40. 漏れた本音
憎い。憎い。憎い。
カインの胸中で、黒い感情が渦巻いていた。
なぜお前が、こんな力を手に入れた?
なぜお前が、英雄になった?
なぜお前が、俺より上に立っている?
お前は――戦えもしない、ただの鑑定士だったじゃないか。俺が拾ってやって、俺が使ってやって、俺のおかげでパーティにいられたんじゃないか。
理不尽だ。間違っている。こんなの、絶対におかしい――!
全ての嫉妬と憎悪を込めた一撃が、レオンの首を狙う。
だが。
キィィィィンッ!
甲高い金属音が夜の屋敷に響き渡り、火花が散る――――。
エリナが赤い剣で、その剣を受け止めていた。レオンを守るように、その前に立ちはだかる。黒髪が風に揺れ、その凛とした横顔は街灯の柔らかな光を浴びて神々しいほどだった。
「邪魔すんな、小娘ぇぇぇっ!」
カインが歯噛みしながら吠える。剣に力を込め、押し切ろうとするが――エリナは微動だにしない。
「レオンには……指一本、触れさせないわ」
その声は静かだったが、揺るぎない意志に満ちていた。
黒曜石のような瞳が、カインを睨む。その眼差しには、五年前に家族を失った夜と同じ――いや、それ以上の覚悟が宿っていた。もう二度と、大切な人を失わない。絶対に。
「なんだ? レオンに抱かれて、いいように使われてんのか? このヘタレ野郎に! 戦えもしねぇ腰抜けに、股開いて雌に堕ちたのか!?」
下劣な侮蔑の言葉を吐き捨てる。
「まだ抱かれてなんて無いわよっ!」
エリナは思わず叫び返すが――――。
「『まだ』って何よぉぉぉっ!?」
「抱かれる気満々じゃないっ! ちょっとエリナ、どういうこと!?」
「あらあら、私が先だからね? ふふっ」
女の子たちはエリナの本音が漏れた一言に嚙みついた。
「う、うるさいわね! 今は戦闘中でしょうが! 黙ってなさい!」
エリナは顔を真っ赤にして一喝すると剣を弾いて距離を取り、再びカインと対峙した。
だが、その頬は――まだ、僅かに赤い。
「なめやがって……小娘どもがぁっ!」
カインは太陽の剣に気合を込めた。ゴウッ、と剣身が黄金色の輝きを纏う。それは彼の代名詞とも言える、魔力を込めた必殺の一撃の前兆。
場の空気が、一変した。
恋の鞘当てから、命を賭けた真剣勝負へ。
二人の剣士が、互いを睨み合う。カインはAランク冒険者として名を馳せた剣の名手。数百の戦場を駆け抜け、無数の魔物を屠ってきた歴戦の勇者だ。一方のエリナは、わずか数日前に覚醒したばかりの新人。実戦経験も、まだ片手で数えられるほどしかない。
だが――。
その瞳に宿る光は、まるで違った。
カインの目には、追い詰められた焦燥と、底知れぬ憎悪。
エリナの目には、静かな覚悟と、何より――レオンを守るという、揺るぎない意志。
風が、止まる。
虫の声すら、消える。
時が、凍りつく。
世界が、この二人だけを残して静止したかのようだった。
次の瞬間――。
ザンッ!
カインが地を蹴り、全力で斬りかかった。その一撃は、確かに熟練の技だった。軌道は完璧で、速度も申し分ない。だが、それだけだ。そこには、自分本位のエゴからくる力しかなかった。
エリナは冷静に、流れるような動作でそれを受け流す。
まるで川の流れのように、自然に、美しく。
そして、反撃――。
ザシュッ!
赤い剣が、街灯を反射して一閃する。
その切っ先が、カインの頬を斬った。
「ぐあっ!」
鮮血が、夜の闇に飛び散る。
赤い雫が、石畳に落ちて小さな音を立てた。ぽたり、ぽたりと――まるでカインの運命が滴り落ちていくかのように。
カインが顔を押さえる。指の間から、血が滲む。生温かい液体の感触に、彼は理解した。
痛みと共に、悟った。
これは――勝てない。
剣を交えてわかった。目の前の少女は、自分より高みにいるのだと。
ぽっと出の新人の小娘だと甘く見ていたが、とんでもない。これならオーガジェネラルを倒したのも本当だろう。いや、むしろあの魔獣ですら、彼女の前では児戯に等しかったのかもしれない。
カインは、ちらっとレオンを見た。
レオンは静かに、こちらを見つめていた。その翠色の瞳には、憐れみも、憎しみもない。ただ、静かな決意だけがあった。まるで、全てを見通しているかのような――そう、鑑定スキルで罠を見抜いていたときのような眼差し。
ああ、と。
カインは悟る。
俺は追放することで、レオンを覚醒させてしまったのだ。
人生をぐちゃぐちゃにしてやったつもりが、むしろレオンの真のポテンシャルを引き出してしまっていた。絶望の淵に叩き落としたはずが、それが彼を成長させる契機になってしまった――。
くっ!
だが、そんなことを認めるわけにはいかない。こいつら全員をボコボコにして奴隷商人にでも売りつけてしまわない限り、自分に未来などないのだ。ここで負ければ、全てを失う。名誉も、金も、女も、何もかもが――!




