77. とてつもないチート
「くっ!」
レオンは奥歯をギリッと鳴らした。その音が、静寂の中で妙に大きく響く。
そして、一番の懸念は相手も【運命鑑定】に似たような未来を見通せるスキルを持っているだろうことだ。どんなに隠れて密かに襲っても必ず勝てる手を打ってくる。【運命鑑定】がそうだったようにとてつもないチートなのだ。
そんなの勝てる訳ない――――。
「くぅぅぅ……」
拳を握る。爪が、手のひらに食い込む。痛い。けれど、その痛みで現実を感じる。
もちろん、【運命鑑定】が成功を保証しなかったように、付け入るスキはあるのだろう。敵のスキルの意表を突く、運命を超えるほどの逆転の一手を放てば――――。
「無理じゃん……」
どう考えても危険な賭けにしか見えない。
レオンは目をぎゅっとつぶって寝返りを打った。
闇組織は、倒さねばならない……。
それは分かっている。放っておけば、世界が滅ぶかもしれない。多くの人が、犠牲になる。
(けれど……)
レオンの脳裏に、四人の少女の顔が鮮明に浮かび上がった。
エリナの凛とした横顔。ミーシャの優雅な微笑み。ルナの元気な笑顔。シエルの純粋な瞳。
みんな、大切な仲間だ。かけがえのない、家族だ。
(四人を、危険にさらしてまで……やるべきことなのだろうか?)
その問いが、胸を締め付ける。
(どこか、辺境の村へ引きこもったら、どうだろうか?)
心が逃げ始めていた。
(畑を耕し、獣を狩り、みんなでゆっくりと暮らす……)
平和な光景が脳裏に浮かぶ。朝日を浴びながら畑仕事をする。獲った獣を料理する。夜は焚き火を囲んで笑い合う。
(美味しいものを毎日食べて、楽しく笑いながら暮らせばいい……)
その想像は、甘美だった。誰も死なない。誰も傷つかない。ただ、穏やかに暮らす――――。
『いい訳ねーだろ』
頭の中で、理性が突っ込んだ。
(そう……現実逃避など、何の解決にもならない……)
レオンは、深いため息をついた。
(王都が闇組織に乗っ取られたら、社会はひっくり返る)
想像する。王都が陥落し、王国が崩壊し、闇が世界を覆う未来を。
(田舎に隠れていたって、これだけ目立ってしまったアルカナは見つけ出される……)
英雄として名を馳せた自分たち。吟遊詩人が歌う伝説の冒険者たち。そんな自分たちを、闇組織が見逃すはずがない。
(刺客に狙われる……いや、それだけじゃない……)
寄生体を埋め込まれるかもしれない。操り人形にされるかもしれない。大切な仲間が、あの赤い瞳を宿し、自分に襲いかかってくるかもしれない。
(何とか闇組織を倒す以外、もう道はないのだ……)
結論は、いつも同じ。
逃げられない。戦うしかない。
(だが……)
レオンは、無意識のうちに拳を握りしめていた。シーツが皺くちゃになるほど強く、強く握りしめる。
(女の子たちに、危険が及ぶことは避けなければならない……)
四人の顔が、また浮かぶ。
あの笑顔を、守らなければ。
あの温もりを、守らなければ。
(守らなければ……)
拳に、さらに力が入る。
(今度こそ、今度こそ守らなければならない……)
妹の顔が、フラッシュバックする。あの日、守れなかった妹。二度と、あんな思いはしたくない。
(でも……どうやって?)
弱気が、再び頭をもたげる。
スキルを失った、ただの無力な男。戦えない。血を見れば動けなくなる。未来も見えない。
(やはり、逃げて……)
また思考が元に戻る。
堂々巡り。
レオンの思考は、暗い迷路の中を彷徨い続けた。
何度も堂々巡りを繰り返す中、レオンの意識は少しずつ薄れていった。
◇
暗闇の中で、レオンは立っていた。
足元を見下ろすと、そこには血の海が広がっていた。どこまでも、どこまでも続く赤い海。鉄と死の匂いが鼻腔を突き、吐き気が込み上げてくる。その粘ついた液体が、足首まで絡みついていた。
その血の海の中に、四人の少女が倒れていた。
エリナ。ミーシャ。ルナ。シエル。
彼女たちの体からは、止まることのないおびただしい血が流れ出していた。
「みんな! しっかりしろ!」
駆け寄ろうとする。だが、足が動かない。まるで地面に縫い付けられたかのように、一歩も動けない。
「レオン……」
四人が、か細い声で呼んだ。
「どうして……助けてくれなかったの……?」
エリナが呟く。
「あなたが……もっと早く気づいてくれていたら……」
ミーシャが微笑む。その笑顔が、恐ろしいほど悲しい。
「あんたが……ちゃんとしてくれてれば……」
ルナの体が、炎に包まれていく。
「ボクを……守るって言ったのに……」
シエルの瞳に、絶望が宿る。
「違う! 僕は……僕は、みんなを……!」
必死に叫ぶ。けれど、その声はどこにも届かない。四人の姿が霞んでいく。まるで最初から存在しなかったかのように、少しずつ消えていく。




