104. 終焉の合唱
「エリナ!」
「レオ――」
エリナの声が、水の轟音にかき消される。
渦は、容赦なく彼らを引き離し、それぞれを奈落へと引きずり込んでいく。次々と仲間たちの姿が視界から消えていった。ミーシャの金髪が。ルナの赤髪が。シエルの銀髪が。そして、エリナの黒髪が。全てが、闇の中に飲み込まれていく。
視界が、激しく回転する。
上下の感覚が失われる。
息ができない。苦しい。肺が、悲鳴を上げている。もう限界だ。
意識が、徐々に、徐々に遠のいていく。
みんな……ごめん……。
レオンの心の中で、謝罪の言葉が響く。
守れなかった。
また、守れなかった。
俺は、結局……何もできなかった……。
世界どころか仲間も守れなくて。
俺は、一体何のために……。
「はーっはっはっはっは! ごきげんよう、小鳥たち! また、すぐに会いましょう! その時は、貴方たちも私の可愛い僕になっているでしょうけれどねぇ! きゃははは!」
イザベラの狂的な笑い声が、遠く、遠く、遠ざかっていく。
水の轟音も全てが、遠くなる。
闇。
深い、深い闇だけが、レオンを包み込んでいく。まるで、母の胎内に戻るような、冷たい闇。
そして――完全な沈黙。
意識が、途切れた。
◇
次に意識が戻った時、全身を襲う激痛に、レオンは呻き声を上げた。
「う……ぐ……っ……」
体中が痛い。打撲だらけだ。頭も割れるように痛む。肋骨も、何本か折れているかもしれない。息をするたびに、鋭い痛みが走る。
目を開けると、そこは冷たく湿った石造りの空間だった。
牢獄――。
天井は低く圧迫感がある。壁は黴と苔に覆われ、長年放置されていたことを物語っている。床は冷たい石で、所々に水たまりができていた。空気は淀み、湿気と腐敗の臭いが鼻を突く。吐き気がする。
「みんな……!」
レオンは必死に体を起こし、周囲を見回した。痛みで視界が霞む。
少し離れた場所に、仲間たちが倒れている。エリナ、ミーシャ、ルナ、シエル。全員、意識を失ったまま、冷たい石床に転がされていた。まるで、捨てられた人形のように。
「みんな! しっかりしろ!」
レオンは這うようにして、仲間たちに近づこうとする。腕が震える。足に力が入らない。それでも、進まなければ。
その時だった。
ガシャン!
頭上から、重く、絶望的な音が響き渡った。
天井の鉄格子が閉まる音。
レオンは顔を上げる。天井にぽっかりと開いた大きな穴。おそらく、排水口のようなものだろう。
自分たちは、あの穴から水と共に流され、この牢獄に幽閉されたのだ。
牢獄の入口にも太い鉄の格子が降ろされ、完全に閉ざされていた。錆びた鉄格子の向こうには、暗い通路が続いている。松明の光すら届かない、深い闇。
脱出は――簡単そうではなかった。
「くそっ……!」
レオンは、力なく拳で床を叩いた。石が、手のひらに冷たい。
無力だ。
何もできない。
その時、遠くから、何か異様な音が聞こえてきた。
ゴゴゴゴゴ……。
地響き。まるで、大地そのものが呻いているような音。
いや、それだけではない。
キィィィィ……。
ギャアアアアア……。
グルルルルル……。
無数の、おぞましい声。それらが重なり合い、不協和音を奏でる。
それは――十万の魔物が殻を破り、産声を上げる、終焉の合唱だった。
レオンの顔から、血の気が引く。
始まってしまった。
イザベラの計画が、動き出してしまったのだ。
この牢獄の外で、今まさに、世界を滅ぼす軍勢が目覚め始めている。王都が。人々が。全てが、蹂躙される。
「……嘘だろ……」
レオンの声が、震える。
絶望が、心を覆い尽くそうとしてくる。
もう、終わりなのか?
俺たちは、何もできずに――。
「う……レオン……?」
か細い声が聞こえた。
エリナが、目を覚ましたのだ。
「エリナ! 無事か!?」
「ここは……どこだ……?」
エリナは朦朧とした様子で周囲を見回す。
「牢獄だ。俺たちは、捕らえられた」
レオンの言葉に、エリナの顔が絶望に染まる。その黒曜石の瞳が、揺れる。
やがて、他の仲間たちも、次々と意識を取り戻していく。
「い、痛い……」
ルナが、顔を顰めながら体を起こす。
「ここ、は……」
ミーシャが、不安そうに周囲を見回す。
「うう……頭が……」
シエルも、額を押さえながら目を覚ます。
全員が、この絶望的な状況を理解し、言葉を失った。
遠くから聞こえる、魔物たちの咆哮。
閉ざされた鉄格子。
全てが、絶望を示していた。
沈黙が、牢獄を支配する。
誰も、何も言えない。
けれど――。
レオンは、仲間たちの顔を見回した。
エリナの黒曜石の瞳。ミーシャの空色の瞳。ルナの緋色の瞳。シエルの碧眼。
傷だらけで、絶望に染まっている。
けれど、それでも――生きている。
まだ、終わっていない。
心臓は、まだ鼓動している。
ならば。




