68. 『アルカナの奇跡』
「ちょっと! 落ち着いて! リンゴは一人一つだって!」
その賑やかさに、レオンは少し飲まれ気味である。
けれど、その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
(ああ……これだ)
心の中で、呟く。
(これが、俺の求めていたもの)
誰もが笑っている。冗談を言い合い、笑い合い、時には小さな喧嘩をして――。
それは、まさに家族の光景だった。
温かくて、賑やかで、幸せな時間。
「喧嘩してないで、静かに食べようよ! せっかくレオンが作ってくれたんだから!」
ルナは他人事のようにいさめる。
「そうね。冷めないうちに」
エリナが、笑う。
再び、賑やかな食卓が戻ってくる。
笑い声。楽しい会話。温かい料理。
全てが、幸せな時間を作り出していた。
レオンは、心の底から思う。
(ああ……俺は、幸せだ。この瞬間が、永遠に続けばいいのに……)
けれど、レオンは知っていた。
この平和な時間は、永遠には続きそうにないことを。
嵐が、来ることを――――。
レオンはキュッと口を結んだ。
今は、ただこの幸せを噛みしめよう。
この温かい時間を、大切に。
それは、絆の証。
家族の証。
そして、これから始まる戦いへの、力の源だった。
◇
その歌は――突如として、王国最大の都市【王都】の流行となった。
夕暮れ時。
酒場『銀の竪琴亭』に、一人の吟遊詩人が現れた。
くたびれた旅装束に身を包み、背には年季の入った竪琴を背負っている。
その風貌は、どこにでもいる流れの吟遊詩人――のはずだった。
けれど。
彼が竪琴を手に取り、最初の音を奏でた瞬間――。
酒場の空気が、一変した。
ポロン――。
その音色は、まるで天上から降り注ぐ光のように、透き通っていた。
喧騒に満ちていた酒場が水を打ったように、静まり返る。
誰もが、その音色に引き寄せられた。
ポロロン――。
吟遊詩人が、朗々と歌い始めた。
「――遥か北の辺境に 一つの街ありき~♬」
「――闇より現れし 三万の魔物の群れ~♪」
その歌声は――まるで魔法のように、人々の心を捉えた。
酒場の客たちが、グラスを置く。
ウェイトレスが、足を止める。
全員が――吟遊詩人の歌に、聞き入っていた。
「――されど立ち上がりし 五人の若き勇者たち~♩」
竪琴の音色が、激しくなる。
歌声が、高まっていく。
「――三万の魔物を 火山に葬りしは!」
「――聖女の祈りと 賢者の奇策!」
酒場の客たちが、息を呑む。
「――神速の剣は オーガを両断し!」
「――竜殺しの炎は 天を焦がす!」
客たちの間から、どよめきが起こった。
「本当か? そんなことが……」
「三万だと? 嘘だろう……」
吟遊詩人はさらに力強く、歌い上げる。
「――紅蓮の魔女は 炎の龍を従え♪」
「――慈愛の聖女は 神の御技を顕し♪」
「――黒き剣聖は 魔王の首を刎ね~♪」
吟遊詩人の歌は、サビのクライマックスへ盛り上がっていく。
竪琴の音色が――一際、美しく響く。
「――月光を宿す 銀の髪!」
「――神弓の使い手は魔獣コカトリスを~、一射にて~~射抜かん!」
ポロロロロン――!
竪琴の音が、高らかに鳴り響いた。
酒場が――割れんばかりの拍手と歓声に包まれる。
「すげぇ!」「最高だ!」
「もう一度! もう一度歌ってくれ!」
客たちが、コインを投げる。
銀貨が、銅貨が、吟遊詩人の足元に降り注ぐ。
吟遊詩人は――深々と、礼をした。
「ありがとうございます。ではもう一曲……」
他のナンバーも交えながら『銀の竪琴亭』は朝まで歌と歓声に包まれた。
◇
翌日――。
その歌は、王都中に広がっていた。
酒場で、広場で、街角で、無数の吟遊詩人が竪琴をかき鳴らし、あの英雄譚を歌い上げている。『アルカナの奇跡』と名付けられたその歌は、瞬く間に王都の流行となった。
けれど、その反応は様々だった。
豪華な屋敷のサロンでは、貴族たちがワイングラスを傾けながら鼻で笑う。
「ふん、田舎町の出来事だろう? 吟遊詩人の誇張に決まっている」
「三万の魔物を五人で? おとぎ話もいいところだ」
訓練場では、騎士たちが剣を振るいながら一笑に付した。
「あり得ん。どうせ実際は三百くらいだろう」
けれど、その誰もが無視できないでいた。クーベルノーツへスタンピードが襲い掛かっていたのは事実だと聞いていたのだ。
ただ、たった五人で鎮圧するという常軌を逸した功績は――半信半疑ではあったが。
そして――。
王都の影に潜む者たちの耳にも、その歌は届いていた。




