02 魔女、五〇年を思い知る
ジャンヌは自分を間に挟んで喧嘩していた魔王と勇者に呆れていたが、このままでは話が進まないと彼らを一喝した。
それによって、低レベルな言い争いからようやっと事情を説明する流れとなった。
「それで、魔王と一緒にいるってわけ?」
「うむ」
一通り説明しても、いまだ不機嫌そうなジルだったが、ジャンヌは無視して話を進めることにした。
「それ、一歩間違えば死んでいたってことだよね?」
「一歩間違うどころか死んだぞ。そして、我が生き返らせた。我が」
「ルシファー……話がややこしくなる。黙っていろ」
先ほどからなぜかいがみ合う二人にジャンヌは疲弊しながら何度目かの注意をした。
死のうとしていたことに怒っているらしいジルの視線が痛いのもあって、これ以上頭痛の種を増やしたくなかったから少しきつい口調になってしまった。
ルシファーは少し落ち込んだ後、大人しくジャンヌの隣に座りなおした。
ジャンヌが説明をしている間にその姿は本来の姿から人間へと再度変化していた。
形のいい頭部に、垂れた犬の耳が生えているかのような錯覚をまた覚え、ジャンヌはげんなりとした。
(これで創世記以前から生きているとは信じられんが……いや、それを言うならば、わしもバタールも四〇〇年以上生きているわけだから……そう簡単に感情というものは死なんのかもしれんな)
「それで、これからどうする気なの?」
「うむ、バタールへの説明も済んだし、元の住処に戻るのもありかと思っていたが、話を聞くにその……半壊しているとか?」
「していたね」
「あと各地への八つ当たり?」
「うん」
(頭が痛い)
青玉の曇りなき眼でうなずかれて、ジャンヌをまた頭を抱えた。
「……弟子の不始末は師匠の責任じゃ……しばらくは各地を見て回って弟子たちの起こした問題の収拾を手伝うつもりじゃ」
「それならちょうどいい!」
「ん?」
勢いよくパンと両の手を叩き合わせてから、ジルは不気味過ぎるほどきれいな笑顔を浮かべた。
「君の弟子たち、何だか知らないけど、私の国への八つ当たりが特にひどくてね」
「そ、そうなのか?」
「元々人間が嫌いっていうのも影響しているのかもだけど」
「あー……」
「私がジャネットを隠したとかあらぬ嫌疑もかけられたりしたなぁ」
「なんでそうなる?」
「ま! 別にいいんだけどね! 君の可愛い愛弟子たちだし!」
(だったら、その不気味なほどきれいな作り笑いはなんだ?)
整った容姿だけでなく、胸や腕にたっぷりとはいった金の刺繍による豪華な装飾も相まって、まるで後光が差しているかのような輝きを放つ姿だったが、それが決して本心ではないことは古い付き合いのジャンヌにはわかっていた。
びくつくジャンヌにジルは優しい声音で言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「でもね。損害は結構被っているんだよね」
「お、怒っているのか?」
「そんなこと、ただいくら君の弟子とはいえ、さすがにそろそろ大人の力を見せてもいいかなって」
「わかった!! しばらくはお主の使い走りでも何でもやるぞ!」
即座に挙手をするジャンヌにジルは当然といったようにうなずいた。
ジャンヌの弟子たちがいくら修行を積んだ人外だとて、さすがに魔王を倒した伝説の勇者から見ればまだ赤子とそう変わらない。
ジルが本気でお灸をすえようとすれば、束でかからない限り痛い目を見るのは弟子たちの方だとジャンヌは認識していた。
「早速で悪いんだけど、実は面倒なことが起こっていてね」
「誰の仕業だ? ゲープハルトか? ティターニアか? ウィットか?」
「それが、どちらかというと」
つい、とジルの指先が上がり、ジャンヌではなく隣のルシファーを指さした。
「そこの、元魔王の仕業だって噂でね」
「「……は?」」
つい二人して声がそろってしまう。
ジャンヌは反射的にルシファーを睨んだが、当人も首をかしげて不思議がっていた。
「一月ほど前ぐらいから貴族の令嬢が人知れず行方不明になってるんだ。しかも、彼女たちはみな自分の館で行方不明になっている」
「駆け落ちとか?」
「一〇才の少女が?」
「なに?」
片眉をつり上げるジャンヌに対し、ジルはじっと見つめて困ったように笑った。
「さらわれている子はみんな幼い少女なんだよ。君みたいにねジャネット」
ジルの言葉に、ジャンヌはなるほどと思った。
だからこそ、今の姿の自分に協力を頼むのかと納得がいったのだ。
「駆け落ちするには精神も肉体も若すぎる。しかも彼女たちは就寝後に自分の部屋から消えていた。一〇の少女が誰にも気づかれず抜け出せるほど館の警備も甘くない」
「ルシファー」
ジャンヌが再び隣のルシファーを見れば、不本意だと前面に出したしかめ面と向かい合うことになった。
「俺はそんなに安くないぞ」
「だが、実際人が消えている」
「口を出すな若造」
ジルの口出しに対し、ルシファーは、はん、と鼻で笑う。
人間とは言え四〇〇を超えている相手に「若造」だなんて言えるのなんてルシファーぐらいだろう。
「わざわざ伝説の勇者の地を荒らすような行為をしたがる悪魔は、恐れを知らない肝がすわった馬鹿か、相手の能力を図ることもできない阿呆のどちらかだ」
「大司教は魔王の仕業だと言っているが?」
「何度言わせる気だ? 俺じゃない。もし仮に俺がやるならこの王国ごと滅ぼす」
「そうだな。バタール、わしも偶然だと思うぞ」
(助け舟を出すわけではないが、まぎれは出来るだけ無い方が良い)
「まぁ、私だってそんな話を信じているわけじゃないがね。ただ、噂をしていたところに君たちが現れたから、ついね」
ジルが肩をすくめる。
残念なことに国一つ滅ぼすことが簡単に出来てしまう存在なのだと、ジャンヌもジルも痛いほどに理解していた。
だからこそ、地上のあらゆる種族が恐れおののき神に助けを求め、伝説のパーティーが結成されたのだから。
「これは外交にも影響があって、ひどくセンシティブな問題なんだよ」
「お忍び旅行中だった他国の貴族令嬢でも攫われたのか?」
「いや、違う。被害は国内の令嬢だけだ。今はね。でも、友好国である他種族のがピリピリしている。特にフランケン公とかあたりがね」
「ゲープハルトか」
ジャンヌが一人目の弟子の名に反応して顔を上げれば、ジルはため息をついていたところだった。
「ヴニーズみたいな海洋国家はまだ呑気なもんだけど、帝国やビタリは我が国と国境が接しているからね」
「そう、それだ。まさかアヤツが人間を名乗るとは思わなかったぞ」
「あれ? ジャネットには前に説明したはずだけど?」
「そ、そうじゃったか?」
ぎくりと肩を揺らしてジャンヌの動きが止まる。
辺境の住処に引っ込んでいた間、その後の国の様子はジルから聞いていたが、どちらかというと預かった弟子たちの世話と研究で忙しかったから詳しくは覚えていなかった。
というより、国政に興味がなかったのが主な原因な気がする。
「人間は弱い。その弱さ故に架空の敵を生み出してしまう。魔王が封印されてせっかく平和になった世の中、無駄に争いたくないってことでね。各種族の首長と秘密裏に協定を結んだんだ。いっそみんな人間ってくくりにしちゃえば解決だろうって。表向きは和親条約だけど、ゆっくりと浸透してって人間三世代ぐらいかな? 最近やっと意識改革が完了しつつあるってところ」
「では、皆の人間嫌いは治ったのか!?」
一番後に生まれ、一番授けられた能力が少なく、だが最も神に寵愛されて数が多い「人間」という種族を、他種族は良く思っていなかった。
ジャンヌの四人の弟子たちも例にもれず、その拒絶反応を近くで見ていたジャンヌとしては喜ばしいことである。
「いや、治ってないけど」
喜んだのも一瞬、ジルの言葉でジャンヌは浮きかけた腰を今一度ソファへ戻した。
「ただ、強い方に合わせるより弱い方に合わせる方が楽だから、妥協って感じだね。彼らとしてはせっかくお高いプライドを捻じ曲げて人と人外の境を曖昧にしたって言うのに、これでまた恐怖の対象にされたらたまったもんじゃないってね。早期解決を求められている」
「なるほど。しかし、それなら大司教の推測を拡散しなければよかったのでは?」
「いまや教会の力は国外にも及ぶんだ。政治的権威の及ぶ範囲も広くてそう簡単に口をつぐんでくれないんだよ」
本当に困っている、といった様子のジルに、ジャンヌは同情する。
「……なんだか大変なんだな」
「そう思うなら老体をいたわっておくれ」
「よしよし」
とりあえず頭をなでてやるか、とジャンヌは背伸びをしながらジルの頭を撫でたのだった。