二十五 話 希望の明日
ニコールと別れてから数ヶ月が過ぎた。
今日もまた、いつも通りの朝だ。 木漏れ日が窓を透かしアベルの顔を照らした。
アベルは薄っすらと瞳を開けた。
……あぁ、また同じ夢か。 アベルの口から溜息が溢れた。
あれから町は活気付き、いつも人々の笑い声が絶え間なく響き、そして子供達は無邪気に遊んだ。
長年一人だった長老も、トニーとマリアという家族に恵まれて幸せそうだ。
しかし、アベルの心は一人取り残されたまま、胸の時計が止まってしまったようだ。 その秒針は幾度となく巻き戻り、あの日の横顔を鮮明に映し出す。
……どうしたんだろう……。
アベルは、痛みを押さえ付けるように胸に手を当てた。 しかし……その残像は、瞼を閉じる度に蘇る。 あの打ち上げ花火が空高く舞い上がる度に浮かぶ、ニコールの横顔を……。
……ニコール、君はどうして僕の夢にまで出てくるの? 僕は、君の事を思うと胸が苦しくなるよ。
「あら? トニーじゃない? 」
母、ジェシカの声が聞こえた。
「お邪魔します 」
トニーが家の中へ入って来たようだ。
バタン! 部屋のドアが開いた。
「トニーがどうして?」
アベルは目を丸くした。
「どうしてじゃないわよ。 まぁ〜〜呆れた。 こんな時間まで寝てたの? 」
トニーが、冷たい眼差しでベッドに横たわるアベルを見た。
「そんなの僕の勝手だろう。 もう収穫は終わったんだから、ゆっくりさせてよ! 」
ムッとするアベル。
「ところで、何しに来たんだよ? 」
「まぁまぁ、そんなに怒らないの。 ……実は、アベルに協力してもらいたくて 」
「何を?」
「それは、家に来れば分かるから 」
「え〜〜今から長老の家に行くの? 僕、朝食もまだなのに〜〜 」
「そんな心配しなくていいわよ。 ご馳走を用意しているから 」
「ご馳走?? じゃあ、直ぐ出掛ける準備をするよ 」
アベルは、ご馳走と聞いた瞬間に顔色を変え、急いで着替えを済ませて歯を磨いた。
二人は長老の家へ向かい、長い坂道を歩いた。
長老の家に着くと、庭で遊ぶマリアの姿が……。それも、同じくらいの背丈をした女の子と笑い合っている。 アベルは、その光景に心が温まった。 きっと、心の何処かでマリアの事を気の毒に思っていたのかもしれない。 そして思った。 ……僕がマリアくらいの頃、いつも稽古をサボって友達と遊んでいたっけ。 でも、トニーに何度叱られようとも遊ぶのを止めなかった。 僕にとって友達と遊ぶ事が特別な事だったからだ。 マリアはまだ幼い。 きっと、あの時の僕と同じはず。
「アベルーーーーー!!」
アベルの存在に気が付いたマリアは、飛び跳ねながら走って来た。
「マリア、友達ができたんだね 」
「うん! 」
「あの……はじめまして 」
栗色のオカッパヘアーの少女が、マリアの隣でぺこりと頭を下げた。
「あら? エミリーまた来てたのね 」
「はい。 マリアと遊ぶのが楽しくて。……ねぇ〜〜マリア 」
「うん! エミリー大好き! 」
小さな少女は互いの手をつなぎ合って微笑んだ。
トニーは、そんな二人に温かい眼差しを向けた。
「ねぇ、じゃあ……良ければエミリーも一緒にお昼しない? 」
「えっ! いいの?? 」
エミリーとマリアの瞳が輝いた。
「えぇ、もちろんよ 」
微笑み返すトニー。
「じゃあ、お母さんに聞いてくる 」
エミリーはそう言い残して走り去った。
そして、アベルにトニーそしてマリアは家へ入った。
「いらっしゃい 」
長老が出迎えてくれた。 その顔は、いつも通り温かい。
それにしても……いい匂いだ。 アベルの腹が鳴った。 それもそうだろう。 朝食も食べず待ちわびていたご馳走に、もう直ぐあり付けるのだから。
「こんにちわ」
アベルが笑顔を見せながら挨拶をした。
「待とったぞ。 さぁ、さぁ…… 」
長老が手招きをして見せた。
テーブルの上には、ありったけの料理が並んでいた。 これほど豪華な食事はプロボに来て初めてだ。 もしも……これに匹敵するのであれば、あの、バーニャでの食事以来だろう。
「どうしてこんなに??」
驚いたアベルは口をポカンと開けた。
「フフフ……。 まぁ、いいじゃないか 」
意味ありげに目を細め笑みを浮かべる長老。
「さぁ、掛けなさい 」
長老が椅子を引いた。 その仕草に合わせて腰を下ろすアベル。 と、その時 「マリアーーー 」外から声が聞こえた。 きっとエミリーだろう。 マリアは急いで席を立ち玄関まで走った。
「エミリー、来てくれたのね 」
「うん!」
「お母さん、いいって? 」
「うん! ちゃんとお礼を言いなさいよ。 だって…… 」
そう言ってエミリーは無邪気に笑った。
「お邪魔します 」
エミリーはマリアに連れられ台所へ入ると、テーブルの椅子に腰を下ろした。
「やあ、エミリーも来てくれたか 」
二人の姿を見て何度も頷く長老は、一枚の皿を差し出した。 そこに盛られていたのは……あの、グリーンピースの入ったピラフだ。
「これは…… 」
アベルが呟いた。
「今日、アベルに協力して貰いたいのはコレなのよ 」
ピラフの皿を指差すトニー。
「マリア、もう平気だもん!」
マリアは頬を膨らませ、自分の目の前へ置かれたピラフを睨みつけた。
「マリアがちゃんと食べるところを僕に見て欲しい。 そう言う事? 」
トニーの顔色を伺いながら尋ねたアベル。
「そうよ 」
静かに頷くトニー。
「マリアは、このご飯が嫌いなの?」
エミリーがマリアに聞いた。だが、マリアは返事をする間も無くピラフをスプーンにすくい上げると口へ運んだ。 そして、モグモグと頬を動かして飲み込んだ。
「マリアーーー!」
感激のあまりトニーがマリアに抱きついた。
「ね、言ったでしょ。平気だって 」
マリアは得意げに笑ったが、その目は真剣だ。 相当無理をしたに違いない。
「ねぇ、おじちゃん。 どうして嫌いな食べ物があっちゃいけないの? 」
トニーに尋ねるエミリー。
「そうね、嫌いな物は誰にだってあると思うわ。 でも、考え方次第で好きになる事だってあるのよ。 いけないのは、初めから嫌いだと決め付ける事よ 」
「へぇ〜〜。 でも、どうしてダメなの?」
「じゃあエミリーに聞くけど、貴方が大きくなるまでに、どの位の命が必要だったと思う? 」
「どうして命とエミリーが関係あるの?」
目を丸くしたエミリーは、トニーの顔をじっと覗き込んでいた。
「それはね、このピラフ。 この一枚のお皿にどれ程のお米が使われているのかしら? 例えば、この一粒のお米が調理されずに生きていて、土に植えたらどれ位の新しい命が生まれたと思う? ほら、そこのパンだって、小麦の種を練って焼き上げた物よ。 それに、この焼き魚だって生きていれば子供を産んだでしょう? こういった食べ物を私達は毎日食べているの。 エミリーが生まれてから今日、この日までに頂いた命は数え切れない。 私達の命は限り無く尊い命の上に成り立っていて、決して生きている事は当たり前じゃない。 生きているというよりは、生かされている。 そう言った方が正しいのかもしれないわね。だから、感謝しなきゃいけないのよ。 こうして食事が出来る事にね 」
言い聞かせるように話したトニーは、溜息を吐いた。
「マリアね、トニーの言っている意味が分かった。 だって……初めてトニーに会った時、ひどい事を言ったからでしょ? 」
「ひどい事って?」
エミリーが不思議そうにマリアの顔を覗き込んだ。 マリアの顔は真っ赤だ。
「マリアね、”生まれて来なければ良かった” そう言ったの。それに ”死んでやる” とも言ったわ 」
「えっ? 本当に??」
とても信じられない。そんな顔で聞き返したエミリー。
「そうよ。でも分かったでしょ? マリアの命は多くの命に支えられているって、だから、簡単に死のうなんて考えちゃいけないのよ。 もしも死んでしまったら、今まで犠牲になってきた命はどうなるの? それに、世の中には生きたくても生きられない人だって沢山居るのよ 」
トニーはそう言うと、優しい眼差しをしてマリアの手を取った。
「うん……。今は死にたいなんて考えていないし、それより、お母さんに感謝したいと思ってる。マリアを産んでくれてありがとうって…… 」
マリアの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「トニー、もういいじゃないか。 マリアだって分かったみたいだし 」
アベルがじれったく思ったのか? とても待ち切れない様子でスプーンとフォークをテーブルに叩きつけた。
「そうね、じゃあ食べましょう!」
「いただきます〜〜 」
皆は食事を始め、会話を楽しんだ。 その微笑ましい笑顔……。
そんな時、アベルはふと思った。 ……あぁ、ニコール。今ここに君が居たら何と言うだろう……。 マリアには友達が出来た。 それに、嫌いな物も食べれるようになったんだ。 君はいつも缶詰やレトルト食品ばかり食べているだろ? きっと、この焼きたてのパンを食べたら喜んでくれるよね? ……僕の目に映る物、そして、僕の感じた事全てをニコール、君に知って欲しい。 でも……僕には君に伝える術も無い。 今君は、そんな僕の事を少しでも思ってくれているのだろうか?
その時、アベルの脳裏を過ぎった。 あの、別れ間際にニコールが告げた”さようなら”の言葉。 それは、まるで木霊するかの様にアベルの中で響き続けた。
『会いたい』心の底から思った。『会いたいけれど会えない 』たったそれだけの事が、こんなに苦しくも切なく胸を締め付けるという事を、アベルは初めて知った。 その時、モロゾフの悲しみや苦しみが分かったような気がした。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
いつも通り農作業を手伝うアベル。 今日は、町一斉の行事である土起こしの日だ。 しかし、アベルは作業に身が入らず目は虚ろ、話し掛けられても言葉は宙を舞い上の空。 その姿は抜け殻のようだ。
「ねぇ、最近アベルの様子がおかしくない? もしかして病気?」
トニーが隣に居たジェシカに声を掛けた。 しかし、ジェシカはそんなアベルに目を向けるとクスッと笑うだけ。
「ジェシカ、笑い事じゃ無いわよ。 本気で心配してるんだから! 」
「トニーは本当にアベルが病気だと思うの?」
「そうよ、だから聞いているんじゃない。 もしも病気じゃ無いなら、何か心配事があるんじゃ?」
「そうね〜〜。 半分当たりで、半分外れているわね 」
「何それ?? 私にはさっぱり分からないわ。 もったい振らないで早く教えてよ! 」
トニーがせがみ、ジェシカに迫った。
「そーね。どう説明すればいいのか分からないけれど、病気と言えば病気だし……。 でもそれは、どんな薬を使っても治す事が出来ない病なのよ 」
「えっっ?! それって、もしかして不治の病いじゃ? 」
「もう! トニーったら心配性なんだから。 違うわよ、あれは恋煩いという病気よ 」
「なんだ〜〜。 もう!ビックリさせないでよ。 でも、一体誰に??」
肩の力が抜けたトニーは、キョトンとした眼差しでジェシカを見つめた。
「それは、そのうち分かる事よ。 ……私にもそんな頃があったわ、懐かしいわ。 いつの間にかアベルもそんな年頃になったのね 」
ジェシカは、息子の成長を喜びながらも少し切ない顔をした。
その時、遠くで声がした。 ジェシカは坂を見下ろした。
「ほら、噂をすればよ 」
ジェシカの笑顔の先に小さな人影が……。 それはニコールだ。 何と、ニコールが長い坂道を駆け登って来るではないか。
アベルも声に気が付いて後ろを振り返った。 そして、ニコールの姿を確認すると何度も目を擦った。 でも、それは紛れもなく夢にまで見たニコールだ。
アベルは脇目も振らずに走った。 今、心に思う事は ’もう、これ以上ニコールと離れたくない’ そう強く思う願いだ。
ニコールの元へ走り着いたアベル、その口から言葉が飛び出した。
「ニコール、また会えるよね? 今度はいつ会えるの?」
その問いに、ニコールは思わず吹き出した。
「アベルって変なの。 会って直ぐいつ会えるか聞くなんて、どうかしているわ 」
「そんなに笑う事無いだろう? 人が真剣に聞いているんだから 」
アベルの言葉と態度に、ニコールは満足そうな顔をした。
「これからは、ずっと一緒よ 」
「えっ、本当に?? もしかして嘘じゃ無いよね?」
「えぇ、宜しくお願いします。 町長さん 」
ニコールが頭を下げた。
ニコールとの再会。 そして、これからは一緒に居られる。
……どうか、これが夢でありませんように。 アベルは心の中で何度も祈った。
「私ね…… 」
「なに?」
「うん、あのね……旅に出る前迄は、パパと二人で博物館で暮らして行こうと決めていたの。 だって……今まで人との関わりなんて必要無いと思っていたから。でも、皆んなと旅をして分かった。 仲間っていいなぁ〜〜ってね。一緒に泣いたり笑ったり。 たまに喧嘩もするけれど、私にとって掛け替えの無い存在になっていたの。だから、ここで暮らしたい 」
「僕も嬉しいよ!」
アベルは嬉しくて、思わずニコールの手を握り締めた。
「……それでね、今はこう思うの。 平和を取り戻す旅はここから始まった。 なら、私は失われた文明を取り戻す一歩をここから始める。 そう決めたの 」
町外れの草原に、一台のGT機が現れた。
ニコールとアベルは大きく手を振りながら草原へ走った。
二人が辿り着くと、そこには大型機と小型機が並んで停まっているのが見えた。
「あれ? あれはあの時の…… 」
「そうよ、私の相棒。 バージョンアップして早く飛べるようになったのよ。 修理するの大変だったんだから 」
自慢げに語るニコール。 その横顔を愛しそうに見つめるアベル。
「何よ?私の顔に何か付いてる? 」
「あぁ……いいや何も 」
「分かった。 私が美人だから見惚れていたんでしょ? 」
「…… 」
「ねぇ、あの時の約束を覚えてる? 」
「うん、覚えてるよ 」
「よかった! 」
アベルの返事を聞いたニコールは、喜びながらアベルの腕を引っ張った。
「じゃあ決まり! 今から出発するわよ 」
「えっ? 今すぐに?? 」
その時、大型機の扉が開き中からニコールの父が現れた。 その姿を確認したアベルは急いでお辞儀をした。
「私が町の人達に話しておくから、安心してニコールと行っておいで 」
父はそう話すとニコールに目で合図を送り親指を立てた。
「でも……色々と準備が…… 」
浮かない顔をするアベル。 すると、ニコールは小型機の座席に置いてあった大きなカバンを手でパンパン叩いた。
「大丈夫。 アベルの好きな缶詰、こんなに持って来たんだから 」
ニコールがカバンを開いた。 中にあったのは食料や水の入ったボトル。それもはち切れるばかりに……。
でも、アベルは不安な顔のままだ。
「行くの?行かないの?? ……もういい!嫌なら私一人で行くわよ! 」
ニコールはムッとしてアベルを睨んだ。 アベルは、そんなニコールの腕を力強く引き寄せた。
「一人では行かせない。 もう……離れたくないんだ 」
そう言い切ったアベルは、勢いよく小型機に飛び乗った。
二人を乗せた小型機は浮き上がった。 下を見下ろすとニコールの父が大きく手を振っている。 ニコールが小さく手を振り返した。 そして、機体は雲の中へ飛び込んだ。
「ねぇアベル、私達の新しい旅が始まるわね 」
「うん、どんな事が起こるのかワクワクするよ。 ……ところで、何処へ向かってるの? 」
「実は、ある所へ行ってやりたい事があるの 」
そう言ったニコールは、後部座席に置いてあった小さな巾着袋に手を伸ばした。 アベルは受け取り中を覗いた。 そこには、木の実や植物の種がぎっしりと詰まっていたのだ。
「これは?」
「今から私が生まれた町に行って、その草木の種を埋めるのよ。 いつか……動物や人間が住める町になりますようにって願いを込めてね 」
「それはいい考えだよ! 人が住めなくなってしまった土地でも、僕達の手で生まれ変わるんだね 」
「そうよ。 だって……これから歴史は私達が創って行くのよ。 文明を取り戻すのも大切だけど、他にもやらなきゃいけない事は山ほどあるわ 」
「そうだね。 小さな事からコツコツとって言うもんね 」
「そう、その通り。 もしも……全ての人、ひとり一人に生まれて来た意味が有る。と言うならば、私は迷わずこう答えたい。 私が生まれて来た理由は、人類の文明を取り戻して地球を再生する事だと……。 ゴメン、格好付けちゃった 」
ニコールはおどけた顔をするとペロリと舌を出し、二人は笑い合った。
これから作る未来はどんなんだろう……? アベルの胸は、期待と希望で弾んだ。
ニコールが隣に居て微笑んでいる。 そう思っただけで幸せな気持ちになれた。
そして今、止まっていた胸の振り子は、再び時を刻み始めた。
完
地球……。それは、生命を育む大きな揺り籠。
人は緑に癒され、微風を感じると心が清々しくなる。 それに、花が咲く季節には心が弾み、悲しい時に流す涙は塩っぱくて海を眺めたくなる。 それは、誰の心にも地球があって、自らが地球の一部だからなのかも知れない。 その、掛け替えのない地球という名の星。 それが汚れてしまった時、人の心も汚れてしまうのではないだろうか?
私は宗教家では無いので「神様は居るのか?」そう聞かれても実際の事は分かりません。 ですが、この物語が浮かんだ時にその存在を感じたような気がします。 十二話にある”役目”と”天命”についても、神の存在を感じなければ書けなかったでしょう。 でも本当は、神様は人の心に宿るのかもしれません。 昔から「心には天使と悪魔が住んでいる」そう言いますよね? 皆が地球の一部で皆が兄弟。 そんな思いやりの心を持ち、過去を振り返る事が出来たなら、きっと未来は明るくなるのではないでしょうか?
最後まで ”アベルの青い涙” を読んでくださった事に感謝致します。
皆さんに幸せが訪れますように。 微力ながら祈りたいと思います。
長い間、本当にありがとうございました。
天野 七海




