルは首を横に振った。
「ブリュムは……街は、”奪われても取り戻せます”。 民が……人が生きていれば、やり直せます!」
「そうか……ならば、私も迷うまい」
アルノルトは席を立ちあがってその場に居る者達を見回した。
「ブリュムより撤退する! 民を護りながらの厳しいものとなるだろう!! 総員の更なる奮闘を期待するッ!!!」
「「「ははッ!!!」」」




