第八話 荒野の中の魔女の家
荒野の中、陽炎が揺れる大地に突如として現れる緑の深淵――それが<オアシスの森>だった。
「……ここ、本当に荒野の中なの?」
ルナが不思議そうに辺りを見回す。
周囲の樹々は青々と茂り、鳥の声が響いている。
ルナのプラチナ色の髪が木漏れ日に照らされ、淡く輝いた。
「特異点ってやつだ。自然の理がねじれてる場所だな」
カイトは短く答え、迷いなくホープを森の奥へと進めていく。
空気がひんやりと澄み、神秘的な気配が漂ってくる。
やがて、巨木の根に抱かれるようにして建つ、奇妙な形の家が現れた。
壁は蔦に覆われ、屋根はところどころ欠けている。
だが、窓から漏れる淡い光と、漂う甘い香りが、そこが“生きている家”であることを示していた。
「ここが……先生の家?」
「そうだ。かつて王都で『至高の魔導師』と謳われた魔女、アガサ・スペルマンが住んでいる」
「そんな凄い人が、どうしてここに?」
「くわしいことは知らねえが、権力争いというやつに心底嫌気がさしたんだそうだ。だからこんな西の果てに引きこもっているんだが……。遠慮はいらねぇ、入るぞ」
カイトがノックをするよりも早く、 ――ギィ…… と、勝手に扉が開いた。
中からふわりと漂うのは、古い紙と紅茶の香り。
「入っておいで。待っていたよ、カイト。それに……小さなお嬢さん」
声は柔らかく、しかしどこか底知れない響きを持っていた。
広間には、時代遅れのドレスをまとった女性がいた。
白髪をゆるくまとめ、揺り椅子に腰掛けている。
その周囲では――
本がふわふわと宙に浮き、ティーカップが勝手に角度を変えて紅茶を注ぎ、羽ペンがひとりでに紙の上を走っていた。
「久しぶりだね、カイト。生きていたようで何より」
「その言葉、そっくりお返しするぜ。……それより、なぜ俺たちが来ることが分かった? 魔法による索敵か?」
「そんなとこさね。……で、用件は?」
カイトは正直に話した。
ルナとの出会い、ルナの持つ能力、魔力が暴走しかけたこと……。
カイトが話し終えると、アガサは立ち上がり、指をルナの額に当てた。
「なるほど。珍しい子だね。魔力の流れが荒れている。制御を学ばなければ、いずれ暴走するよ」
ルナはびくりと肩を震わせた。
「ルナに魔力の制御の方法、それから魔法を教えてもらえるか?」
「あんたには命を助けてもらった恩があるからねえ……借りは返したいけど、肝心のお嬢ちゃんの気持ちを聞かないとね」
「わたし、魔法を……ちゃんと使えるようになりたいです!」
「いい返事だ。では、さっそく始めようか」
アガサが指を鳴らすと、宙に浮いていた本の一冊がルナの前へ滑るように降りてきた。
「まずは簡単なことから。ページをめくってごらん。手は使わずにね」
「えっ……魔力で、ですか?」
「そう。魔力は“押す”でも“引く”でもない。触れるように扱うのさ」
ルナは深呼吸し、そっと手をかざした。
影が揺れ、本の端がふるりと震える。
――バササササッ!
本は突風に煽られたように宙へ舞い上がり、天井にぶつかってから床に落ちた。
「ひゃっ……!」
「力を入れすぎ。魔力は感情に引っ張られる。落ち着いて」
アガサは笑いもせず、淡々と言った。
「もう一度」
ルナは深呼吸をして、本を見つめる。
今度は、そっと、そっと――
ページが一枚だけ、ふわりとめくれた。
「……できた……!」
「うん。素直な魔力だ。伸びるよ、この子は」
アガサの声は、どこか嬉しそうだった。
カイトは壁にもたれ、腕を組んでその様子を見ていた。
ルナが振り向くと、カイトはほんのわずかに口元を緩めた。
「悪くねぇスタートだ」
◇
その後も訓練は続いた。
「ルナの気が散るから」という理由で同席を許されなかったカイトは、森で食用となる獣を狩ったり、壊れかけていた屋根を直したり、薪割をしたりして過ごした。
夜になるとルナは、その日の出来事をカイトに報告した、
「魔法は理論さね。感覚だけでは限界がある」
とは、アガサの言葉。
手を使わずにページをめくる魔力制御の訓練と同時に、理論体系を叩きこまれているようだ。
一か月が過ぎた頃――。
「今日は手を使わずにティーポットからお茶を注げたよ。一滴もこぼさず」
「瞑想中、自分の魔力の流れを感じ取ることができたの!」
「今日は影を操って、先生のお手伝いをしたんだ」
「今日は支援魔法を教えてもらったよ」
ルナの一日の報告内容は、さまざまなものになっていた。
と同時に、少女の表情は自信に満ちたものへと変わっていった。
◇
ルナの修行が始まってから三か月が経った朝――。
カイトとルナは、アガサの家の前庭に呼び出された。
「今日が最後さ。卒業試験を行うよ」
澄み渡る青空の下、アガサは杖を突き、冷徹な表情で二人を見据える。
「ルナ、あんたはよくやった。だが、土壇場で感情に呑まれるようなら、その力はただの呪いだ。……例えば、この男が死ぬと分かっていても、あんたは自分を保てるかい?」
アガサの視線がカイトへ向く。
「カイト、お前は邪魔だ。ルナの才能を縛る重りに過ぎない。この子がもっと高みに行くためには、お前との絆なんて、断ち切っちまった方がいいんだよ」
「なっ……先生、何を……!」
驚愕するルナをよそに、アガサの言葉はさらに辛辣さを増す。
「お前がいるから、この子はいつまでも甘える。あんたがいる限り、ルナは真の意味で覚醒しない。……消えな」
アガサの体から放たれた威圧感が、森の空気を凍らせた。
ルナの肩が震える。
怒りと悲しみが混ざり合い、魔力が影となって足元から滲み出す。
(……まずい……暴走か?)
カイトは固唾を呑んで影を見守る。
以前のルナなら、ここで感情が爆発し、影が周囲を無差別に飲み込んでいたはずだ。
だが――今は違う。
ルナは深く深く息を吐いた。
影は激しく揺らめきながらも、彼女の足元に留まり、主の命令を待っている。
「……先生。カイトは、わたしの重りなんかじゃない」
ルナは静かに言った。
「カイトがいてくれたから、わたしは自分を好きになれた。この力で、カイトを守りたいと思った。だから――」
「口先だけなら、何とでも言えるさね!」
アガサが叫ぶと同時に、その杖から鋭い魔力の礫が放たれた。
狙いはルナではない。
無防備に立っているカイトの心臓だ。
「カイト!!」
ルナが叫ぶ。
その瞬間、彼女の影が爆発的に膨れ上がった。
しかし、それは“暴走”ではなかった。
影は意思を持つ生き物のようにカイトの前に躍り出ると、幾重にも重なる漆黒の盾へと姿を変えた。
アガサの放った魔力を、影の盾は一粒も通さず、完全に霧散させる。
「やるじゃないか!」
アガサは追撃の手を緩めない。
今度は四方八方から、カイトを殺さんとする魔力の刃が襲いかかる。
「させない……絶対に、させない!!」
ルナはカイトの前に立ちはだかり、両手を広げた。
影は彼女の指先の動きに合わせ、鋭く、正確に、空中を舞う魔力の刃をすべて叩き落としていく。
かつては彼女を苦しめた“影”が、今は彼女の手足となり、守りたい人を守るための絶対的な盾となっていた。
静寂が訪れる。
カイトは無傷だった。
ルナの背中越しに、彼女が操る影が、穏やかに凪いでいくのが見えた。
ルナは荒い息をつきながら、アガサを真っ直ぐに見据えていた。
その瞳に、もはや迷いはない。
「……ふん」
アガサが杖を下ろし、ふっと表情を緩めた。
先ほどまでの殺気が消え、いつもの意地悪そうな反面、どこか温かみのある老婆の顔に戻っている。
「合格さね。よく頑張ったね、ルナ」
「え……?」
呆然とするルナに、アガサは歩み寄り、そっと頭を撫でた。
「感情に振り回されず、影を己の意志で御してみせた。あんたはもう、立派な魔導師だ。……その男を一生守ってやりな。それが、あんたが選んだ力の使い道なんだろう?」
「先生……!」
ルナの目から、大粒の涙が溢れ出した。
今度は恐怖の涙ではない。
修行をやり遂げた達成感と、認められた喜びの涙だった。
カイトはそっとルナの肩に手を置いた。
「おめでとう、ルナ。すごかったぜ」
「……カイト……ありがとう!」
「……にしてもアガサ、いくらなんでもあの攻撃はやりすぎだろ」
カイトはぽりぽりと頬を掻く。
「一歩間違えれば、俺は死んでたぞ」
「……え、カイト?」
ルナは、カイトとアガサの顔を交互に見る。
「もしかして二人はグルだったの?! 」
「あたりまえさね。この男には前もって教えとかないと、あたしが魔導銃で撃たれちまうかも……だろ?」
「むぅううう……!」
ルナは木の実を口いっぱいに詰め込んだ栗鼠のようにふくれた。
アガサはそんなルナを優しく抱きしめる。
「いつでも戻っておいで。ここを自分の家だと思いな。……あんたはあたしが弟子にした中で、一番優秀な生徒だったよ」
「必ずまた来ます。……お世話になりました、先生……」
ルナの頬を、新たな涙が伝った。




