二十二話 新たな旅立ち
エンドリューとスチュアードは、天界へ行く準備をしていた。
アベルは、トニーとジェシカと共に生まれた町であるプロボへと向かう事に。 トニーは長年離れ離れになった育ての親である長老の事が気掛かりで仕方が無かった。
ラミダスは、マガルの村に戻り住民達にバーニャ国へ移り住む事を話す為、早く村へ戻らなければならず、焦っていた。 住民達は安全な場所に移動して居るが、きっとラミダスは皆が襲われて居ないか心配なのだろう。 マリアは迷っていたが、エンドリューの勧めで死の谷で生活する事を決めた。 しかし、残してきた動物達に事情を説明する為に一度戻らなければならない。
ニコールも、一人残したままの父の事が気になっているようだ。
アベルと仲間達も身支度を整えた後、死の谷の住人達に別れを告げる事にした。
見送りに集まった者の中には、アベルにとって幼少時代からの懐かしい顔ぶれが多く、アベルは友と抱き合ったりしながら別れを惜しんだ。
スチュアードの顔は、思ったよりも穏やかだ。
「スチュアード、また会おう 」
アベルの言葉に、スチュアードは微かに笑うと「あぁ…… 」そう返事をしてみせた。 アベルは、そんなスチュアードの姿に少しだけ安心して微笑み返した。
皆に見送られながら大型に乗り込むアベル達。
GT機は皆を機内に収めた後、バタンと音を出し扉が閉まった。 そして……住人達が見守る中、大型飛行船は青空の中へ飛び去った。
「ルートで言えば、アベルの生まれ故郷が一番近いわ 」
ニコールが後ろを振り向きながら言った。
「わかった 」
頷くアベルとトニー。
大型機は風や雲を切り、物凄い速さで飛行した。
アベルは窓の外を流れる雲をじっと眺め続けていた。 だが……。 今、その瞳に映っているのは外の景色では無く、鮮やかな残像……。 仲間と過ごした日々が浮かんでは消え、まるで走馬灯のように目まぐるしく瞳の奥を駆け抜けていたのだった。
やがて……。
見える景色が変わり始め、前方は金色に染められた。
「ジェシカ、町が見えてきたわよ」
興奮しながら声を上げるトニー。 その言葉にジェシカはフロントガラスを覗き込んだ。 確かにプロボの町、一面に広がっていたのは収穫まじかの麦畑だ。
「本当ね、私達の故郷だわ 」
ジェシカの瞳が輝いた。
機体は速度を落とし始め、プロボの町から少し離れた草原の上まで来ると着陸態勢に入った。
ラミダスが席を立った。
「アベル、トニー。 また会おう 」
「うん! もちろんさ 」
「ラミダス……。 結婚式、楽しみにしているわ。 きっと貴方も村の人達も幸せになれるわ 」
「ありがとう……。 トニー 」
トニーがラミダスの前に手を差し伸べ、二人は握手を交わしながら笑い合った。
着陸した機体の扉が開いた。
アベルとトニーの元へ駆け寄るマリアとニコール。
「ねぇ、アベル 」
「ニコール、なんだい? 」
ニコールが微かに頬を染めた。
「あのね。 本当にありがとう……。 それから、約束忘れないでね 」
ニコールはそう言ってアベルの頬にキスをしたではないか。
「……?! あっ…うん 」
アベルは突然の出来事に驚き、目を見開いているだけだ。
弾みだったのだろうか? ニコールはまるで弁解するかの様に口を尖らせた。
「勘違いしないで、ただの挨拶よ 」
ニコールはふてくされた顔で言うと、トニーと目を合わせた。
「トニー、あなたとは喧嘩ばかりだったわね。 でも、あなたの事大好きよ 」
「私こそ……。 ニコールの事を憎たらしい小娘と言って悪かったわ 」
トニーがニコールに抱き着いた。
マリアは涙を浮かべてトニーにしがみ付いている。 きっと、別れが辛いのだろう。
そして……。アベルとラミダスは向き合い互いに握手を交わした。
「俺ら……ずっと仲間だ 」
「うん……もちろんさ 」
ラミダスが微笑んだ。
アベルは何を思ったのか? 頭に巻かれた青いターバンを外し始めた。 すると、アベルの額には青い紋章が……。 旅が始まって以来、一度外した事が無かったターバン。 兵士に捕まった時にも、このターバンのお陰で命拾いした。 と言っても過言では無いだろう……。 たった一枚の布切れ。 だが、そこには息子の事を思う母の優しさが刻まれていた。
「これは、僕達の友情の証さ。 受け取ってくれるね? 」
ラミダスの前にターバンを差し出したアベル。
「あぁ……。 ありがとう、大切にする 」
ターバンを受け取ったラミダスは、早速自分の額に巻き付けた。
アベルとトニーは後ろ髪を引かれる思いで鉄の扉から外へ出た。
マリアが扉の向こうで手を振っている。
「また迎えに来るから!!」
ニコールの声が機体の中から響いた。
その後、鉄の扉はゆっくりと締まり、機体は空へと飛び立った。
アベルは、大型機の姿が見えなくなるまで空を眺めて見送り続けた。
「アベルーーー!」
トニーとジェシカの声。
アベルは二人の元へ駆け寄ると、初めて目にする生まれ故郷の道を一歩づつ歩き始めた。
やがて……草原を抜けたアベルの目の前に、麦畑が広がった。
稲穂は夕日に映えて、そよ風に揺られる度に波打った。 それは……まるで黄金色に輝く海のよう。
「トニー、懐かしいわね 」
「えぇ……。 私とジェシカが初めて会った日の事を思い出すわ。 あの日もこんな夕日でした。 その頃、まだアベルは生まれたばかりで……。どんなに月日が流れても、この景色はあの頃のまま何も変わっていないわ 」
トニーは、うっとりとした眼差しで麦畑を見つめた。
アベルもその美しさに思わず息を飲んだ。 どうやら見惚れてしまったようだ。
微笑みながらアベルの顔を覗き込むジェシカ。
「この景色はね、あなたのお父さんが一番好きな景色だったのよ 」
「えっ?! 父さんが? 」
「そうよ 」
ジェシカは昔を思い出しているのだろうか? その瞳は麦畑を捉え続けていた。
突然、慌てた様子でトニーが言った。
「ねぇ、のんびりして居られないわ! 長老の事が心配で……。 私がここを去ってから既に十六年の月日が流れてしまった。 どうしているのかしら? 」
「そうね。 早く行きましょう! 」
三人は長老の家へと急いだ。
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懐かしい家があった。
前よりも古びた感じがしたが、そこはトニーが過ごした長老の家だ。
トニーはドアの前に立つと、一息置いてからドアを叩いた。 その手は微かに震えている。
しばらく待っていると 「誰かな?」聞き覚えのある声がした。 その瞬間、トニーは勢い良くドアを開けて玄関先に立つ長老を見るなり飛び付いたのだ。
「なぁっ……!!」
長老は驚き、声にも成らぬ喜び声を上げた。
「トニーなのか?」
「長老、帰ってきました 」
「うっ……トニーよ、トニーよ 」
長老は嬉しさの余り泣き濡れた。 そして……アベルの存在に気がつくとじっと見つめた。
「この若者が、あの日の赤子なのか? 」
「はい。 私の息子アベルです 」
ジェシカが答えると、長老は目を細めて震えながらアベルの手を取った。
「この日をどれだけ待ちわびた事か……。 あんなに小さかった赤ん坊が、こんなに立派な少年に育つとは……。これは夢か?」
「いいえ、夢ではありません 」
アベルの答えを聞いた長老の頬を、大粒の涙が伝い落ちた。
「私、長老がどうしているのか心配で、……本当に無事で良かった!」
長老の目元が歪んだ。
「わしは元気じゃ。 老人扱いしよって 」
皮肉を言いながら返事をした長老だか、その目は優しくて温かい。
「さぁ、長旅で疲れたじゃろう。 今夜はここに泊まりなさい。 話も聞かせてもらいたいしなぁ 」
長老はジェシカとアベルを家に迎え入れて食卓へ招き、テーブルに食事を用意した。
その晩は、旅での出来事や死の谷での生活の話しで盛り上がった。 随分と長い間一人で生活していた長老にとって、これ程までに明るい食卓はトニーが町を去って以来の出来事だ。 それに、アベルの話す冒険話しにはジェシカは勿論、長老も驚く内容ばかり。
次の朝、 長老とトニーに挨拶を済ませたジェシカとアベルは家へと向かった。
麦畑に白壁の家……。
プロボの町は、アベルにとって見慣れない景色ばかりだ。 ジェシカは町の風景を見ながら昔話しを聞かせてくれた。
話しているうちに集落が見えてきた。
「あっ…… 」
突然、ジェシカが走り始めた。 そして、一番手前に見える家に辿り着くとドアを開け中へ入った。 アベルも母の後ろを追った。
家の中には粗末な家具や食器が……。 その様子はジェシカが去った日のまま。 まるで主人の帰りを待ちわび時間が止まっているようだ。
ジェシカはすぐさまカバンから写真立てを取り出した。 そして戸棚の上に溜まったホコリを手で拭い去り、その上に置くと目を閉じた。 何か祈っているみたいだ。
アベルには何が何だか分からずに、じっと立ったままでいた。
そして……ジェシカが後ろを振り向いた。
「ここが、あなたの家よ。 今、私が何を祈ったか分かる? 」
母の祈りなど分かるはずも無く、アベルはキョトンとした眼差しを浮かべている。
「私があなたを連れてこの家を出た日、約束したの。 必ず帰ってくると……。 その願いが叶った。 だから、お礼を言ったのよ 」
「えっ? お礼って、誰に? 」
「それはね、あなたのお父さん。 ……ちょうどここを出る時にね、風が吹いたの。 窓は閉めていたし風が入るはず無いのにね。 ……その時、はっきりと分かったわ。 見えなくても側に居るんだと 」
ジェシカは上機嫌な様子だ。
その日は家中の掃除に追われた。
アベルは積もった埃を叩き、濡れた雑巾で床を磨いた。
……この家は、僕と母さんが去ってからもずっと帰りを待ってたんだ。 それも、こんなに埃に塗れて……。
十六年間の積もり積もった埃……。 その時、アベルは感じたような気がした。 自分が生まれてから今日という日までの歴史を。
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掃除が終わり、気分転換をしたくなったアベルは散歩をする事にした。
……あっ、緑の匂いだ。
風が草の香りを運んだ。
アベルは思いっきり深呼吸した。 胸いっぱいに空気を吸うと何だか清々しい気分だ。
そよ風が心地良く通り過ぎては黄金色の稲穂を優しく揺らした。
麦畑で収穫している人を見かけた。 その男性はアベルに気がつくと作業する手を止めて近寄ってきた。
「君、見掛けない顔だね。 何処から来たんだい? 」
思いも寄らない質問に、アベルは戸惑った。
「……僕は、今まで旅に出ていました。 ここが生まれた町と聞いて戻って来たのです 」
「……?!」
その時、町人は見た。 アベルの前髪の隙間から覗く青い紋章を……。 その瞬間、男性の脳裏に十六年前の記憶が蘇った。 あの日あの時、ジェシカとアベルを町から追い出そうとした時の事を……。
男性は、あの日の赤子が目の前に居ると分かると居ても立っても居られず、慌てた様子でアベルの腕を掴んだ。
「君の名前は?」
「アベルと言います 」
「そうか……そうか……。じゃあアベル、君のお母さんは元気かい? 」
「はい、元気です。 母もこの町に戻っています 」
「良かった〜〜 」
とても安心した様子の男性だったが、 真剣な眼差しに戻ると恐る恐る聞き返してきた。
「……君がこの町に居るという事は、もしかして……魔王は死んだのかい? 」
……どうしてこの人は知っているのだろう? アベルは不思議に思ったが 「はい、そうです 」そう胸を張って答えた。すると男性は、アベルの腕を掴んだまま飛び跳ねた。
アベルはその時、初めて実感した。 モロゾフを葬った事で訪れる平和な世界を……。
「アベル、君に合わせたい人達が居るんだ。 お母さんもここに呼んでくれないかな? 」
男性は落ち着かない様子だ。
……どうしてこの人は、こんなに慌てているのだろう? アベルには分からなかった。
「はい、母を呼んで来ます 」
「そうか! 呼んでくれるか!! これは凄い事になるぞ〜〜 」
笑顔を浮かべた男性を後にして、アベルは家路へと戻って行った。
。。。。。。。。。。。。。。。。。
呼び出されたジェシカは、アベルと共に先ほどの麦畑に向かった。
そこには、既に大勢の人が集まっていたのだ。
「あっ……!」
ジェシカが声を上げた。 そこには、十六年前ジェシカを危機から救ってくれた女性の姿があったのだ。
ジェシカに気が付いた女性は笑顔で駆け寄ってきた。
「おかえりなさい 」
「……ただいま」
遠慮気味に返事をするジェシカ。 きっと、他の町人達に気を使ったのだろう。
「君が世界を救った救世主ね。 名前は何て言うの? 」
「僕は、アベルです 」
「いい名前ね〜〜。 私はルーシー。 よろしくね 」
ルーシーは名を名乗ると右手を差し伸べ、アベルと握手を交わした。
「あなた達が世界を変えてくれると私は信じていたわよ。 も〜〜あれから大変だったんだから! 」
「あれからどうだったの??」
真剣な眼差しで、ルーシーに聞き返すジェシカ。
「色々あったわよ。 まぁ、積もり積もった話しもあるし、今夜は皆で盛り上がりましょう! 勇者の帰還祝いよ 」
「賛成!!」
町人達の歓声が上がった。
「ねぇ、いいの? 」
心配そうな顔を浮かべるジェシカ。
「いいって? 当たり前じゃないの。 だって、もう魔王は居ないのよ。 今回収穫した作物も奪われる事が無くなったんだから、遠慮は要らないわ 」
「そーね 」
ルーシーとジェシカは、顔を見合わせて笑っていた。
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その日の夜。
プロボの町では、アベルとジェシカの帰省を祝うパーティが開かれた。
人々は陽気にダンスを踊り、アベルにジェシカ、そしてトニーの前には次々と料理が運ばれた。
アベルの周りに群がる子供達。 どうやら握手をして欲しいようだ。
アベルは照れ臭そうに顔を顰めて子供達と握手を交わした。
ルーシー達とテーブルを囲むと、昔話しに花が咲いた。
母の隣で話しを聞いているだけのアベル。 その内容は分からない事が多かった。 だが、一つだけ分かる事があった。それは、母や自分を町から追い出そうとした人達も、家族を守る為に必死だった。 という事。
町の人達は当時の記憶が無いアベルにも頭を下げて謝ってきた。 でも……。アベルはそんな事より、今、こうして町の人達が幸せそうにしている事の方が嬉しく感じられた。
武勇伝を聞かせて欲しい……。
そんな声が次々に挙がった。 アベルは恥ずかしくなったが、皆の前で話しを披露する事にした。
拍手と歓声の中で向けられる熱い視線は、アベルの胸を高鳴らせた。
話しが始まると、人々は釘付けになった様に瞬きさえも忘れて聞き入っていた。
特に魔王モロゾフの出現シーンになると、あまりの怖さに泣きだしてしまう子供も……。 そして、魔王を倒すシーンでは、歓声が飛び交い皆がアベルを称えた。
話しも終わり落ち着きを取り戻すと、何を思ったのか長老が皆の前に立った。
「えっへん!」
大きく咳払いをする長老。 その声に、皆が振り向いた。
「わしは、長年に渡り町を見守ってきた。 だが、もう歳だ。 そこで……皆に提案があるのだが、この町の町長にアベルを起用しようと思う。 皆の意見はどうかね? 」
思いも寄らない長老の申し出。 アベルは驚いた。しかし、それも束の間。大歓声と拍手の渦が湧き上がり、町人達はアベルを取り囲むと胴上げを始めたのだ。
その様子を満足そうに見つめる長老。隣にはトニーが寄り添って微笑んだ。
「長老、これからは町の事ばかり心配しないで、ご自分の体をいたわって下さいね。 ずっと私が長老のお供をしますから 」
トニーと長老の仲むつましい会話にジェシカは思わず笑みを浮かべた。 そして、アベルの姿を見た。 すると……涙が溢れた。 ジェシカは嬉しくて仕方が無かった。 旅に出る前のアベルは頼りなく、嫌な事は直ぐに放り投げて逃げてしまう……。もう、その頃のアベルは何処にもいなかった。
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それから数日が過ぎた。
いつもアベルの周りには住人達が集まり、常にそこには笑顔があった。
そんな町人達の人柄もあって、アベルは町での生活に慣れ親しんでいた。
アベルは率先して農作業を手伝った。
土に塗れながら汗を流し、麦の収穫に追われる毎日だ。
しかし、その一方……。 心の中では旅の仲間達がどうして居るのか気掛かりで仕方なかった。
……ニコールはどうしているだろう? お父さんと元気にしているだろうか?
ラミダスは、村の人達を連れて無事にバーニャへ行けたのだろうか?
スチュアードは元気? 仙人様と天界へ行って神になったのかなぁ?
マリアはどうして居るだろう? 死の谷でうまくやってるかなぁ?
いつも、いつも……。 アベルの頭の中は仲間達の事でいっぱいだった。




