第十話 将として
「ぬぅ……ここまでくれば、追手も来ぬか……」
人気の無い梢の下で、エッシュ領主はようやく一息つく事が出来ていた。
二倍以上いた彼の軍は、敵の策に嵌まり既に散り散りに逃げ去った。
その身を護る近衛も、自身が逃げる為に盾として使い捨てていた。
「ぐぐぐ………何故、こんな事に……我が軍の勝利は確定的であったというのに……どこで仕損じたッ!!!」
領主は馬から下馬すると、荒々しく足を踏み鳴らす。
「そうだ……奴だッ!! オットーの奴が私の策を乱したせいだッ!!! ぐ……もしや奴は帝国と内通してたのでは……それならば、此度の敗北も説明が付く!!」
ダンッ
領主は怒りに任せて、すぐそばにあった木に拳を打ちつけた。
ヒュンッ……………………………タンッ…………
「?」
その直後に拳のすぐそばで”微かな風切り音”と”何かが木に刺さる音”が聞こえた。
領主は怪訝に思い、その音がした場所に視線を向ける。
その場所……領主の拳のすぐそばに”今までその場所に無かった矢”が突き刺さっていた。
「ひッ!!!」
領主は悲鳴を上げながら腕を引っ込めると、慌てて辺りを見渡した。
そして、自身の後方、かなり距離のある場所に立つ一団と視線があった。
「ひッ……ひぃぃぃぃッ!!!!」
数は数十人はいるだろうか。
全員、白を基調とした服や鎧の集団。
帝国の兵士だった。
「敗残兵の処理に飽きていた所で思わぬ獲物が飛び込んで来たな」
その集団の指揮官と思わしき男……騎士隊長ランドルフがニヤリと微笑む。
「こ、近衛ッ!! 近衛は何をしているッ!!! 一刻も早く、私の身を守らんかッ!!!!!」
怯え竦みながらも領主は、声を張り上げて怒号を飛ばす。
「「「…………」」」
しかし、その言葉に応えるものは無い。
ただ、虚しく風の音がするだけであった。
「生き残った兵の大半は、逃げ去るか降伏した。 その他の連中は……分かるな?」
ドスッ
ランドルフは、”領主に見せつける様に”己の斧槍を領主の足元に突き立てた。
その斧槍は、穂先も斧刃も”血糊でベッタリ汚れて”いた。
それはつまり、既に勝敗は決し、領主の身を守るものさえいない事を物語っていたのだ。
「はは……ば、ばかな……こんなこと……」
領主は力無くその場にへたり込んだ。
「捕縛しろ。 本陣に連行する」
既に”抵抗する意志は無い”と判断したランドルフは、部下に命じて領主に縄を掛ける。
「敵総大将、この騎士隊長ランドルフの隊が捕えたぞッ!!! 皆の者、勝鬨を上げろッ!!!!!」
ランドルフの号令の元、部下達が一斉に勝鬨を上げた。
二倍以上の兵力差で行われた”第一次クロクス会戦”は、結果として帝国軍が寡兵でありながら勝利した。
討ち取った数、およそ4000。
捉えた捕虜の数、およそ3000。
それに対して、帝国軍の死傷した兵の数は1000にも満たなかったという。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
第一次クロクス会戦後
帝国軍陣営 軍議用天幕
「敵本陣を両断し、敵武将を破ったテオドール。 敵後方の退路を遮断し、敵総大将を捕獲したランドルフ。 どちらも見事な働きであった!!」
「「はッ」」
ブライトクロイツ将軍は、大功を挙げて帰還した二人の若き騎士隊長を大いに称賛した。
二人に懐疑的な態度だった将兵達も、この功績は認めざる得なかった。
「さて、敗走したエッシュ軍の現在の状況はどうなっている?」
「はッ、総大将を始めとし、主だった将の大半は我が方の捕虜となっているか討死にしております。 かなりの数の兵がエッシュへと逃げ帰ったのですが、将が圧倒的に不足している性か城内は混乱している様です」
「ふむ、城内に立てこもる兵数は如何程か?」
「負傷兵を含めても1万を切っております。 実質、4、5000が良い所かと」
常時であれば、城攻めには三倍以上の兵力で当たるのが定石である。
だが、負傷兵の数と士気の低さ、指揮する将の不足等を鑑みれば現在の兵数でも攻略は難しくない。
「将軍、今こそ総攻撃をかけてエッシュを陥落させましょうッ!!」
配下の将軍の一人が総攻撃を提案する。
それには多くの将軍が賛同した。
「ふむ……」
ブライトクロイツ将軍は、顎鬚を撫でながら思案していた。
「いかがでしょうか?」
「む……テオドール、お前はどう思う? ”お前なら”どうする?」
ブライトクロイツ将軍は、唐突にテオドールに話題を振った。
「私なら……ですか?」
「うむ」
「そうですね……”戦に勝つだけ”なら力攻めで一気に攻略するのが一番手っ取り早いでしょうね」
「では、お前は総攻撃に賛成なのか?」
「いえ、後々の統治やエッシュの将兵、民を帝国に帰属させる事を優先するなら、降伏させて無血開城させるのが理想です。 アーベマフォンの王家は周辺の小国を侵略する為に、民に度重なる徴兵と重税を課してきました。 既に民心は王家から離れていると考えて宜しいでしょう。 ”減税、財産の保障”をし、”徴兵された兵を家族の元に返す”とすれば多くの民は帝国に靡くものと思われます」
テオドールの答えにブライトクロイツ将軍は、満足げに頷いて見せる。
「うむ、後々の支配を考えればそれが最善であろう」
「では、将軍?」
「本日はここで陣を張る。 兵達を交代で休ませよ。 明朝までに儂が降伏を勧める書状を認めるので、それまでにエッシュへ赴く使者の選定をせよ」
「「「ははッ」」」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
帝国軍陣営 捕虜収容地
帝国軍陣営のほぼ中央付近に木材で作られた柵で囲まれた場所がある。
それは今回の戦いで捕虜になったエッシュ兵の捕虜収容場所だ。
基本的に十人を一組とし、その十人を縄で繋いて収容場所に放り込んである。
「なあ、聞いたか? 領主様が捕まったらしいぜ?」
「本当かよ!? 俺等を見捨てた上に捕まってるとか……何やってんだよ!?」
「アイツは威張り散らしているだけのダメ領主だったからな……」
捕虜となっているエッシュ兵達は、他の場所で監禁されている領主がこの場にいない事を良い事に悪態をつく。
本来ならそういう暴言を抑える立場の隊長格の者達も、”自分達を見捨てて逃げ出した”領主に憤りを覚えるのか、嗜めようともしていなかった。
「…………………」
そんな中、テオドールとの一騎討ちに敗れて捕虜となったエッシュ軍500人隊長オットーは、静かに眼を閉じて口を開かずにいた。
まるで何かの訪れを待ちわびているかの様に……。
「捕虜の様子はどうだ?」
「はッ。 今の所、異常はありません!」
(む? この声は……)
様子を見に来た人物の声を聴き、オットーはゆっくりと閉じていた眼を開いた。
そこには彼が待ちわびた人物……”銀髪の剣鬼”テオドールが立っていたのだ。
「では、引き続き頼んだぞ。 夜半頃には交代の者をよこす」
「ははッ」
「お待ちくだされ、”剣鬼”殿ッ!!!」
その場を立ち去ろうとするテオドールに、今まで声一つ上げなかったオットーが呼び止めるべく声をかけた。
「む、貴殿はあの時の……500人隊長のオットー殿だったか?」
「は、おっしゃる通りオットーでございますッ!!」
「私を呼び止めるとは、何事か言いたい事でもあるのか?」
テオドールの問い掛けにオットーは言葉では無く行動で答えを示した。
「「「隊長ッ!?」」」
「……何のつもりだ、オットー殿?」
周りにいる部下達が驚く中、オットーはその頭を地につけた。
”土下座”である。
「某は、この様な事をお願いできる様な立場ではござりませぬッ!!! ですが、ですがッ!!! 伏してお願い申し上げますッ!!!!!」
部下達の前での土下座……。
それは、普段であれば部下の前で威厳を保たなければならない指揮官が絶対にやってはいけない事である。
それは非常に屈辱的な事であり、それだけで部下の信頼を失いかねない行為である。
「今更、命乞いか……?」
「はい、仰る通りでございますッ!!!!!」
その場に戦慄が走った。
上官の間違いを堂々と正し、部下達を思いやる隊長であったオットーが敵の前で命乞いをしているのだ。
「ば、馬鹿な……オットー隊長が……」
「俺達だけで無く、家族の事まで気遣ってくれていた隊長が……」
部下達は、”信じられないもの”を見て動揺していた。
「…………」
「どうか、どうかッ!!!」
「”この某の身は”どうなっても構いませぬッ!!! 何卒、何卒”部下達とその家族”を粗雑に扱わない様、伏してお願い申し上げますッ!!!!!」
「…………何!?」
「隊長!?!」
「隊長、何言ってるんですかッ!!!」
「やかましいわッ!!! お前等は黙っておれッ!!!!!」
部下達の悲痛な叫びを遮ってオットーは更に懇願を続けた。
「……その台詞、我等が総大将であるブライトクロイツ将軍の前でも言えるか?」
「部下達とその家族をお救いいただけるのならば、喜んで申しましょうッ!!!!!」
(エッシュを真に救うのは、この男の様な者なのかもしれんな……)
テオドールは暫し思案した後、オットーを柵の外に出す様に部下に命じた。
そして、縄で縛られたままのオットーを伴い、再びブライトクロイツ将軍の元へと赴いた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
帝国軍陣営 ブライトクロイツ将軍陣幕
「ふむ……」
「何卒、何卒ッ!!!」
「いや、貴殿の言い分は分かった。 帝国法の許す限りの便宜は図ろう」
「ははッ、ありがとうございます」
頭を垂れるオットーに近づきながら、ブライトクロイツ将軍は懐から何かを取り出す。
「貴殿に任せたい事がある」
「某に……で、ございますか?」
「うむ、儂とてこれ以上の流血を望んではおらん。 そこで、貴殿の力を借りたい」
そう言うと、オットーの手に”蝋封された羊皮紙”を手渡した。
「これは……?」
「降伏とエッシュ開城を要求する書状だ。 ”身の安全、財産の保護”は勿論、帝国への帰属をするならば”徴兵の免除、租税の減税”も約束しよう。 当然、帝国の支配制度には従って貰うが、少なくとも”民を奴隷に落とす”と言う事は絶対にしないと約束しよう」
「……私にアーベマフォンに叛けと?」
「君の祖国の民への所業は承知している事だろう? 既にこの国は”民心を失っている”」
オットーは書状を手に押し黙ってしまった。
「…………」
「……分かりました。 このオットー、部下の為、部下の家族の為、そして多くの民の為に……喜んで裏切り者の誹りを受けましょうッ!!」
オットーが決意したその翌朝、エッシュの城門は開かれて帝国軍はエッシュへと入城した。
これにて第一次クロクス会戦は終結です。




