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アベルの青い涙  作者: 天野 七海
8/25

八話 死の谷へ

 

  トニーもジェシカも、このかたプロボの町を出た事は一度も無かった。


  死の谷に辿り着くには近道がある。

 だが、二人はあえて遠回りをする事にした。 何故なら近道は人目に付きやすく、いつ帝国軍に見つかってもおかしく無いからだ。

  しかし、遠回りのその道は幾つもの山を越えなければならない。 しかも、とても人が通るような道とは言えず、獣道。と、言った方が相応だ。


  どちらにしても、ジェシカとアベルには過酷な旅になる事は間違い無いだろう…。


 

  二人はプロボの町を早く出ようと、足早に進んでいた。


  しかし……。 何だか町の様子がおかしい。

  まだ早朝。 人が出歩くには早い筈なのだが、何処からかざわつき声が聞こえ、家を飛び出し駆けて行く人の姿が……。


 確か……この先には広場があったはず。


  「どうしたのかしら… 」


  ジェシカが不思議そうに呟いた。


  「そうね、何かあったのかしら? ……ねぇ、声のする方へ行ってみない?」


  「 そうしましょう 」


  二人も広場へ向かう事にした。


  やはり、思った通りだ。

  そこには大勢の人のが集まり、何やら話し合いをしているようだ。

  集会でも開いている。とでも言うのだろうか? もしもそうなら、何故同じ住民であるジェシカやトニーの耳に知らせが入らなかったのだろうか?

 

  「あの……。 今日は集会の日でしたか?」


  トニーに尋ねられ、男性が答えた。


  「いや、 集会ではないのだが、問題が起こったようだ 」


  「えっ?! どんな?? 」


  二人は驚いて身を乗り出した。 男性は深刻そうな顔を浮かべた。


「あそこ、あそこに倒れた人が居るだろう… 」


  男性が指を差した。

  その先には、血だらけになって倒れ込む数名の人々の姿が……。


  「 どうやら隣町が襲われたらしい……。あの人達は、命からがら逃げて来たようだ 」


  「もしかして、帝国軍に逆らったのですか?? 」


  「わしも最初はそう思った。 だが、話を聞いてみると違う様だ 」


  「それは、どう言う事ですか?」


  ジェシカも、不安そうな表情で男性に問い掛けた。


  「どうも...…奴らは産まれたばかりの赤子を探しているらしい…。 何でもその子供は神の申し子だとか。 それで、隣町の者が ’そんな者は居ない’ と言ったら、奴らは 'この辺りに居るはずだ' と言い、町中に火を放ったと...。 逆らった者は殺され、町人の多くが連れて行かれたそうだ。 そして.......町は全焼してしまったらしい。……困ったものだ。 ここに来るのも時間の問題だろう… 」


  男性の言葉に、トニーもジェシカも言葉を失ってしまった。

  こんなにも早く、しかもこの様な手口でモロゾフの魔の手が伸びているなんて...…。とても二人には予想し切れて居なかったから。


  「あ、ありがとうございました 」


  トニーは慌てて礼を言うと、その場を立ち去ろうとした。

  その時、大きな声が響いた。


  「居たわ! 問題の子は、あの子に違い無いわ!!」


  叫び声が後方から聞こえた。

 声を聞き付けた住民達はジェシカの周りに集まり、取り囲む様に群がり始めた。

  その視線は鋭く、恨めしそうにジェシカを突き刺した。



  「どうしてくれるんだ! あんたが子供を産んだせいで、ここも襲われる!」


  「そーよ、どうしてくれるのよ 」


  「あんたが責任取りなさいよ!」


  次々に住人が怒鳴りつけた。

 それに同調する様に、周りの住人達もジェシカに怒りをぶつけ、罵り始めたのだ。

  小石がジェシカの頬に当たった。

 ジェシカはアベルをかばう様にしゃがみ込んだ。

 


  「早く、ここから出て行け!」


  「この、疫病神!」


  「とっとと消え伏せろ!」


  住民達の怒りは頂点へ…。

  トニーは、ジェシカとアベルに当たらないように自ら犠牲になり、小石を堰き止めた。

  トニーの体に当たり、次々に跳ね返される小石。

  ジェシカは必死に祈った。 アベルが傷を負わないように。と……。

 



  「止めなさい!!」


  その時、張りのある声が響いた。

  住民達はハッと振り向いた。

 そこには女性の姿が……。


  「あんた達がやっている事は奴らと同じじゃない! そんな姿、子供や孫達にどう見せるつもり! 憎いのはそこに居る人じゃない、薄汚ないアイツらでしょ?! あんた達はこのままでいいの? このままでは、皆いつか死ぬわ」


  女性は怒鳴る様な口調で叫び、人混みを掻き分けながらトニーとジェシカの前まで来た。


  「ごめんなさいね。怪我は無い?」


  ゆっくりと手を差し伸べる女性。

 ジェシカはその手を取ると、立ち上がった。


  「うん、大丈夫よ 」


  「あー良かった。無事で」


  トニーが安堵の表情を浮かべ、アベルの顔を覗き込んだ。

 アベルはニッコリと微笑み、無邪気にはしゃいでいた。 とても上機嫌の様子だ。

  小さな手が伸び、トニーの指を掴んだ。



  「今からここを出るのでしょ? ......これ、持って行って」


  女性が赤い巾着袋を渡した。 ズッシリとした重み。ジェシカは受け取ると、袋の中を確かめた。


  「 イクルの実、こんなに沢山......」


 袋には、貴重な木の実がはち切れんとばかりに詰まっていたのだ。

  ジェシカは申し訳なさそうな顔をすると、慌てて袋を返そうとした。


  「いいの。 私にも産まれたばかりの息子が居てね。でも、私のお乳が出なくて……。栄養を付けようと思い、木の実を採って来たけれど、 昨日、死んでしまったの.......。 だからもう必要ないの。 それに、息子だけじゃないわ。 ここに集まる大勢の者が愛する家族を失っている。 だから、さっきは貴方に辛く当たってしまって.....。本当に、ごめんなさい」


  「そうだったの...… 」


  ジェシカは涙を浮かばせた。

 彼女の話しがとても他人事とは思えなかったから。 もしもアベルが死んでしまったら…...。そう考えるとやり切れない気持ちで一杯になった。


  「この巾着、息子の為にも受け取ってちょうだい」


  「ありがとう。遠慮なく使わせて貰うわ」


 ジェシカが微笑んだ。


  「……ごめんなさい 」

 

  一人の住人が頭を下げた。

  他の者達も反省しているのだろう。 次々に頭を下げて謝り出したのだ。

  そんな住人達に、ジェシカが言った。


  「 もう謝らないで下さい。 もしも私があなた方の立場だったら、同じ事をしていたかもしれません……。 皆さんが、私と息子を追い出そうとしたのは、家族を守る為だと分かっていますから 」

 

 そんなジェシカに返す言葉も無いのだろう。

 町人達はただ、申し訳無さそうな顔を浮かべていた。

 

 女性が、ジェシカの手を握った。


  「お願い。 私達の為にも、必ず世の中を変えてくれると、そう約束して」


  「うん、息子さんの為にも約束するわ 」


 ジェシカは強く手を握り返した。



  「ところでよ……。 アイツらがここに来たらどうする?」


  町人の一人が言った。

 その言葉に、他の者達がざわつき始めた。


  「とにかく、早くここを離れた方がいいのじゃ?」


  「そんな事をしてもこの人数だ。直ぐに捕まるに決まってる」


  「じゃあ、どうしたらいいと言うのさ?このまま、ここで殺されるのを待て。とでも??」


  「嫌よ! ここを離れるなんて」


  「出て行きたい人だけ、出て行けばいいのさ」


  「しかし...。 出て行ったとしても、どうやって暮らして行けばいいんだ..... 」


  「どうしたものか......」


 人々の不安は深まり、ざわめき声は高まるばかり.......。



  「ねーみんな。 私の話しを聞いてくれる?」


  皆の視線が彼女に注がれ、ざわめき声が止まった。


  「この町を捨てて逃げたとしても直ぐに捕まると思うの。 だからここは、ひとまず皆で芝居を打たない?」


  話しの内容が理解出来ずに、首を傾げる住人達。


  「それはね..…その子と、私の息子をすり替えるのよ」


  突然の名案に、明るい顔をする者達。

 《逃げても、ここに残っても殺される。それなら一か八か。やれる事が有るならやるしか無い》

 そんな気持ちが、町人達の表情を変えた。

  女性が続いて説明した。


  「問題の子は死にました。という事にすれば、奴らも手は出さないはず。 息子には申し訳ないけれど、こんな形で皆を助けられるのなら、きっとあの子も喜んでくれるはずだから」


  深く頷く住民。


  「よし、そうなったら作戦会議するわよ」


  力強い声に皆は湧き上がった。


 それは、先ほどまでバラバラだった人々心を、たった一人の女性が繋ぎ合わせた瞬間だった。


 彼女がジェシカの側へ駆け寄った。


  「ここの事は大丈夫。私達に任せて。奴らが来る前に、少しでも早くここを離れた方がいいわ」


  「ありがとう。この恩は一生忘れない」


  「いいのよ。 あなた達が無事に帰って来る日を待っているわ」


  涙ぐむジェシカ。


 女性は大きく手を振ると、住民達の輪に入って行った。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 プロボの町を離れてから、既に二週間ほど経っていた。


  持ち合わせた食料は底を付き、トニーとジェシカは食べれそうな物を見つけては口にして、飢えと渇きを必死に凌いだ。

 

  体力と精神力は、とうに限界を超えていた。


 靴はボロボロに敗れて足の皮は捲れ、体中擦り傷だらけ。 とてもみすぼらしい格好に変わり果てていたのだ。

 幸い、女性から貰った木の実のおかげで乳が出なくなる事は無かったが、その実でさえ、残り僅かとなってしまった。


  そんな二人の前に、ようやく死の谷の入り口が見えてきた。


  そこは誰も近寄らないというだけあって、異様な雰囲気が.....。

 

 木々は高く生い茂り、太陽の光を遮断する様に重なり合い、時折風で揺れる木の葉がガサガサとざわめいた。 まるで《ここから出て行け》と、威嚇する様に......。

  それに昼間だというのに肌寒く、冷たい風が頬をかすめて通り過ぎると、背筋に寒気が走った。


 

  「うわぁ〜。気持ちの悪い所ね 」


  トニーは、オドオドしながら辺りを見渡した。 その首筋に、木の葉から水滴が落ちた。


  「ギャャャー!!」


  叫び声を上げるトニー。

  ジェシカは、クスッと笑った。


  「もう!笑い事じゃないわよ〜。 こんな所に仙人は居るのかしら?」


 身を縮めてジェシカの背に隠れるトニー。


  「トニーって、とても力持ちで強いのに、こーゆーのは苦手なのね」


  「……誰にでも苦手な物は有るでしょ〜。 相手がたとえ怪物でも立ち向かって行く自信は有るけど、どうもお化けや幽霊は苦手で…… どうしても行かなきゃダメ?」


  「 はい、勿論。 行かなきゃダメよ 」


  ジェシカはトニーを軽くあしらった後、 意地悪をする様に足を早めた。


  ジェシカから離れないよう、必死に後を追うトニー。

  その姿は、駄々を捏ねる子供のよう。




  そんな調子で、どのくらい森の奥へ進んだのだろうか…。

  やがて、前方に広がる雑木林の隙間から、明るい日差しが差し込んだ。


  「ねぇ見て、あの先には木が生えていないのかしら?」


  「そうね、人が住んでいるのかも?」


  トニーとジェシカは顔を見合わせると、光に誘われる様に茂みに駆け寄った。

 そして、隙間を覗いた。


  「……!!」


  二人は思わず言葉を失った。


  それは……とても想像出来ない。決して有り得ない景色が広がっていたからだ。



  一面に広がる花畑......。


 花園を横切る一本の小川。 その水面は緩やかにせせらぎ、宝石の様に眩く瞬いた。

 そして大空には、優雅に羽ばたく白い鳥の群が......。

 そこは、暗黒の世とは無縁の別世界だったのだ。


  トニーは、自分の目をまず疑った。

 そして頬を力いっぱいに抓ると、これは夢ではないと確信した。

 その瞬間、雑木林から飛びたした。


 足の痛みも、喉の乾きも、空腹さえも忘れて.....。

  全力で走って、走って、走り抜いた。


  やっとの思いで小川に辿り着くと、トニーは脇目も振らずに飛び込んだ。

  やがてジェシカも追い付き、川縁に座り込をで喉の渇きを潤した。


  トニーが、水しぶきを飛ばした。


  「やったわねー!」


  ジェシカは顔に掛かった水を払うと、負けじとトニーへ向けて水しぶきを放った。


 我を忘れて遊んだ二人は、その後、花畑に寝転んだ。


  「あ〜〜。長老にも見せたかったなぁ、この景色 」


  ぼんやり空を眺め、独り言の様に呟くトニー。 その眼差しは少し切なそう……。


  「きっと、長老さんの言った通り。ここに仙人が住んでいるのだわ 」


  「そうね。 早く探しにいかなきゃ 」


 二人は起き上がると、先へ足を進ませた。


  花畑の先に、青々と広がる農園が見えて来た。 トニーは急に足を止めた。


  「どうしたの?」

 

  「ねージェシカ。まさかとは思ったけど、あそこ! あそこにリンゴが!」

 

  興奮気味に言うと、トニーは一目散に駆け出した。


  そのまましばらく待っていたジェシカの元に、トニーが戻ってきた。

  両手には溢れるばかりのリンゴを抱え、顔には万遍の笑みを浮かばせながら。


  「ジェシカ、もう〜〜最高! あなたも食べてみて 」


  食べカスだらけの口を動かしながら、トニーはジェシカにリンゴを渡した。


  真っ赤に艶めくリンゴ。 食べずとも、甘く芳醇な香りが漂った。


  「リンゴなんて、何年振りかしら? それに、こんなに立派なのは初めてよ 」


  「もう!! 前置きなんていいから、早く食べなさいよ 」


  「誰かが育てた物を、黙って頂くのは偲びないけれど...。ごめんなさい。じゃあ、一口だけ…..」


「なっ、なんて甘いの!」


  驚き声を上げたジェシカ。

 気がつけば、手元にあったリンゴはもうヘタだけに...。


  「あら? 一口にするんじゃなかったの?

 」


  からかう様に笑うトニー。

 その周りには、幾つもの食べカスと、ヘタが散乱していた。

  腹も膨れて疲れも出たのだろう。

 トニーが苦しそうに寝転んだ。


 瞼が重くなったのか? ジェシカもアベルを抱えたまま、首をコクリとさせていた。



  「誰だ!!」


  その時、背後から怒鳴り声が……!!

  ビックリして起き上がるトニー。

 ジェシカも急いで振り向いた。


  そこには...…。

  一人の少年の姿があった。

 歳は十歳位であろうか? 金髪のショートヘアに清潔感溢れる身なり。 その風貌からして、プロボに住む子供とはまるで違っていた。

 そして何よりも印象的なのは、紫色の瞳。 その瞳が、警戒の眼差しで鋭く二人に向けられている...…。



  「ごめんなさい! 黙ってリンゴを食べてしまって」


  ジェシカが慌てて謝った。


  少年は二人に近寄ると、珍しそうにジロジロと見回し始めた。


  「見慣れない顔だな。それに何だ? この格好は?? お前達、よそ者だな? 何処から来た?」


 子供にしては生意気な態度に、トニーは腹を立て、ムッとした表情に。

  そんなトニーをかばう様に、ジェシカは答えた。


  「私達は遠い町からやって来ました。 仙人様をご存知ありませんか?」


  「こ、これは失礼しました!」


  少年の態度が一変した。


  「 仙人と呼ばれて居るのは私の父上です。私はその息子のスチュアードと申します……。父上のお客様とは知らず、あなた方に失礼な事を申してしまいました。」


  少年が深々と頭を下げた。


  仙人が居ると分かり、心を躍らせるトニーとジェシカ。


  「では、ご案内致します。」


  スチュアードに案内されるまま、二人は果樹園の中を進んで行った。


 やがて...。

 農園を通り抜けた先に、幾つもの建物が見えてきた。


  赤茶色のレンガ造りの家々。

 よく手入れされた庭からは、住民達の笑い声が聞こえ、無邪気に走り回る子供の姿が...。


 何故だか、ジェシカには時間が止まっている様に思えた。


  そして、ある建物の前でスチュアードは立ち止まった。


  「ここです。 どうぞ 」


 教会を思わせるような建造物。 その重い扉をスチュアードが開いた。


  扉の先に現れたのは、大きな花瓶に生けられた花々だった。

 色とりどりの薔薇は麗しく香り、ジェシカとトニーをもてなした。

 そのフロアを抜け、次に現れたのは礼拝堂だ。 そこはステンド硝子からこぼれる光が七色に輝き、眩いとばかりに部屋中を彩っていたのだ。


  「まぁ、何て美しいの... 」


  ジェシカは、思わず溜息を漏らした。


  「父上、戻りました 」


  スチュアードの声が建物内に響いた。


  やがて、一人の中年男性が現れた。


  その者は、白い衣に銀色の杖を携えていた。

  穏やかな表情と身のこなしは、気品溢れる紳士のようだ。


  「おぉ、戻ったか 」


  笑顔で駆け寄る男性。

  そして、トニーとジェシカの姿を見ると尋ねた。


  「あなた方は?」


  「私達は、遠いプロボの町からこの子を守る為にやって来ました 」


  ジェシカはそう言うと、アベルを男性に見せた。

  男性はしばらく黙ったまま、アベルの額に刻まれた青い印を見つめ続けた。


  「.......これは、選ばれし者だな。......ようやく会えるとは... 」

 

「では、この子の運命をご存知で?」

 

  「あぁ、知っているとも 」


  「えっ! ここは死の谷ですよね? 外の世界とは無縁なのじゃ?」


  トニーの言葉に、男性は笑って答えた。


  「私は、元々神の使いである天使だった。皆から恐れられている弟、モロゾフもそうだ」


  「えっっ...!!」


  トニーとジェシカは、とても信じれない。と、言わんがばかりに大きく口を開けた。


  「まぁ、驚くのも無理はないだろう...…。私と弟は、以前、神からの使命を受けて地上に降りて来たのだ。 だか途中、弟の心は悪魔に蝕まれてしまい、今でも人々を苦しめておる。 神はこの事態を食い止める為、私に役目を与えられたのだ。 それは弟から選ばれし子を守り、この世を再生する事。 私ども天界人が何とか出来れば話は早いのだが、弟は、天の力の源である 'アレセイアの鏡' を割ってしまった。 その為、我々の力も封印されてしまい、残念な事に、私もここを守るだけの霊力しか持ち合わせていないのだよ」


  エンドリューはそこまで話すと、再びアベルの顔を覗きこんだ。

  その時、ジェシカは思った。


  ...…仙人様の温かくて穏やかな顔。

 きっと、この町が平和なのも仙人様の人柄の表れなのでしょう...…。

  でも...…。 何て、酷く悲しい目をしているの??


  ジェシカは、エンドリューの中に灯る影を見た。



  「この子の名は、何と申す? 」


  「あっ、アベルです 」


  我に返り慌てて答えたジェシカに、エンドリューは温かい眼差しを向けた。


  「良い名だ。...…ここは安全だ。安心して暮らしなさい。 そして、この子が十六になった時、使命を果たして貰わなならん」


  エンドリューはそう言いながら、何度もアベルの頭を優しく撫ぜた。


  「あのっ...…」


  トニーが口を開いた。


  「何だね?」


  「どうしてこの町は、こんなに平和なのですか?」


  「そうだなぁ...…。外から来た者には不思議がられてもしょうがない。 この町には結界が張ってあるのだ。邪悪な心を持った者がこの結界に近づくと、中に入れないのは勿論だか、恐ろしい幻覚を見るだ。 死の谷と呼ばれているのも、そのためだろう 」


  「良かった。 無事に入れて...」


  トニーが胸を撫ぜ降ろした。

 


  「スチュアード、スチュアード 」


  エンドリューが声を高らげた。

 しばらくして、スチュアードが戻ってきた。


  「父上、お呼びですか?」


  「この方々に部屋を用意しなさい」


  「はい。父上」


 。。。。。。。。。。。。。。。



  スチュアードに案内され、二人は館内を歩いた。 長い廊下には小さなドアが並んでいた。

  それぞれの扉を開けて、スチュアードは説明した。


  皆が食事をするキッチンダイニング。 風呂場に書斎など...…。

  トニーとジェシカには何もかもが新鮮で、もの珍しい物ばかりだった。


  そして、 これから生活するであろう。小部屋へと通された。



  「こちらの部屋と、隣の部屋をお使い下さい」


  スチュアードがドアを開けた。

  そこには、白くて厚い布団が掛けられたベッドがあった。


  「夢みたい!! 本当にここで寝ていいの?」


  「はい。 父上が、好きな様に使って良いと言っておりました」


 トニーは大はしゃぎでベッドに飛び乗った。


 

 ジェシカは隣の部屋に入ると、アベルをベッドに寝かせた。

 そして...…ふと、また思い出していた。 エンドリューから感じた悲しみの影を。


 そうよね……。 いくら敵とはいえ、実の兄弟ですもの。 将来、自分の弟を殺すであろう人物が現れれば、誰でも複雑な気持ちになって悲しくもなるわ…...。

  でも.......何故なのかしら?

 まだ他にも何かがあるような気がする。

  きっと、私の考え過ぎね。 疲れているんだわ。



  ジェシカは小窓を開けた。

 

  「うわぁ〜 綺麗...…」


  目の前に飛び込んだのは、紫色のカーペット。 それは、びっしりと敷き詰められ咲き誇る、ラベンダーの花々だったのだ。

 

 話しに聞いた事はあるけれど、これがラベンダーの花ね。 まさか、本物を見る事が出来るなんて…...。


  ジェシカが溜息をこぼした。


  ラベンダー畑の先に目をやると、白いベンチが...…。

 そこには、一人の女性の姿があった。

  その人は、透き通る様な白い腕で、亜麻色の長い髪を掻き揚げた。


  綺麗な人….....。

 あの人は、仙人様の奥様なのかしら?



  その時……。そよ風が揺らぎ、ジェシカの元まで香りを運んだ。

  爽やかな香りに包まれて、ジェシカの心と身体は夢心地に浸った。


  そして、これから始まるであろう楽園での生活に、心を踊らせた。

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