33. ディープに決める
「へ?」
「え?」
「はぁっ!?」
シエルはパンをポロッと落とし、ミーシャはガン!と立ち上がった。
「あんた! 何やってんのよ!」
ミーシャの声が、部屋に響き渡る。
「え? シチュー舐めとってあげただけよ? 昔は、弟のほっぺもこうやって舐めてたのよ?」
ルナは酔っぱらって、自分が何をしたのか理解していないようだった。
「ガキとレオンは違うでしょーが!!」
ミーシャは目を三角にして怒る。その表情は、聖女のそれではなく、嫉妬に狂った乙女のそれだった。
「まぁまぁ、ちょっと落ち着いて……ね?」
レオンは場を収めようとしたが――――。
「そんなことするなら私だって!」
シエルはレオンにバッと抱き着くと、目をぎゅっとつぶってレオンのほほにチュッとキスした。
その柔らかな唇の感触が、レオンの頬に残る。
「はぁぁぁぁ!?」
怒髪天を衝くミーシャ。
「ふっざけんじゃないわよぉぉぉ!」
ミーシャはパンを思いっきりシエルに投げつけた。
硬いパンがカン!とシエルの銀髪で跳ね返る。
「いったーい! 何すんのよぉ!」
シエルはガタッと立ち上がり、ものすごい剣幕でにらんだ。その碧眼には、明確な敵意が宿っていた。
「ストップ! ストーーーーップ!!」
レオンは慌てて立ち上がり、両手を振って二人を制止する。
「ここはレストラン。こんな大騒ぎしたら迷惑だよ? 落ち着いて……ね?」
レオンの声は、必死だった。
「じゃあ、レオンはここに座って!」
ミーシャは自分の隣の席を指す。
「え?」
「二人だけズルい! 私だってディープに決めてやるんだから!」
もう滅茶苦茶である。
「いや、キスってのは合意じゃなきゃセクハラなんだけど?」
「何よ! こいつらのキスはセクハラじゃないわけ? 何? 合意したの?」
ミーシャの怒りは止まらない。その瞳には、涙すら浮かんでいた。
レオンは深くため息をつくとルナとシエルに怒る。
「キスはダメ! 今度やったらペナルティだぞ!」
「わ、分かったわよ……」「はーい……」
レオンの気迫に二人は小さくなってうつむいた。
「ふんっ!」
ミーシャは険しい目で鼻を鳴らす。
静寂が部屋に広がった――。
いたたまれなくなったレオンは、深くため息をついて席を立った。
「トイレ行ってくる……」
よろよろと個室を出ていくレオンの背中には、疲労と諦めが滲んでいた。
三万の魔物よりも、この少女たちの方がよほど手強い――そんな思いが、彼の心を支配していた。
◇
トイレから出てくると、エリナが腕を組み、ムッとした表情でにらんでいた。
その黒曜石のような瞳には、明確な不満と、そして――どこか傷ついたような色が浮かんでいた。
「ちょっと、あれ、何なの?」
エリナの声は、低く抑えられていたが、その奥には激しい感情が渦巻いていた。
「え? 彼女たちのこと? そんなの僕に聞かれても……」
レオンは困惑した表情を浮かべる。
「あんた、あの子たちに何したの? 彼女たち男嫌いだったのよ?」
エリナの声には、疑念と――そして少しの嫉妬が混じっていた。彼女たちはレオンに出会うまでは男に心を閉ざしていたのだ。それが今では、あんなにもレオンに懐いている。
「僕に何ができるって言うんだよ。僕だって困ってんだからさ」
レオンは本心から言った。好感度が限界突破している状況を、彼自身がコントロールできているわけではないのだ。
「【魅了】とか変なスキルで彼女たちの心をいじったんでしょ!」
エリナは鋭く目を光らせた。
「そんなスキルあったら苦労してないって……」
レオンは疲れたように肩を落とす。
「どうだか!? ふんっ!」
エリナはそっぽを向く。
「そんな怒ってないでさ、エリナからも何か言ってやってよ」
レオンは懇願するように言った。
「何て言うのよ? 『この男はクズだから気を付けろ』って?」
「ク、クズぅ? それは言いすぎなんじゃないの?」
レオンは思わず声が裏返った。
「クズじゃない! 二人からキスされて鼻の下伸ばして……最低!!」
エリナの声が震えていた。それは怒りだけではなく、何か別の感情――自分でもまだ理解しきれていない、複雑な想いが込められていた。
レオンは深くため息をついた。
せっかく女の子たちの覚醒に成功したのに、こんな色恋沙汰で崩壊の危機とか、とても笑えない。
「分かった、分かった。僕からビシッと言ってみるよ」
レオンはジト目でにらんでくるエリナに気おされながら言った。
「……ふん! ちゃんと収拾してよね?」
プイッとそっぽを向き、鼻を鳴らすエリナ。
「わかったよ……」
レオンは大きく息をつくと個室へと戻っていった――――。




