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65. 食べ盛りの家族

 レオンは少女たちの顔を一人一人思い浮かべた。


 みんな、今頃は依頼を終えた頃だろう。汗を流し、疲れているはずだ。


(帰ってきた時に、温かい食事を出してやろう)


 それは今の自分にできる中で最も大切な「軍師」の仕事のように思えた。戦えない自分。スキルを失った自分。けれど、仲間を支えることはできる。温かい食事で、疲れた体を癒すことはできる。


「よしっ! やるぞ!」


 レオンはこぶしをぐっと握ると、市場の中へと歩き出した。



       ◇



 最初に向かったのは、肉屋だった。


(エリナは赤身の肉が大好きだったな……多めに買っておこう)


 店先には、様々な肉が吊るされている。豚、牛、鶏、そして猪。血の匂いが鼻を突くが、それは新鮮さの証拠だ。


「お、兄ちゃん! 今日はまた一段といい肉が入ってるぜ!」


 屈強な体格の店主が、包丁を研ぎながら声をかけてきた。その顔には人懐っこい笑みが浮かんでいる。


「じゃあ、こいつをひと塊……」


 レオンが指差すと、店主が豪快に笑った。


「おう、いいねぇ! 食べ盛りの家族がいるのか?」


「ええ。とても大切な家族です」


「いいねぇ! よーし、オマケしといてやろう!」


 レオンの言葉に、店主は満足げに頷いた。



       ◇



 (ルナは……ジャガイモが好きだったな。シチューに入れるジャガイモは、煮崩れしないねっとりとしたやつを多めに入れてやろう)


 八百屋の店先で、泥のついたジャガイモを一つずつ、慈しむように選んだ。


(ミーシャは……常に冷静沈着だが、その実、誰よりも繊細だ。心を落ち着かせる、香りの良いローリエとタイムを)


 香辛料の屋台で、店主の老婆と相談しながら、最適なハーブを選び抜いた。


(シエルは……。そうだ、この間リンゴを見て、故郷を思い出していたな)


 果物屋で、大きく、蜜がたっぷり入っていそうな真っ赤なリンゴを四つ買った。


 バッグの中身は、ただの食材ではなかった。それは、レオンにとっての『アルカナ』そのもの。彼の仲間への想いが詰まった、絆の結晶だった。


「さーて、急いで帰らなきゃ! みんないつ頃帰ってくるかな? もう居るかもしれないな!」


 レオンはバッグを抱え、小走りで急いだ。夕日が、その背中を優しく照らしていた。



       ◇



 屋敷に戻ると、そこは静まり返っていた。


 誰もいない。声もしない。足音もしない。ただ、時計の音だけが、カチ、カチと規則正しく響いている。


 その静寂が、レオンの心に重くのしかかる。


(……みんな、無事だろうか)


 不安が、胸をよぎる。けれど、その不安を振り払うように、レオンはキッチンへと向かった。


 エプロンを身につけ野菜を切っていく――――。


 トン、トン、トン。まな板の上で包丁が規則正しく音を立てる。その単純な作業が、不思議と心を落ち着かせてくれた。


 鍋に油を引き、火をつける。ニンニクを刻み、鍋に入れる。ジュウという音と共に、香ばしい香りが立ち上った。その香りが、キッチン全体に広がっていく。


 肉を入れる。ジュウジュウという響き――。


 野菜を入れる。さらに音が賑やかになる。炒める。混ぜる。香りが、どんどん複雑になっていく。


「いいぞ、美味そうだ……」


 水を入れ、調味料とローリエとタイムを入れ煮込んでいく。


 コトコト、コトコト。


 鍋が煮える優しい音。その淡々とした音が心にしみていく――――。


 レオンは椅子に座り、鍋を見つめる。窓の外では、既に日が沈み始めていた。


(みんな……早く帰ってこないかな)


 レオンは、ただ待つことしかできない。仲間たちが無事に帰ってくるのをただ、祈りながら。


 料理の香りが、屋敷全体に広がっていく。温かく、優しい香り。それは、レオンの仲間への想いそのものだった。


 夕日に赤く染まるキッチンで、レオンは静かに待ち続けた。



       ◇



 暗くなり、灯りをともす頃、シチューが完成した。


 鍋の蓋を開けると、湯気が立ち上る。肉と野菜の旨味が溶け合い、ハーブの香りが鼻腔をくすぐる。完璧だ。これなら、疲れたみんなの体を温め、心を癒してくれるはずだ。


 レオンは鍋を火から下ろし、テーブルの準備を始めた。皿を五枚並べる。スプーンを置く。パンを切る。バターを用意する。全てが整った。後は、みんなが帰ってくるのを待つだけ――。


 窓の外を見る。既に空は藍色に染まっていた。美しい夕暮れ。けれど、レオンの心には不安の影が落ちていく。


(もう、そろそろ帰ってきてもおかしくないのに……)


 レオンは椅子に座り、窓の外を見つめた。


 カチ、カチと時計の音だけが響く――。


 通りの家々の窓に灯りがともり、星が、一つ、また一つと輝き始める。


 けれど、みんなの声は聞こえてこない。


 ルナの快活な笑い声。シエルの落ち着いた声。ミーシャの柔らかな声。エリナの少しぶっきらぼうな声。


 耳をどんなにそばだてても聞こえてこない。


 準備が整った食卓は、冷たく静まり返っているだけだった。五つの皿が、空しく並んでいる。誰も座らない椅子。誰も使わないスプーン。



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