64. 魂喰らいの寄生
既に活動を停止しているが、それでも禍々しい気配は消えていない。赤黒い肉片。表面は粘液で覆われ、不自然な光沢を放っている。細い腕のようなものが何本も生えており、死んでなお痙攣しているように見えた。
ギルドマスターの顔が蒼白になる。
「な、何だ……これは……こんな……こんなものが……」
あまりのおぞましさに、ギルドマスターは思わずのけぞった。長年冒険者として、そしてギルドマスターとして数多くの魔物を見てきた男が、明らかに動揺している。
「これが、ゴブリンロードの体内に潜んでいました」
エリナが説明する。
「恐らく、これがゴブリンロードを強化し、操っていたのだと思います。これが何なのか、どこから来たのか……」
ギルドマスターは寄生体を見つめたまま、しばらく沈黙していた。その表情には、恐怖と深い懸念。この事態の重大さを理解した者だけが見せる、重い表情。
「これは……。もしかして……」
その声が震えている。
ギルドマスターは慌てて立ち上がり、部屋の奥の書棚へと向かうと、古い魔導書を何冊も引っ張り出してページを荒々しくめくっていった。バサバサと紙の擦れる音が部屋中に響く。
「どこだ……どこに……。あ、あった!」
一冊の古びた魔導書を開き、そのページを凝視する。その顔が、さらに青ざめた。
「伝説の……禁呪……『魂喰らいの寄生』……まさか、こんなものが現代に……」
ギルドマスターの手が震えていた。深く息を吐き、そして顔を上げる。
「これはまずい……」
ギルドマスターは扉を開けて廊下に向かって叫んだ。
「腐敗した森への立ち入りを、直ちに禁止しろ! 今すぐだ! そして魔塔に連絡を! 今すぐ調査員を寄こすよう要請しろ! これは王国の危機だ!」
その声は、執務室だけでなくギルド全体に響き渡るほど大きかった。
職員たちが慌ただしく動き出す。扉の開閉音。叫び声。ギルド全体が一気に緊迫した空気に包まれた。
ギルドマスターは四人を振り返る。その顔は疲弊しているが、しかし確かな敬意が宿っていた。
「君たちが、これを持ち帰ってくれたおかげで……最悪の事態を防げるかもしれん。心から感謝する」
その姿に四人は驚いた。ギルドマスターが頭を下げるなんて。この街で指折りの権威のある人物が、若い冒険者たちに頭を下げている。
「もし君たちがこれを見逃していたら……」
ギルドマスターは顔を上げ、四人の目を一人一人見つめた。
「恐らく、多くの冒険者が犠牲になっていただろう。いや、それどころか、この寄生体が街にまで侵入していたかもしれん。そうなれば……」
言葉を切り、窓の外を見る。夕日に染まる街。平和な街並み。人々の営み。
「この街そのものが、危険に晒されていたかもしれん。何万もの人々が」
その言葉に四人は改めてあの"核"の恐ろしさを実感した。あれが、もっと広がっていたら。もし街に侵入していたら。人々に寄生していたら。想像するだけで背筋が凍る。
「『アルカナ』」
ギルドマスターが真剣な目で四人を見つめた。その声には、重みがある。
「君たちは、戦闘能力の高い新人だけではなく……」
一呼吸置いて、その言葉の重さを噛みしめるように続ける。
「未知の脅威を正確に分析し、冷静に対処し、そして適切に報告できる。それは、どんな強さよりも価値がある能力だ」
ギルドマスターは机の上の書類を手に取った。
「この功績は王国にも報告しておこう。君たちは、英雄だ」
その言葉に四人の胸が熱くなった。認められた。自分たちの判断が、行動が、正しかったのだと。疲労と恐怖で張り詰めていた心が、ようやく緩んでいく。
四人はお互いに手を握り合った。
「やったね……」
ルナが小さく呟いた。その目には涙が浮かんでいる。
「早く……レオンに報告しなきゃ」
シエルが微笑む。
四人の心に、同じ想いがあった。早く帰って、レオンに会いたい。この出来事を報告したい。そして、彼の笑顔が見たい。
だが、ギルドマスターは申し訳なさそうに言った。
「悪いが……。魔塔から調査員が来る。彼らに、直接報告してくれないか?」
その言葉に、四人は顔を見合わせた。疲れている。早く帰りたい。レオンが待っている。けれど、断ることもできない。これは重要なことだ。
「……分かりました」
エリナが、渋い顔をして答え、深いため息をついた。
結局、魔塔の調査員の執拗で厳格なヒアリングに何時間も時間は取られ、終わったころには外は真っ暗になっていた。
◇
時間は少しさかのぼる――――。
図書館を出たレオンの足は、自然と活気に満ちた市場へと向かっていた。
石畳の道を歩きながら、レオンは深く息を吸い込む。焼きたてのパンの香り。香辛料の刺激的な匂い。果物の甘い香り。それらが混ざり合い、生活の匂いとなって漂っている。
喧騒。笑い声。怒鳴り声。値切る声。子供たちが走り回る音。
それは、禁書庫の冷たい静寂とは真逆の、温かい世界だった。
レオンの心が、少しずつ解けていくのを感じる。あの陰鬱な書庫で、絶望的な文献と向き合っていた時の重苦しさが、人々の営みの中で薄れていく。




