15. 狂った神託
「皆様……」
ミーシャが優雅な仕草で一歩前に出た。
「これは、神のお導きです」
ぶわぁぁぁ――!と、黄金のオーラが、ミーシャから爆発的に解放される。
まばゆい光が、まるで天使の降臨のように室内を包み込んだ。金髪が後光のように輝き、空色の瞳が慈愛に満ちて微笑む。
「あ、あなたは……」
ガルバンの膝が震える。歴戦の猛者が、初めて見せる畏怖の表情。
「せ、聖女様?」
「そう、私は聖女……」
ミーシャの演技は完璧だった。長年、教会の孤児院で生き延びるために磨き上げた、究極の小芝居。
内心では(うふふ、騙されやすい人たちですわね)と毒づきながらも、表面は聖母のような微笑み。
「神は我々を、魔物殲滅のために遣わされました」
両手を胸の前で組み、天を仰ぐ。
「神は告げられました。レオンとその仲間たちが、奇跡を起こすと……」
「し、しかし……」
ガルバンの声が震える。理性と狂気の狭間で、激しく葛藤している。
「火山を噴火させるなど、人間にできることでは……」
その時、エリナが一歩前に出た。
「できないと決めつけて、このまま死ぬんですか?」
黒い瞳が、真っ直ぐにガルバンを見据える。
ルナも小さな拳を握る。
「あたしたち、できるんですよ!?」
シエルも一歩前に出る。
「ボクたちを、信じてください」
四人の少女たちの瞳に宿る、純粋な決意――――。
それは狂気かもしれない。
でも、絶望よりは、遥かに美しい狂気だった。
「はっはっは! いいじゃねーか!」
豪快な笑い声が、死の空気を切り裂いた。
皮鎧に身を包んだ筋肉質の男が白い歯を見せて笑っている。
Aランク剣士、ブラッド。
砦最強にして、最も恐れられる狂戦士。その男が、愉快そうに肩を揺らしていた。
「どうせこのままじゃ全滅なんだぜ?」
鼻を鳴らし、血に飢えた獣のような笑みを浮かべる。
「街からこんな死地に来てくれた可愛いお嬢さんたち、ありがとよ!」
ブラッドの視線が、アルカナ一行を舐めるように見渡す。
「見せてもらおうじゃねーか、その神業ってやつをよ!」
「ブラッド、お前まで……」
ガルバンが信じられないという顔をする。
「なぁ指揮官殿」
ブラッドの瞳が、剣のように鋭く光る。
「他に、どうやって勝つんだ?」
単純な問い。だが、それは核心を突いていた。
「籠城か? 三百で三万を? 一日持つか?」
「……」
「突撃か? 一人で百体倒す計算だな。俺でも無理だ」
「……」
「逃亡か? 敵の方が速い。背中から喰われて終わりだ」
一つ、また一つと、現実が突きつけられる。
沈黙が、鉛のように重く垂れ込める。
ガルバンは苦悶に歪んだ顔でレオンを睨みつける。
額に浮かぶ脂汗。噛みしめた唇から、血が滲みそうなほど。
(三百の命を預かる身だ)
砦の司令官として、街の十万人を守る最後の盾として、今まで幾多の決断を下してきた。
だが、これはそう簡単に受け入れるわけにはいかない提案だ。
(いきなり現れた若造の、火山噴火という戯言に賭ける?)
五十年積み上げてきた戦術眼が「馬鹿げている」と叫んでいる。
歴戦の勇者としてのプライドが「恥を知れ」と囁いている。
その時だった――。
グォォォォォォ!
大地を引き裂くような咆哮が、砦全体を揺らした。
窓の外、黒い津波のような魔物の群れが、集落を次々と飲み込んでいく。いよいよ本隊が到達し始めたのだ。
「き、来た!」
「どどど、どうすんだよぉぉぉ」
「もう終わりだぁ!」
兵士たちの悲鳴が、恐怖の連鎖となって広がっていく。
「くっ!」
ガルバンは奥歯をかみしめる。落ちる士気、圧倒的な魔物の圧。もはや奇跡でしかこの状況は変えられない。
「……いいだろう」
深い溜息が、諦めと決意を運ぶ。
「犬死にするくらいなら」
皺だらけの手が震えながら差し出される。五十年の戦歴で、初めて見せる震え。
「その狂った神託に、三百の命を賭けてやる」
崖っぷちで差し出された、最後の藁を掴む手。
レオンは静かに胸に手を当て、古の騎士のような優雅さで一礼する。
「後悔はさせません」
そして、震える老将の手を、若き両手でしっかりと包み込んだ。
温かい。確かな意志の温もりがガルバンの心に響く。
レオンが顔を上げ、にっこりと微笑む。それは狂人の笑みではない。未来を見通した者だけが浮かべる、揺るぎない確信の笑顔――――。
ガルバンは大きくうなずくと、素早くバルコニーに飛び出した。
ガランガラン! ガランガラン!
集合の鐘を大きく打ち鳴らす――――。
中庭に兵士たちが集まってくるが――その顔は死人のように青白く、瞳には生気がない。槍を杖代わりにして、やっと立っている者もいる。
覇気を失った三百の魂が、処刑を待っていた。




