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75. 臣従の礼

「お願いします、先生」


 シエルが弓を構える。矢を番える。その手は、もう震えていない。


 静寂――――。


 木の葉が揺れる音。遠くで鳥が鳴く声。そして、二人の呼吸。


 先に動いたのは、ギルバートだった。


「お覚悟を!」


 大地を蹴る音は一度。しかしその姿は残像を残し、一気にシエルの懐へと迫る。王国最強と謳われる剣士の、常人では目で追うことすら不可能な神速の踏み込み。地面が抉れ、砂埃が舞い上がる。


 みんな息を呑む。弓手は接近戦に弱い。懐に入られた時点で勝負は決まる。誰もがそう思った。


 だが、シエルは動じない。その瞳は冷静そのもの。まるで時間がゆっくり流れているかのように、ギルバートの動きを捉えている。


三位一体(トリニティ)!」


 彼女の手元で、三本の矢が同時に放たれる。一本はギルバートの眉間へ、もう一本は心臓へ。そして最後の一本は、まるで狙いを外したかのように、高く、高く、青空へと舞い上がった。


 三つの軌跡が、陽を浴びて光跡を描く――――。


「甘い!」


 ギルバートは迫りくる二本の矢を、まるで水面を撫でるかのように最小限の動きで、しかし完璧に斬り落とした。カン、カンと軽快な音が響き、矢は地面に落ちる。


(見事な腕だ、お嬢様。だが、弓兵が剣士に懐へ入られた時点で勝負は決した!)


 ギルバートは弓を斬り払おうと振りかぶり――。


「セイヤッ!」


 大剣が振り下ろされる。その速度は、まさに神速。避けることなど不可能。


 その瞬間――ヒュッ、と首筋に感じた、カミソリのような冷たい風――――。


(え?)


 ギルバートが驚愕に目を見開いた時には、もう遅かった。空に消えたはずの第三の矢が、魔法操作によりブーメランのような軌道を描いて彼の頭上から迫っていたのだ。それは天才だけが放てる神業の一射。計算し尽くされた軌道。風を読み、魔力で制御し、完璧なタイミングで狙いを定める。


 ガッ!


 硬質な音と共に、ギルバートの首筋でスタン魔法の矢じりが炸裂した。青白い光が(ほとばし)り、全身に電撃が走る。ギルバートの体が硬直し、そのまま膝をつく。大剣が地面に落ち、カランという音を立てた。


 沈黙。誰も言葉を発しない。ただ、信じられないという表情で、その光景を見つめている。王国最強の騎士団長が、一人の少女に敗れた。その事実が、まだ理解できない。


「ボクの、勝ちです。先生」


 静かに勝ちを宣言するシエル。


 その横顔は、家を飛び出したか弱い令嬢ではなく、運命を自らの手で掴み取った、一人の誇り高き戦士の顔をしていた。


 弓を下ろし、ゆっくりとギルバートの元へ歩いていく。その足取りは、しっかりとしていた。



       ◇



 ギルバートはゆっくりと顔を上げた。その表情には驚きと、そして敬意が浮かんでいる。彼はしびれる身体をやっとの思いで動かし、その場に深く片膝をついた。それは敗者の降伏ではない。忠誠を誓うべき真の主君を見出した騎士の、心からの臣従の礼だった。


「シエルお嬢様……いえ、シエル様。その強さ、その気高き魂に、このギルバート、心より敬服いたします」


 その瞳には、敗北の悔しさではなく、安堵と微かな希望の光が宿っていた。


「先生……」


貴女(あなた)様はもはや、あの日の幼い令嬢ではない。立派な、一人の戦士にございます」


 ギルバートの声が、悲痛な響きを帯びる。その顔が苦悩に歪む。


「だからこそ、お願い申し上げます! どうか我々を、そして貴方様の父君、アウグスト公爵をお救いください!」


「父様を……救う?」


 シエルの目が見開かれた。その言葉の意味がすぐには理解できない。ギルバートは拳を握りしめた。その手が震えている。


「お聞きください、シエル様。そして『アルカナ』の皆様も」


 ギルバートが顔を上げ、レオンたちを見た。その目には必死の色が浮かんでいる。


「数ヶ月前、公爵様は政敵との会談の帰路、何者かに襲われました。その時、公爵様の体に……何かが埋め込まれたのです」


「何かが、埋め込まれた?」


 レオンが前に出た。その表情が険しくなる。


「ええ。以来、公爵様の言動は冷酷非情なものへと変貌しました。まるで何者かに操られているかのように」


 ギルバートの声が震える。


「厳しくもその裏には愛があった公爵様が家臣を虫けらのように扱うようになり、娘であるシエル様を通常あり得ない形での政略結婚の道具として扱うようになった。あれは公爵様ではない。何か別の意思が、公爵様の体を使っているのです!」


 その告白に、全員が息を呑んだ。ミーシャが前に出る。


「その『何か』とは……寄生体、ですか?」


「き、寄生体……?」


 ギルバートがミーシャを見た。ミーシャは静かに頷く。


「私たちも先日遭遇しました。ゴブリンロードの体内に巣食っていた、禍々しい核を」


 その言葉に、ギルバートの顔が青ざめた。


「そ、そんなものが……。では、やはり公爵様も……」


「恐らく」


 ミーシャの表情が険しくなる。


「やはり操られていた……くっ!」


 ギルバートは自らの無力さに顔を歪ませる。



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