第6話「黒環拠点」
夜のヒーロー基地は、いつもより静かだった。
出撃準備室の壁に、大きな作戦図が映っている。
廃都市区画。封鎖済みエリア。黒環の拠点とされる建物。
その前に立つ局員の声は、無機質だった。
「本作戦の目的は三つ。
黒環拠点の制圧。
怪人化因子関連資料の回収。
関係者の確保、もしくは排除です」
排除。
その言葉に、ミナトの目がわずかに細くなった。
「敵の抵抗は激しいと予想されます。
資料の流出は絶対に防いでください。
特に地下区画のサーバー群は、最優先で押さえてください」
カイトが腕を組んだまま聞いている。
セラは地図を見て進入経路を頭に入れていた。
ゴウは盾の固定具を締め直し、レイは端末の情報を確認している。
ミナトだけが、別のことを考えていた。
(資料の回収が最優先……)
黒環の拠点を壊すだけなら、もっと単純な命令で済む。
わざわざ地下区画を指定する理由がある。
更生施設。黒い靄。逃げた少年。
全部が、この任務の裏に繋がっている気がした。
「質問はあるか」
局員が言った。
誰も口を開かない。
「では、作戦開始は二十分後。
ブレイヴフォース、出撃準備」
映像が消える。
部屋の空気が少しだけ重くなった。
装備室で、カイトがミナトに声をかけた。
「ミナト」
ミナトは黒いコートの留め具を止めながら顔を上げた。
「……何だ」
「今夜の任務が終わったら、ちゃんと話そう」
短い言葉だった。
でも、それがカイトなりの気遣いなのは分かった。
「今はまず任務だ。
余計なことは考えるな……とは言わない。
でも、無理はするな」
ミナトは少しだけ黙った。
「……分かった」
セラが横から入ってくる。
「本当に分かった顔じゃないけど」
「そう見えるか」
「見える」
セラは真っ直ぐ言った。
「でも、今夜は五人で帰る。
それだけは忘れないで」
ゴウが後ろで鼻を鳴らす。
「当たり前だろ。
こんな任務、さっさと終わらせて戻るぞ」
レイは視線を端末に落としたまま言った。
「妙な動きがあれば、すぐ共有しろ。
今夜は嫌な感じがする」
ミナトは四人を見た。
皆いつも通りだった。
自分だけが、いつも通りじゃない。
「……行こう」
黒環拠点は、廃都市の中心にあった。
崩れかけた高層建築群の中に、ぽっかりと口を開けた巨大な廃ビル。
窓は割れ、壁は黒く焼けている。
人の気配は薄いのに、何かが潜んでいる感じだけははっきりあった。
五人は屋上から侵入した。
セラが先行し、レイが周囲を確認する。
カイトとゴウが前。
ミナトは後ろから全体を見ていた。
「……静かすぎるな」
ゴウが低く言う。
レイが耳元の通信機を押さえる。
「反応はある。
でも少ない。想定よりずっと少ない」
セラが足を止めた。
「罠かも」
カイトは前を見たまま答える。
「どっちにしろ進むしかない。
地下に資料があるなら、そこまで行く」
薄暗い廊下を進む。
途中で怪人化した戦闘員が何体か現れたが、数は少なかった。
連携であっさり片付く。
カイトの炎。
セラの空中制圧。
ゴウの盾。
レイの狙撃。
ミナトの斬撃。
いつも通りの戦い。
でも、ミナトの頭の中は任務だけを見ていなかった。
(敵が少ない……。
資料だけを守っているみたいだ)
地下へ降りる階段の前で、レイが床にしゃがみ込んだ。
「……見ろ」
全員が近づく。
床に、何かを運んだ跡がある。
台車の車輪のような線。
新しい。
「最近まで使われてたな」
カイトが言う。
「運んでたのは何だ?」
ゴウの問いに、レイは壁の端末を見た。
「データボックス。
それも、医療区画用の」
ミナトの視線が鋭くなる。
「医療区画?」
セラが端末を操作する。
画面にはいくつもの管理ログが並んでいた。
【対象処理記録】
【因子適合率】
【観察継続】
【移送指示】
更生施設で見た用語に近い。
カイトも気づいた。
「……何で黒環の拠点に、こういう記録がある」
ミナトは答えなかった。
答えはまだなかったが、嫌な形だけは見え始めていた。
地下三階。
大型サーバー室の扉は半開きだった。
中に入ると、冷気が肌に刺さる。
無数のモニター。
並ぶ記録媒体。
中央端末だけが、まだ動いていた。
「カイト。ここだ」
レイが言う。
「回収する。セラ、周囲警戒。
ゴウ、入り口を固めろ。
ミナト、手伝え」
ミナトは返事をせず、中央端末へ向かった。
画面に指を走らせる。
ロックはかかっていたが、完全じゃない。
内部記録が一部残っている。
表示されたデータを見た瞬間、ミナトの顔色が変わった。
【更生施設・対象選定資料】
【対外発表用処理案】
【危険因子排除による支持率変動予測】
【協力先:局内部監理課】
ミナトの指が止まる。
「……何だ、これは」
カイトが後ろから覗き込んだ。
「局の……記録?」
レイも目を見開く。
「繋がってるのか……?」
画面をさらに進める。
そこには、見たくないものが並んでいた。
更生施設で処分対象になった者たちの一覧。
世論への影響。
恐怖と安心の変動数値。
黒環を利用した演出計画。
そして、あの少年の名前。
【対象番号:C-17】
【処理案:暴走誘発後、排除】
【発表形式:完全怪人化による制圧】
ミナトの呼吸が止まる。
「……最初から、こうするつもりだったのか」
カイトの顔が強張る。
「そんなはず……」
セラが通信を切って部屋に入ってくる。
「どうしたの?」
ゴウも続いた。
レイが低く言う。
「局と黒環が、完全に別じゃない可能性がある」
ゴウの声が大きくなる。
「はあ!? どういう意味だよ!」
ミナトは画面を睨んだまま言った。
「黒環を敵として使いながら、裏で利用してたってことだ。
恐怖を作って、自分達に都合の良い正義を肯定する為に。」
セラの顔から血の気が引く。
「そんな……」
その時だった。
部屋の奥の闇が、ゆっくりと動いた。
全員が身構える。
そこに立っていたのは、黒い影だった。
人の形をしている。
顔は見えない。
だが、その存在だけで空気が変わる。
「見たか」
影が言った。
低く、静かな声だった。
「光は、自分を正しく見せるために闇を使う」
カイトが前に出る。
「何者だ」
「お前たちが“黒環”と呼んでいるものとは違う」
影はミナトを見た。
「お前は、もう分かっているはずだ」
ミナトは剣を構えたまま答える。
「分かったのは一つだけだ。
局も、お前たちも己の都合で動く。」
「そうかもしれない」
影は否定しなかった。
「だが、局は道を閉ざすが、我々は道を示す、それが闇へと繋がる道だとしてもだ……」
ミナトの脳裏に、地下で眠っていた少年の姿が浮かぶ。
「……あいつはどこだ」
カイトたちが一斉にミナトを見る。
影が答える。
「生きている」
短い一言だった。
それだけで、ミナトの中で何かが大きく揺れた。
ゴウが叫ぶ。
「本当に生きてるのか!?」
「生きている。
だが、正義の側には戻れない」
カイトが声を強める。
「その情報を持ち帰る。
資料も全部だ。
局がどうであれ、証拠があれば変えられる」
ミナトは振り向いた。
「変えられる?」
「変えるしかないだろ!」
カイトの声は強かった。
「ここで全部壊して終わりにしたら、何も残らない!
持ち帰って、明るみに出す!」
ミナトは首を振る。
「持ち帰ってどうする。
また消されるだけだ」
「それでもやるしかない!」
「同じことを何度繰り返す!」
ミナトの声が、ついに大きくなる。
部屋が静まった。
「少年は最初から処分するつもりだった。
施設も、怪人も、世論も、全部使われた。
それでもまだ、お前は中から変えられるって言うのか」
カイトは黙らない。
「言う。
俺たちはヒーローだ。
やるなら中から変える」
「もう遅い」
ミナトの声は低かった。
「中にいる限り同じだよ……」
セラが間に入る。
「やめて。こんな場所で言い争ってる場合じゃない」
レイが端末を見ながら言った。
「待て。
この施設、自壊設定がある」
警報が鳴った。
赤いランプが一斉に点滅する。
【自動消去プロトコル起動】
【全区画封鎖まで三分】
ゴウが舌打ちする。
「くそっ!」
床が揺れた。
天井から小さな破片が落ちる。
カイトが即座に判断する。
「資料を持って撤退する!
セラ、上へのルート確認!
レイ、データを抜けるだけ抜け!
ゴウ、防御!」
全員が動き出す。
だが、ミナトだけが動かなかった。
影が闇の奥へ下がる。
「選べ」
その一言だけ残して、消えた。
ミナトは端末を見た。
次に、仲間を見た。
最後に、非常口へ続く退路を見た。
そして、自分の中で決まった。
カイトが振り返る。
「ミナト! 何してる、来い!」
ミナトはゆっくりと銃を抜いた。
カイトの顔が止まる。
「……ミナト?」
ミナトの狙いは、カイトじゃない。
その後ろ。
五人が通るはずだった補助足場と制御盤。
「やめろ!」
カイトが叫ぶ。
引き金が引かれた。
銃声。
火花。
制御盤が弾け、補助足場が崩れる。
一瞬遅れて、大きな爆発が起きた。
「っ!?」
床が裂ける。
足場が傾く。
レイが壁に手をつく。
セラの翼が煽られる。
ゴウが盾を構えて支える。
カイトがミナトへ手を伸ばす。
「何してるんだよ!!」
ミナトは動かない。
「……もう戻れない」
「何だよそれ!」
もう一発。
今度は退路の支柱。
崩落が連鎖する。
天井が落ちる。
炎が走る。
床が完全に割れた。
カイトの足元が沈む。
セラが叫ぶ。
「カイト!」
ゴウが二人を守ろうと盾を前に出す。
レイが崩れた梁を蹴って体勢を変える。
だが遅い。
大きな爆発が地下を飲み込み、四人の身体がまとめて落ちた。
その瞬間、カイトの目がミナトを捉えた。
「……どうしてだ、ミナト……!」
炎と煙の向こうで、ミナトは静かに立っていた。
「答えは簡単だよ、カイト」
その声は冷たく聞こえた。
「この世界に、今の正義はもう必要ない」
崩落。
炎。
爆音。
カイトの焔が燃え狂う。
セラの翼が裂ける。
ゴウの盾が砕ける。
レイの刃が折れる。
四人は、地の底へ落ちていった。
ミナトは一歩も動かなかった。
背後の闇から、あの影が現れる。
「終わったな」
ミナトは銃を下ろしたまま言った。
「終わってない。
ここから始まる」
影は何も言わない。
ミナトは崩れ落ちる拠点を背に歩き出す。
炎の下、薄れゆく意識の中、落ちていく四人に問いかける声がある……
『――お前たちは、まだ正義を望むか?』
カイトの意識が暗闇の中で揺れる。
セラも、ゴウも、レイも、答えを失いかけていた。
それでも。
「……望む」
カイトの声がかすかに響く。
「俺たちは……まだ終わってない……」
血と灰の中で、四つの影が沈んでいく。
その先で何が待つのか、まだ誰も知らない。
地上では、ミナトが廃都市の出口へ向かっていた。
もう振り返らない。
黒い輪の欠片が、胸元で静かに熱を持つ。
その先にあるのが救いか、破滅かは分からない。
それでも、進むしかなかった。




