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アベルの青い涙  作者: 天野 七海
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六話 希望の子

 

  幾年かが過ぎ…。


  若者だった青年もすっかり年を取り、今では白髪と髭の似合う老人になっていた。

 あれから、既に五十年近くの歳月が流れていたのだ。


  彼はとても働き者で、町の住人から愛され、信頼も厚く、今では「長老」と呼ばれるようになっていた。


  いつもと同じように暗い部屋に一人で入った長老は、人知れず神に祈りを捧げた。

  それは、あの『箱』を預かった日以降、一日も欠かさず行って来た日課となっていたのだ。



  あぁ神よ……。


 あなた様は私たちを見捨てられたのですか?

 私には、もう時間が有りません。どうか、どうかお願いです。 一日も早く希望の子に会わせて下さい。



  長老は、十字架を握りしめたまま床にひざま付き、硬く閉ざした瞼の隙間からは涙が溢れ、薄っすらと頬を濡らした。



  その祈りも終わろうとしていたその時……。何やら玄関の方が騒がしい事に気が付いた。


 どうしたのだ?


 長老がそう思った時、


  「長老、長老〜!!」


  甲高い声が響いた。

  声の主は養子のトニーである。


  トニーは大柄な男で、見た目によらず女性的な心を持ち、とても優しい青年だ。 幼い頃に両親を無くしてからというもの、長老が、トニーの親代わりを務めてきたのだった。


  「何だね? そんなに大きな声を出して?」


  長老は重たい腰を上げると、玄関の方までゆっくりと進んで行った。


  すると……。

 そこには、見慣れない顔の若い女性が立っていた。

  女性は長老の姿が見えた途端、切迫詰まった様子で身を乗り出した。


  「長老さん、ご相談があって来ました。

 どうか聞いて下さい!」


  「ほう、どうしたのじゃ?」


  不思議そうに首を傾げる長老。


  「私は、坂の向こうにある集落から来ました。名は、ジェシカと申します」


  「ほう……。そんなに遠い所から、はるばるわしに相談とは?」


 女性は慌てた様子で両手に抱えた布をめくり上げた。そこには、まだ生後間も無い赤ん坊の姿が。


  「私がお聞きしたいのは、これです」


  ジェシカは赤子の髪を掻き揚げた。

 すると、額には青い印の跡??

  それはよく見ると、涙の滴にも似た奇妙なアザであった。


  「これは……何か不吉な物なのでしょうか?」

 

  ジェシカは大きな目を見開き、長老の顔色を窺った。


  「こ、これは……」


  長老は固まった様に体が硬直した。

 その耳に、ジェシカの問いなど入る筈も無かった。 何故なら、一目で赤子が’希望の子’に違いない。と、そう確信したからだ。

  その瞬間、止めど無く涙が溢れ、長老はその場に泣き崩れた。


  「長老!?」


  長老の不可解な行動に、トニーは呆然とした。

  ジェシカは益々不安そうな顔に……。


  「やっぱりそうなのですね……。一体、どの様な惨事が起こると言うのでしょう? 私は、この先どうすればいいのですか?」


  「…… 」


 言葉が出てこない程、長老の胸はいっぱいだ。


「長老さん、どうか答えて下さい 」


 ジェシカに言われ、慌てて首を横に振る長老。


  「…………いや、悪かった。心配させてしまって」


  「では、不吉な事は起こらないと??」


  「そ、そうじゃ、その通りじゃ」


  その言葉に緊張が解れたのだろう。ジェシカは肩の力が抜けたようだ。

  長老は服の袖で涙を拭うと、ゆっくりと立ち上がった。


  「お前さんに話さないといけない事がある。さぁ、さぁ、上がっておくれ」




  古い木造作りの家屋は、床板が歩く度にきしんでは音を立てた。

  通された部屋には小さな窓が、そこから差し込む日の光が、壊れかけたテーブルを照らしていた。

 

  案内されるままにジェシカはソファーに腰を降ろした。

  布の一部が破れて中綿が見えかけたソファーは、不安定にジェシカの腰を包んだ。


  「トニー、アレを持って来てくれないか」


  長老はそう言うと、部屋の隅に置かれた戸棚を指で差した。


  「アレって…? もしかして、あの古臭い箱の事?」


  「そうじゃ、そうじゃ」


  長老が、大きく首を縦に振った。


  トニーが箱を長老の目の前に置くと、長老はジェシカの前まで箱を滑らせた。

  そして一息付くと、大きく息を吸い込んだ。


  「今から話す事は全て本当の話しじゃ。心して聞きなさい」


  ジェシカは、真剣な眼差しで頷いた。


  長老は、神から箱を授かった時の事、そして、希望の子が背負った運命について話した。

  ジェシカはとても信じられない様子で、呆然としている様に感じられた。

  長老は、そんなジェシカの手を、そっと握りしめた。


  「驚くのも無理は無いだろう。……ただ、どうかこの子の天命を受け入れてやってはくれないか……?」


  温かい眼差しで、長老は話した。


  「人は、誰もが天命と言う名の使命を背負って生まれておる。人により事の大小は様々だが、どんな者であろうとも、意味も無く産まれて来た者など居ない。必要で無い者などこの世に存在せぬのだよ。 ただ悲しい事に、大半の者がそれに気付いておらん……。 わしは、お前さんにこの話しをして、箱を渡す事が使命じゃった……。後はこの子と、その未来に掛かっておるのだ」


  そこまで話し終えると、長老は突然、床に座り込んだ。


  「頼む! この世を変えられるのはこの子しか居らんのだ。どうか分かっておくれ」


  「……長老さん、 分かりましたから起き上がって下さい」


  困った顔で長老に寄り添うジェシカ。


  「 正直、とても信じられません。 私の子がその様な星の元に生まれて来ただなんて……。 ですが、本当にこの子が選ばれた者ならば、きっと、私の使命はこの子を無事に育てあげ、見守る事なのでしょう」


  「そうか……。分かってくれたか」


  安堵の表情で起き上がった長老は、何度もジェシカに向けて頭を下げた。


  「長老さん、そんなに頭を下げないでください…… 」


  ジェシカは慌てて長老の腕を掴んだ。


「いいんじゃ、そうでもしないと気が済まぬ 」


「もう、わかりましたから…… 」


 ようやく長老が頭を下げる行為を止めた。


「でも……もし……。この子の存在を闇の帝国軍が知ったら…………」


  ためらいながらジェシカは言うと、そのまま黙り込んでしまった。


  「その事じゃが、わしに考えがある」


  「えっ!どんな??」


  身を乗り出すトニーとジェシカ。


  「トニー、お前はこれから二人にお供しなさい」

 

  「なっ!何を言うの?? 」


  突然の申し出に、トニーは戸惑った。


  「トニー、わしが身寄りのないお前を引き取り、師匠を付けてまで武術を学ばせたのは何故か分かるか? ……それは、この子を守る為じゃ 」


  トニーは黙っていた。

  長老には、返しても返しきれない程の恩がある。この申し出を断る事など出来る筈も無い。トニーは痛い位に分かっていた。しかし、年老いた長老を一人置いて行くには、心が重くて仕方が無い事も事実だった。


  「なぁに、そんな暗い顔をしよって」


  土の染み込んだ、シワまみれの黒い手がトニーの頭を優しく撫ぜた。


  「わしの事なら心配するな」


  「……わかりました。ですが長老、私が居ないからって、悲しまないで下さいね」


  「そう言うお前さんこそ、わしの事が恋しくなって泣くんじゃないぞ」


  「もう! 弱虫小僧は昔しの話しよ。いつまでも子供扱いしないで!」


  少し、ふてくされた口調でトニーが言った。


  「ところで……。この子が襲われる心配があるのなら、何処かへ身を隠した方が良いのではありませんか?」


  ジェシカが、二人の会話を遮る様に問いかけた。 その声に、先ほどまで朗らかだった長老とトニーの顔が、急に険しく変わった。


  「勿論じゃ。ここに居ては、じきに見付かってしまうだろう…… 」


  「では、どこへ行けば良いと?」


  トニーが、長老の顔を覗き込んだ。


  「それは……………。死の谷じゃ」


  「えっっー!!」


  「あの、入った者は二度と戻らないと言う死の谷ですか?!」


  トニーとジェシカは驚き、口をパクパクさせた。

  そんな二人の気持ちとは裏腹に、長老はコクリと頷いた。

 

  「長老、勘弁して下さいよぉ〜。私がお化けとか苦手な事、知っているでしょ」


  トニーは図体に似合わず、オドオドして落ち着かない様子だ。

  だが、確かに長老の言う通り。 ここが危険なら、どこへ行っても危険であると、二人にも理解が出来た。


  「死の谷は、皆が恐れる未知な場所じゃ。 だが……その一方では、仙人の住む楽園だと話す者も居るのじゃ……。 たとえそうで無かったとしても、この子が捕まってしまったら全てが終わってしまう。 そうならない為にも、どうか死の谷へ行っておくれ」


  「……はい 」


  ジェシカは深く頷いた。


  「今日はもう遅い。今から家へ戻り、明日の朝にでも出発すると良いじゃろう」


  長老がトニーの肩に手を置き、まるで念を押すかの様に瞳をじっと覗き込んだ。


  「トニー、しっかりと二人を支えるのじゃ」


  「わかりましたよ、長老」


  トニーは返事をすると、早速身支度を整えた。

 しかし持ち物は思ったよりも少なく、リュックサック一つ分程度。 トニーがそれを背負うと、リュックの肩紐が窮屈そうに食い込み、とても小さく、貧弱に思えた。

  長老は、トニーとジェシカを玄関先で見送った。


  「長老、どうかお元気で」


  「お前も達者でな……」


  長老は、無理に作り笑いを浮かべてみるが、その顔は何処と無く寂しげで、瞳を潤わせていた。

 

  トニーは、後ろ髪を引かれる思いで何度も振り返った。 それは、小さく手を振る長老の姿が見えなくなるまで続いた。

  そして見えなくなると、トニーは真っ直ぐに前を向き、一歩、一歩、まるで噛みしめる様に力強く進んで行った。

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