54. 心の拠り所
「うぅぅぅ……!」
ルナの顔が、ススで汚れているにもかかわらず、真っ赤になる。
「ま、まぁ、やっちゃったことはしょうがないな」
レオンはタタッとルナに近づいた。
「それよりケガはない?」
少しかがんでルナの顔を見つめながらハンカチを取り出すと、ルナの煤だらけの顔を優しく拭き始める。
「だ、大丈夫よ? これくらい……」
ルナは目を泳がせながら、恥ずかしそうに呟く。
レオンは丁寧に、優しく、まるで妹の世話をするかのように――頬の煤を、額の煤を、鼻の煤を拭っていく。
「髪にも煤がついてるぞ。じっとしてて」
「あ……う、うん……」
レオンの指が、ルナの赤髪に触れる。
その感触に、ルナの心臓がドクンと跳ねた。
(レオンが……こんなに近くに……)
彼の翠色の瞳が、すぐそこにある。
ルナの顔が、さらに赤くなる。もう、煤なんて関係ない。
「よし、これできれいになった」
レオンがにっこりとほほ笑む。
その笑顔に――ルナの心が、溶けそうになった。
「よかった……怪我してなくて」
「う、うん……ありがと……」
小さな声で、呟いた。
◇
焦げたパンとベーコンだけの、少し寂しい朝食――――。
それでも、五人で囲む食卓は温かく、笑い声が絶えなかった。
ルナの失敗談で盛り上がり、シエルが次は自分が料理すると宣言し、ミーシャが「あら、楽しみですわ」と微笑み、エリナが「私も手伝う」と頷く。
レオンは、その光景を見ながら――心から思った。
(僕たちはもう、家族なんだな)
血の繋がりはない。
けれど、確かに――ここには、家族がいる。
レオンはコーヒーをすすりながら静かにうなずいた。
◇
朝食を終えた頃。
ルナが、バン!とテーブルを叩いて立ち上がった。
「よし! じゃあ今日は、あたしたちだけでギルドの依頼をこなしてくる!」
その宣言に、レオンが目を丸くする。
「え……?」
「レオンは屋敷でゆっくり休んでて!」
ルナはレオンの顔色を窺うように、そう続けた。
「いや、しかし……」
レオンが戸惑った声を出す。
シエルも、力強く頷いた。
「そうよ。レオンは昨夜、あまり眠れていないだろうし……ボクたちだけで行ってくるよ」
碧眼が、優しくレオンを見つめている。
「で、でも……」
レオンは、キュッと口を結んだ。
胸の奥に、痛みが走る。
確かに戦闘では役に立たない。
せめて――せめて荷物持ちくらいはやらせて欲しかったが、そう言われてしまうと、もう何も言えなかった。
レオンの視線が、下を向く。
肩が、わずかに落ちる。
俯きかけたレオンの――その心の揺らぎをミーシャは、見逃さなかった。
「あらあら、勘違いなさらないでくださいな」
ミーシャがカップを置き、悪戯っぽく微笑む。
「あなたには、あなたにしかできない重要任務をお願いしたいのですわ」
「僕にしか……できない仕事?」
レオンが顔を上げる。
「ええ」
ミーシャは優雅に頷いた。
「まずは体調の管理。あなたが心身健康でいていただかないと、アルカナは輝けないのです」
「そ、そう……?」
「当然ですわ。あなたは私たちの――心の拠り所なのですから」
その言葉に、レオンの胸が熱くなる。
「それに」
ミーシャは続ける。
「もし、余裕があるなら――最近王都周辺で囁かれている不審な動きの調査とか、あなたを蝕む『呪い』に関する情報収集とか……無理のない範囲で、お願いしたいわ」
「わ、分かった……」
その言葉は――レオンが失いかけていた存在意義そのものだった。
そうだ。
戦闘だけが、全てじゃない。
自分には、自分の戦い方がある。
情報収集。分析。そして――仲間たちが安心して戦える環境を整えること。
それこそが、自分の役割なのだ。
「……ああ、分かった」
レオンの目に輝きが宿る。
「その任務、確かに引き受けた」
力強く、そう宣言した。
◇
出発の時間――――。
玄関で、レオンは四人を見送る。
ルナが「じゃあ、行ってくるわね!」と元気よく手を振る。
シエルが「お留守番、よろしくね」と微笑む。
ミーシャが「ふふっ、帰ったらお土産話を聞かせてくださいな」と優雅に頭を下げる。
そして――。
エリナが、最後まで残っていた。
他の三人が先に進むのを見計らい、彼女はレオンに近づく。
そして――ぼそりと、しかしレオンにだけ聞こえる声で告げた。
「一日中寝ていても構わないのよ? 無理だけは、しないで」
その声は、普段の凛とした声ではなく――どこか、不安げで、優しい声だった。