2.常勝将軍の憂鬱
領軍においての将軍職を賜ったマテウスが、辺境伯より立派な屋敷を与えられたのは、ほんの二月ほど前であった。
過去何度も打診されていたのを、マテウスはずっと固辞していた。兵舎住まいが気楽であるというのがその理由である。しかしながら、将軍ともあろう者がそれでは示しがつかぬと部下からも上司からも厳しく説教された。結局、婚姻に伴い渋々受け入れることになったが。
その屋敷を新居として、マテウスとその新妻たるエルナ姫が共に住み始め、二週間が過ぎた。
エルナ姫の挙動は常に不自然だった。目を逸らす、胸を抑える、息を呑む……元より、生まれついての病弱な体質であることは知っている。いつも具合の悪そうな顔色であり、マテウスが見ている前でふらついた回数は、ここ数日の間にも数えきれない。
体質を差し引いたとしても、マテウスの顔を見るたびに具合を悪くするような有様である。
――これは、嫌われている。
マテウスは確信した。
結婚式の当日、エルナ姫の顔は透き通るように青ざめていた。柔らかな乳白色のドレスは、華奢な体に沿うように流れ、薄いベールを纏った姿はまるで清らかな精霊のようであった。わずかでも触れれば溶け消える、初雪の儚さをそのまま人の形にしたようだ、とマテウスは思った。
その顔が、こちらを一目見た途端に微かに息を飲み、涙を浮かべたのを、マテウスは見た。
式の間も、姫君は震える息をずっと堪えるようにして、胸を押さえていた。隣に立つ人の、微かに聞こえる乱れた呼吸が、まるで静かに泣いているようで、マテウスはとても隣を見ることができなかった。
姫君との婚姻を打診されてから、結婚までわずかな時間しかなかった。突然のことに驚き、らしくなく舞い上がっていたマテウスは、姫がそれを望んでいないかもしれないなどと、一度も考えつかなかった。その姿を目の当たりにしてようやく、自分は何ということをしたのだろうとマテウスは深く後悔したのだ。
婚礼の夜、エルナ姫の元を訪れたのは、単に熱を出した姫を見舞おうとしたのと、初夜の訪問を形式だけでも済ませるのが礼儀かと思ったからだ。けれど、扉の向こうから、啜り泣く声が聞こえてしまった。だからマテウスは、戸に手をかけるのをやめ、静かに引き返した。
マテウスは挙式の後から一度たりとも姫君に手を触れていない。なにしろ、近づくだけでその細い肩がぴくりと震えるのだ。
――か弱い姫君が無骨な軍人に下賜される形での結婚である。望まぬ婚姻が姫の心を深く傷つけたとしても、なんら不思議ではない。
マテウスはそう結論づけた。
マテウスは、国境沿いの村生まれである。マテウスの父は、辺境伯の有する兵士の中でも随一の戦士として称えられながら、華々しく戦地で散った。十五の頃には、隣国からの襲撃で何もかも失った。こうして一人になったマテウスは迷わず兵士を志願し、以降は兵舎を家として育った。
幾多の国と隣り合う辺境領においては、武力衝突は宿命であった。マテウスも、何度も戦地に赴いた。顔にも体にも、無数の傷がある。幼子に泣かれるなんてしょっちゅうで、いくら偉くなろうとも、貴族からはいつも遠巻きにされている。ましてや高貴な女性など、近づこうともしないのが常だ。
今でこそ常勝将軍などともてはやされているが、所詮は兵士、平民出の成り上がりである。妻となった姫君が、身分の低い自分を嫌がり、何より見た目を恐ろしがっているのは明らかだった。
それでも辺境伯たっての願いでこうして結婚することになったのだ。そこに、政略としての意味しかないのを、マテウスは誰よりもわかっているつもりだ。目立ち過ぎた自分を、婚姻という形で傘下に繋ぎ止めておくための。国境沿いの領地では、強い戦士はいくらいても足りない。戦略として正しい、とマテウスは納得していた。
だからこそ、姫君からの好意が得られずとも構わない、むしろ嫌われて当然だと思っていた。しかしながら、いや、それゆえに、エルナ姫の顔が曇るのを見続けるのは辛かった。彼女に相応しい、美しい若者と結ばれるべきだという思いは、日増しに強くなっていった。
――やはり自分のような叩き上げの武人には、すぎた夢だ。
胸はじくりと傷んだが、マテウスは無視した。ほんのひととき、美しい幻を見ることができた、もう十分だ。忠義の証明は、もっと別の形で捧げさせてもらおう。美しき姫君を犠牲にする形でなく。
マテウスは、一人静かに、心を決めた。




