01 魔女、五〇年を思い知る
そうでなくても目立つ男とフードをかぶった怪しい男の往来でのやり取りはそれなりに注目を集めてしまったようで、周囲の好奇な目線に気づき、ジャンヌ達は慌ててその場をあとにした。
現在彼女らがいるのはジルに与えられた王城内の一室だった。
簡単には帰れない、と言って一方的に宝珠のアクセスを切ったはずの主の帰還に目を白黒させたフローランだったが、同行者の二人がつい先ほど自分と遭遇した怪しい二人組だったことに今度は表情を青ざめさせた。
すぐさまジルへとつめ寄ったが、話の邪魔だと今は追い出されてしまっている。
お忍び用のフード付マントと衛兵連隊の軍服から本来の階級に合った宮廷衣裳へと着替えたジルは、いかにも大貴族然としていた。
堂々とした姿に自然とジャンヌの頬は緩む。
はじめてジルと出会った頃、ジャンヌは一六才、ジルは二〇才だった。
王の異母弟ではあるが私生児という立場上、周囲からの目も冷たく、誰よりも努力をしてようやっと少し認められるという状況だった。
そんな、甘えを許さず常に緊張を強いる環境はジルをひどく孤独にさせた。
警戒するあまり攻撃的になっていたジルと、直情的で何事も正論をぶつけてしまうジャンヌはよく喧嘩をした。
お互い殴ってひっかいて、仲間が止めるのも関係なしに大量の擦り傷を作った日々が懐かしい。
ジルと相対するようにジャンヌとルシファーが重厚なマホガニー材で作られたソファに座れば、タイミングを見計らかったように侍女が食器セットを運んできてくれる。先ほどまでジルが持っていたスミレの花束はテーブルの中心の花瓶に飾られた。
「せっかくだから軽食を用意させたよ」
「さすが大公殿」
「そういう言い方はよしておくれよ。君だって望めば似たような地位は手に入るんだよジャネット?」
過去の友を知っているからこそ、周りを実力で黙らせ今の地位についている姿が自分のことのように誇らしかった。
心からの賛辞だったが、どうやら皮肉と受け取られてしまったらしい。
「あいにくと、わしは自分のことは自分でしたいタチなんでな」
両者の中心にあるテーブルに食器セットがおかれ、器には生クリームと果物を味付けして凍らせたフロマージュ・グラッセが旬の果物と共に盛りつけられていた。
ガラス製の器の反射も相まって目に楽しい彩りだ。
スプーンですくって口に含めば、口の中で溶ける甘みとほのかにオレンジの花の香りがした。
カップに注がれた温かいショコラも口当たりの優しいオレンジの香りがしたあたりで、ジャンヌはジルを上目遣いで見た。
「お主、覚えていたのか?」
「何が? ジャネットはスパイスよりオレンジの花の味付けのが好きってこと?」
「わかっているじゃあないか」
ついでにいうならスミレも好きだ。
「そりゃ好きな相手のことだからね」
さらりと告げられる言葉に、ジャンヌは至極当然といった風にうなずいた。
「うむ。わしもバタールのことは好きじゃぞ」
「おいジャンヌ」
それまで黙っていたルシファーが不穏な気配を漂わせながらジャンヌの横からカップを奪い取る。
「なんだ? お主の分はもうあるじゃろ。返せ」
「そういう話じゃない。なんだ好きって、お前、俺というものがありながら」
奪い返そうと手を伸ばすが、リーチの長さは歴然であり天高くに掲げるルシファーには叶わない。
ぐぬぬ、と悔しさを隠さないうめき声をもらしていたが、思わぬ返しにジャンヌは首をかしげる。
「ふむ? 仲間なのだから当然だろう?」
「は?」
「そうそうジャネットってそういう人だよね」
目を瞬かせるジャンヌに呆気にとられたのはルシファーの方だった。
ジルはこの展開を知っていたかのように、二人を微笑ましく見つめて告げた。
しかし、次の瞬間には柔和な笑顔を消し、すっと双眸を細める。
「ところで、その姿もだけどさっきから我がもの顔で君の隣にいる人は誰なのかな? ジャネット」
「え?」
「弟子の一人……ではないよね? だったら、彼らがあんなことをするわけがない」
「おい待て、あんなことってなんだ? まさか弟子らがなにか」
「……君と連絡が取れなくなってすぐ、私は君の住んでいた地まで足を運んだ。元から聞かなかったがそれ以上に話を聞かない弟子たちの喧嘩によって住居は半壊し、それだけで飽き足らず各地で八つ当たりのように騒ぎを起こすし」
存在するだけで抑制力があるため、そう簡単にこの地を離れることができない勇者が、辺境の住処まで足を運んだという事実に驚くより先、続いた説明にジャンヌは頭を抱えた。
(ルシファーの元へ出向く前、確かに呼びかけを魔法で遮断した覚えがあるが、そうはならんじゃろ)
「……頭が痛い……」
「君に最も近かった彼らがそこまで騒ぐなんて、本当に君の身になにかあったのかと……考えたくはなかったがまさか」
ジルは口にするのをためらうかのように逡巡する。
それに気づいたジャンヌが顔を上げれば、問い詰めるかのような双眸はいつのまにか迷子の子供のように頼りないものへと変化していた。
ぐっ、と一度握った拳に力を入れ、ジャンヌと目を合わせるとジルは口を開く。
「……神に召されたのかと……今日も様子を見に行こうとしていたところだった」
「お主、執務は」
「それどころじゃないだろう」
「いや、それどころじゃろ」
「ジャネット!」
「お、おぅ」
思わぬ大声に、ジャンヌはびくりと肩を震わせた。
ジルの大声など若いころならいざ知らず、年をとってからはそうそうなかったからだろう。
驚きでこぼれ落ちそうなほど目をみはって、ついで瞬かせたあと、ジルの拳がかすかに震えていることに気づいた。
「ほんとうに、心配したんだ」
息がつまって区切り区切りになってしまっている言い回しに、ジャンヌはようやっと友を心から心配させてしまったのだと理解し頭を下げた。
「す、すまなかったバタール」
泣くことはないだろうが、その青玉をこれ以上曇らせたくなくて、腰を上げて友の手を両の手でぎゅうと握った。
「ほんとだよ。もうお互い年なんだ。驚かせないでおくれ」
ジャンヌの握った手のひらから伝わる震えが落ち着いた頃、ジルは苦笑しながらそう返した。
それに安心して手を離すと、先ほどからまた不穏な気配を漂わせていたルシファーへと向き直る。
「しかし、五〇年とは……ルシファー、どういうことじゃ?」
自分の方へ意識が向いたことが嬉しいのか。
ルシファーはころりと態度を変えてジャンヌに笑顔を向けた。
「復活後、蘇生にかかった時間だな」
「お主、それを先に言え!」
「ジャンヌとて新聞とやらを読んでいたではないか。あそこには暦が書いてあったぞ」
「……ぐぬ、そうだが」
暦の表記は小さい。記事を読むのに集中しすぎて失念していた。
ジャンヌの悔しげな表情に対し、ルシファーは胸をはった。
「ほらみろ、俺ばかり責めるのはおかしいぞ」
「開き直るな」
「大体たかが五〇年ごとき……あぁ、そういえば人間の感覚では五〇年というのは長かったか? しかしそれぐらい連絡がつかない程度で騒ぐとは器が小さい」
(この魔王に人間の尺度を求めるほうがおかしかった)
「器が小さくて結構。大事な友のことだ」
ルシファーの隣に座り直してその胸を悔し紛れに突っついていると、真正面から反論が返ってきた。ジルだ。
年をとって丸くなったはずの勇者が、若かりし頃のように鋭い双眸でルシファーを睨んでいた。
(これは……まずいのでは?)
「それで、先ほどの質問に答えてくれないか? 誰だ貴様」
「あの、そのだなバタールこれには理由が」
「ジャネットは黙っていてくれ。私は彼に聞いているんだ」
ジルの静かだが反論を許さない声に、ジャンヌは目をつぶって天を仰いだ。
ルシファーはと言えば、片眉をつり上げてジルの反応を面白そうに見つめた後、今度は形の良い口唇をにぃと弓型につり上げた。
「この姿を見た方が早かろう」
地から天へと持ち上げるような動作の後、ぱちんと指を鳴らす。
瞬間、指先から健康的な肌色が抜け赤黒く異形のそれに、顔は蒼白に、強膜は黒く染まり、ねじれた角が頭部を飾る。
「魔王!?」
「見覚えがあるだろう? 勇者」
視線を落とし、己の姿が元に戻っているのを確認してからルシファーはジャンヌの腕を引っ張ってその小さな体を抱き込む。
ルシファーの足の間に座らされ、己の頭にルシファーの顎がのったのを感じてからジャンヌはため息をついた。
(元よりバレないとは思ってなかったが、なにも最悪の演出をせんでも)
ジャンヌとしては、ルシファーの復活をジルの耳に入れておいた方がいいと思ってここまで来たが、出来るだけ穏便な形で紹介したいと思っていた。
しかし、同行者はどうしても人の嫌がることを率先してしたいようだ。
(悪魔か? そうだ、悪魔どころか魔王だった……)
心の中でツッコミを入れるジャンヌの頭に顎をのせたまま、ルシファーはにやにやと唇を歪めた。
「ジャネットから離れろ!」
腰に佩いていた儀礼用の直刀を即座に抜き構えるジルに、無駄かもしれないがジャンヌは手を挙げた。
「まぁ、落ち着けバタール。これには深い理由があってな」
「理由もなにも! 世界の危機だぞ!?」
「我は魔王をやめてジャンヌとハネムーンをしている」
「は?」
「いや、あのバタールが言いたいことはわかるがその」
「ずるいぞ魔王!!」
「は?」
直刀をルシファーへ突き付けて抗議をするジルに呆気にとられたのはジャンヌだ。
一方のルシファーは勝ち誇った笑顔を浮かべた後、背中側からジャンヌの頬を掴むと、むにりと口角を強制的につり上げさせる。
別に痛くはないが、ふざけた行為だ。
ジルの反応に唖然としたあまり行為を許容してしまったのだが、それに対し更に眉間にしわを寄せてジルが叫ぶ。
「私だってそんなことさせてもらったことないぞ!」
「いや、そういう問題じゃないだろうが」
「当然だ。我はジャンヌの夫であるからに」
「いや、わしが抵抗しないのはこの展開につかれているからで」
(もうツッコミが追いつかん)
その後、世界の危機がだの言っていた勇者はそこにおらず「ずるいずるい」を連呼するただの一青年と化していた。