第二話 皇帝ジークヴァルト
ベルシュタイン帝国の帝城ディアマント。
十五年前の遷都に合わせて建造された巨城である。
現在、その一室を控室として与えられたテオドールが任命式に臨むべく支度をしていた。
「むぅ……どうしても違和感が拭えんな……」
「そうですか? とてもお似合いだと思います」
着付けを手伝っていたシャルロッテはその姿を褒めてくれていたが、テオドールにはどうにもしっくりきていなかった。
今まで祝典で身に着けていた様なシンプルな騎士服とはうって変わった”豪奢な将軍位の者が着る衣装”だったからだ。
「重さに違和感がな……普段の礼服に比べて重いのに、鎧と比べると軽いというのは今まであまり無くてな……」
「そういうものなのですか……」
コンコン
『失礼します。 ダールグリュン卿、そろそろお時間となります』
控室の扉がノックされて外から従者の声がした。
「うむ、今出る」
テオドールは返事をすると、腰に剣を佩いて部屋を出ようとする。
「あ、テオ様お待ちください!」
「ん、どうしたシャル?」
「えっと……屈んでもらえますか?」
「ん? これでいいのか?」
シャルロッテに言われるままにテオドールは身を屈めた。
そのテオドールの首元にシャルロッテはそっと手を伸ばした。
「む?」
「少しだけそのままで……。 首のスカーフが曲がっています」
シャルロッテは手早くスカーフを整えなおした。
「はい、終わりました」
「あ、ああ。 では、行ってくる」
「はい、いってらっしゃいませ」
シャルロッテに見送られてテオドールは部屋の外へと出た。
部屋の外ではテオドールを呼びに来ていた従者が直立不動の姿勢で待っていた。
「む、待たせたな」
「では、ご案内します。 こちらへどうぞ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「やあ、テオドール」
「殿下、お待たせいたしました」
謁見の間へと続く扉の前でフェルディナント皇子とランドルフが待っていた。
皇子は今までのシンプルな服装ではなく、皇子という立場に相応しい豪奢な格好をしていた。
ランドルフも普段とは違うテオドールと同じ意匠の将軍服を着ていた。
「よぉ、”馬子にも衣裳”とはよく言ったものだな!」
「お前に言われたくはないな」
そう言いあってから、ランドルフはにひひと笑った。
「二人とも随分余裕だね。 もっと緊張しているものかと思ってたけど、心配なさそうだね」
二人の姿を見て、皇子が不敵に笑う。
「お時間でございます。 フェルディナント皇子、ダーリュグリュン卿、シュレーダー卿、どうぞご入場ください」
その従者の声を合図にして、謁見の間へと続く扉が音を立てて開かれていった。
「さて、男爵として、そして将軍としての君たちの最初の仕事だ! さあ行こうッ!!」
「「ははッ!!」」
テオドールとランドルフを従えて、皇子が謁見の間へと足を踏み入れた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
皇子とテオドール、ランドルフは左右に帝国の高官や将軍が居並ぶ中を玉座へと向かって歩いていた。
その中でも異彩を放っている人物が二人、玉座の左右に陣取っていた。
左側の人物は緑で統一された将軍用の軍服を着こんだ細身の男だった。
気難しそうな表情をして眼鏡をかけていた。
右側の人物は黒で統一された鎧姿の偉丈夫だった。
鬣を思わせる黒い長髪を後ろに流していた。
帝国が誇る最高位の将軍である”将色”の称号を持つ将軍、”緑蛇”と”黒獅子”である。
”緑蛇”は、東方方面軍第一軍団を率いる将軍だ。
個人の武力よりも用兵の巧みさに定評のある人物で、慎重且つ狡猾な人物である。
”黒獅子”は、最も皇帝の信任が厚く帝都防衛軍を率いている。
帝国最強の武人と言われる将軍で、武力、用兵術、人望とどれを取っても優秀な帝国随一の英雄である。
「殿下、その場で留まられよ」
”黒獅子”の重々しい声が謁見の間に響き渡る。
その声を聴いて皇子はその歩みを止めた。
「暫しその場で待たれよ」
そして待たされる事暫し……
「エンゲルベルト殿下、御成りになります!!」
その声が謁見の間の中に響き渡った。
本来なら皇帝が入場してくるはずの入り口から”威風堂々とした出立ちの中年の男”が入って来た。
「…………兄上」
「兄上……あの方がエンゲルベルト殿下ですか」
エンゲルベルトは慇懃な態度で玉座に歩み寄ると、”然も当然”と言わんばかりに”玉座に座った”。
その行動に参列した者達が一斉に驚きの声を上げた。
”黒獅子”はその行動にも微動だにしなかったが、”緑蛇”は露骨に眉をしかめた。
「諸君、何を驚いているのだ? 諸君が存じている通り、現在父上……いや、皇帝陛下は病の床に伏している。 このエンゲルベルトが代理で政務を行っている事は周知の事と思ったが?」
「それは分かります。 ですが、なぜ兄上は玉座に座しているのですか!! 代理とはいえ、それは過ぎたる行為です!!!」
「玉座が空席のままでは格好がつかんだろう。 それにここはいずれ”私のモノ”となるのだから、問題無いだろう?」
そう吐き捨ててエンゲルベルトは不敵に笑った。
その態度に”緑蛇”は露骨に不機嫌な表情をしていたが特に口を出すような事はなかった。
騒然とする中でエンゲルベルトとフェルディナントは互いをにらみ合う形になっていた。
その様はあたかも”現在の帝国内部の縮図”を思わせた。
「兄上が父上に”皇太子”に指名されたとは聞き及んでいませんが?」
「その必要があるのか? 私は”第一皇子で正妻の子”だ。 立場、血筋、実力、どれをとっても父の後を継ぐのに申し分無い! 貴様、”妾腹の末子”の分際で何を調子に乗っているか!!!」
「同じ正妻の子であれば、ラインハルト兄上やコルネリウス兄上もおられます! それに父上は”母親の貴賤問わずに最も優れた子に後を継がせる”といつも申していたではありませんかッ!!!」
「……フェルディナント、兄に対して口が過ぎるのではないか?」
謁見の間の中に緊張が走った。
しかし、にらみ合う二人の皇子の間に一触即発の空気が漂う中……
「皆の者控えいッ!!! 皇帝陛下の御成りであるッ!!!!!」
突如、”黒獅子”が獅子の咆哮の様な声を上げた。
その声にその場にいたすべての者が一斉に”黒獅子”の方に視線を向けた。
「皇帝陛下の御成りであるッ!!! 控えいッ!!!!!」
再び”黒獅子”の咆哮が響き渡ると、その場に居た者達はエンゲルベルトを含め、一斉に膝を折り頭を垂れた。
エンゲルベルトが入って来た扉が再び開かれた。
足音と杖を突く音を響かせながらその人物は謁見の間へと入って来た。
淀み無く一定のリズムでその音を響かせ歩くその人物はまっすぐに玉座に向かうと、その脇に跪くエンゲルベルトの横を通り抜けて玉座へと座した。
その人物は軽く手を上げて”黒獅子”に合図を送ると、その場で”黒獅子”がその意を汲んで立ち上がり再び咆哮の様な声を上げた。
「皇帝陛下の意であるッ!! 面を上げられよッ!!!」
響き渡るその声に跪いた帝国の高官達は一斉に頭を上げる。
60を超えているとは思えない威風堂々とした佇まい、その頭には黄金の冠、その力強い眼差しは皇帝の色である琥珀色をしている。
ベルンシュタイン帝国第6代皇帝 ジークヴァルト・シュタインベルグ・ベルンシュタイン
その人であった……。
「ち、父上!? ご病気と伺っていましたが……大丈夫なのですか!?」
「やれやれ……」
突然登場した皇帝の姿にフェルデナントが驚きの声を上げる。
その姿に皇帝は笑みを浮かべてため息をついた。
「どうやらエンゲルベルトが大げさに伝えたようだな」
「え!?」
「い、いえ……私は父上の体調を鑑みて……」
「まあ、良い。 余はこの通りだ。 歳から来るもので床に臥せっていたのは事実だが、心配はいらぬ。 侍医からも城内を歩き回わるぐらいなら構わんと、許しをもらってきておるわい」
そう言い切ると皇帝は、皆の前で笑って見せた。
その横では侍医であろう初老の男が、落ち着きのない様子で皇帝をなだめていた。
「へ、陛下! あまり激しい動きをなさっては……」
「分かっておるわい。 貴様も心配性だのう」
侍医の言葉を軽く流した皇帝は、その視線を幼い皇子の後ろへと向ける。
「フェルディナント」
「はい、父上」
「その者達か、お前が取り立てて自らの配下にしたいと思っているのは?」
「はい!」
皇帝はその鋭い視線をフェルデナントの後ろに控えるテオドールとランドルフへと移した。
「ふむ……二人とも逸らさずに余に視線を返すか。 中々に胆の据わった者達の様だのう」
「すでに詳細はご存知だと思いますが、改めて紹介いたします!」
「良い」
二人を紹介しようとしたフェルディナントを皇帝は手で制した。
「それではつまらん、自らで名乗りを上げよ。 そうだな……そちらの銀髪の者からだ」
「……はッ」
皇帝から指名を受けたテオドールは、手早く深呼吸をしてから声を発した。
「お初にお目に掛かります。 この度の陛下への拝謁、真に恐悦至極にございます。 帝国軍灰熊騎士団所属の元騎士隊長、名をテオドールと申します」
「ほう、貴様が灰熊の所のテオドールか。 若いながらも中々の強者と聞き及んでおるぞ」
「はッ」
「では、次の者」
「ははッ!!」
皇帝から指名がかかると、ランドルフはやや緊張した面持ちで話し始めた。
「同じく、灰熊騎士団所属の元騎士隊長のランドルフです!」
「ほほう、ランドルフか。 灰熊が手塩にかけた子飼いを二人ともフェルディナントの元に寄越すとはのう。 奴はお前の事を高く買っている様ではないか?」
「はい、灰熊将軍には感謝の言葉もありません」
幼い皇子と、後ろに控える屈強な騎士を見て皇帝は満足げに頷いた。
「いいだろう! 皇帝ジークヴァルトの名において、テオドール並びにランドルフに男爵位とそれに類する所領、雑号将軍位を与えるものとする!! 以後、我が息子フェルディナントの手足となって、存分にその武を振るえ!!」
「「御意ッ!!」」
玉座の間に驚きの声が広がり、それに追従する様に拍手が湧き上がった。




