56. 狂うか、死ぬか
「……なんだ?」
その老人は書物の頁に目を落とし、ぶっきらぼうに答えた。
「ギルドマスターからの紹介状です」
レオンは、懐から羊皮紙を取り出し、差し出す。
老司書は、それを一瞥すると――値踏みするようにレオンを見た。
その視線は、まるで魂の奥底まで見透かすかのように、鋭く深い。
「ふん」
鼻を鳴らす。
「冒険者風情が禁書庫じゃと……。冒険者なぞ武具を磨いておけっちゅーんじゃ!」
嫌味な口ぶりだった。
明らかに、レオンを試している。
けれど――レオンは臆することなく、まっすぐに老人を見返した。
「知識を求める者に貴賤の差はないはずです。それともこの図書館は、肩書きで知識を売る場所になったのですか?」
その言葉に――。
一瞬、館内の空気が凍りついた。
周囲の学者たちが、レオンをチラッと見ながら何かをひそひそ話す。
老司書の眉が、ピクリと動く。
「……ほう。ならば聞こう。小僧、何を調べに来た?」
レオンは、深呼吸をして――。
「……失われた古代呪術。特に『魂魄への干渉』と『スキル論』に関する禁書を閲覧したい」
その言葉に――眼鏡の奥の瞳が、ギラリと光る。
「呪術……じゃと?」
レオンは、拳を握りしめた。
「僕自身の――運命の、解き明かし方を」
その拳が、小刻みに震えている。
その言葉を聞いた瞬間――老司書の表情が、一変した。
まるで、破滅へと向かう者を見るかのような眼差し。
「…………」
老司書は、しばらくレオンを見つめていた。
そして――重い溜息をついた。
「……ついてこい」
そうだけ呟くと、立ち上がった。
腰に下げた鍵束から、一本の重厚な鉄の鍵を取り出す。
その鍵には、複雑な魔法陣が刻まれており、微かに青白い光を放っている。
「小僧」
歩きながら、老司書が呟いた。
「『運命』に挑んだ者を、ワシは数多く見てきた」
その声が、静かに響く。
「誰一人として――無事では、済まなかった」
レオンは、何も答えなかった。
ただ、その背中を追った。
◇
ギィィィ――。
重い音を立てて、禁書庫の扉が開かれた。
その瞬間――レオンは、まるで別世界に足を踏み入れたかのような感覚を覚えた。
外の世界とは、時間の流れが違う。
空気が、違う。
天井の高窓から差し込む光の筋が、まるで金色の川のように幻想的な光景を作り出していた。
革と古紙、そして乾いたインクの匂いが――より濃く、レオンの鼻腔をくすぐる。
それだけではない。
何か、もっと別の――言葉にできない、禍々しい気配のようなものが、空気に混じっている。
書架は天井まで届き、無数の書物が眠っている。その一つ一つが、禁じられた知識。危険な魔術。失われた真実――。
「好きにせい。ただし――」
老司書の声が、低く響く。
「深入りはせんことだ。禁書は、読む者を選ぶ。選ばれなかった者は――」
そこで言葉を切り、肩をすくめる。
「――狂うか、死ぬか、だ」
レオンはキュッと口を結ぶ――――。
ギィィ、と扉が閉まる音。
レオンは、一人きりになった。
「さて……」
深呼吸をして、書架へと向かう。
片っ端から、関連書物を手に取っていく。
『古代呪術大全』『魂魄干渉論』『スキル体系と魔力循環』
ページを開き、読み、次の本へ。
また開き、読み、次の本へ。
最初の数時間は――集中力と希望に満ちていた。
きっと、答えがある。
きっと、【運命鑑定】を取り戻す方法が見つかる。
そう信じて、レオンは読み続けた。
しかし――。
『スキルとは魂に刻まれた紋章である。それが破壊されれば、二度と元には戻らない』
「くっ!」
――一時間が過ぎ。
『魂魄への干渉は、神々の領域。人の身では決して到達できぬ境地である』
「くぅぅぅ……」
――三時間が過ぎ。
『呪いによって失われたスキルは――解呪不能』
「何だよもぉ!」
――六時間が過ぎた頃には現実の厳しさに打ちのめされていた。
どの書物にも記されているのは、絶望的な言葉ばかり。
ページをめくる手が、震え始める。
焦りが、胸を締め付ける。
(なぜだ……なぜ、どこにも答えがないんだ……!?)
時間が経つにつれ――手の動きは、荒々しくなっていった。
バサッ、バサッ、と乱暴にページをめくる。
目は文字を追うが、頭には入ってこない。
ただ、「無理」「不可能」「絶望」――そんな言葉だけが、心に突き刺さってくる。
窓の外を見ると――いつの間にか、夕日でオレンジ色に染まり始めていた。
(……もう、こんな時間……)
レオンは、積み上げた書物の山の前で、力なく膝をついた。




