03 魔女と魔王の城下巡り
「ルシファー、あの時、言っただろう? 行く先はわしが決めると。着いてきたくなければ、茶番は終わりだ」
「いやだ」
「では、大人しく付き合え」
ジャンヌはルシファーの愛の告白を本気では受け取っていなかった。
いくら真摯に語ろうが、相手は魔族である。人間を堕落させるのが得意なのである。
大人しく変化はしてくれたが、きっと何か裏があるに違いない、とジャンヌは考えていた。
かといって、このままルシファーを野放しにしているのも危ない。
現世でルシファーが暴れた場合―――正直、今の自分に出来るか自信はないが―――止められる人間がいるとしたらジャンヌだけだろう。
だから大人しくルシファーの望む通り名を呼び、「妻」の立場に甘んじているのである。
「お前を閉じ込めて二人だけの世界で生きていけたらいいのに……。その目を抉り出して誰も見られないようにすればいいのか? それとも」
はぁ、と物憂げなため息つきで残念がられる。
「不穏なことを言うのはやめろ。そんなことを言っていると嫌いになるぞ」
「いやだ」
今までルシファーが人間に行ってきたことを考えれば朝飯前の所業だろう。
だが、この魔王はジャンヌに嫌われることを本当に恐怖しているらしく、「嫌いになる」と言えば、不穏なことはすぐ撤回する。
これは王城へ来るまでのやり取りで検証済みである。
「おいルシファー、止まれ」
「王城の雑魚が言っていた花市とやらはまだ先だぞ?」
ジャンヌはぽんぽんとルシファーの肩を軽く叩くと、足を止めさせる。
視線の先には、新聞の野外出張所があった。
株の動きや街のニュースをいち早く仕入れることができる新聞を読むことは人々の重要な日課だったが、年間の予約購読料は普通の新聞で七〇フラン、国の御用新聞でもあるモニトゥール紙で一二〇フランした。
職人の日給がおよそ半フランの時代、個人で購入するには高価すぎたため、複数人で回し読みをするのが普通だった。
木割板の上に数種類の新聞をのせたセットを備えつけているカフェか私設図書館で読むのが基本だが、天気の良い季節には、人通りの多い公園など公共の場所に野外出張所が設けられていた。
「これはいい。ちょっと読んでいこう」
ジャンヌは読んだことはなかったが、バタールから新聞というのは実に便利なものだと聞いていた。
フローランの口ぶりからして、世界はジャンヌが認識していた以上に大きく変わっているらしい。
一度外の情報を仲間以外から仕入れるのもありだろう。
弟子たちの様子も、もしかしたら載っているかもしれない。
「ほれ、逃げんから下ろせ」
シャツをつまんで催促すれば、しぶしぶといった様子でルシファーはジャンヌを地面へと下した。
なるほど、歩幅が狭いのと視野が低いので違和感がすごい。
(無事歩けはするが、移動はルシファーに抱えられたままの方が楽かもしれんな)
パラソルの下に設置されたカウンターの周りには無造作に椅子がおいてあり、新聞を閲覧する者が座っていた。
節付きのステッキを持ち、季節にふさわしい麻のズボンをはいたおしゃれな若者、二角帽をかぶり肩章を付けた老人、優美な服装をした若い女性、と様々な世代がいた。
なかには一人が声を出して周りの仲間に読み聞かせていたり、気温がぽかぽかと暖かいからだろうか居眠りをしている男もいたりした。
何とも平和な風景である。
んんしょ、と声を出しカウンターに手をかけてつま先立ちをする。
側に腰かける女将と目が合った。
「女将、一部貸してくれ」
「おや、お嬢ちゃんが読むのかい? ……て、そんなわけないか。後ろの美男さんかね? 閲覧料金は一回一スーだよ」
「ははは」
思わず乾いた笑いがでる。
まさか、あなたより年上です、というわけにもいかない。
信じてもらえないことはあきらかだ。
一フランの二〇分の一に値する一スー銅貨を払って新聞を受け取った直後、また抱き上げられる。
抱き枕ではないのだが、とジャンヌが思っていれば、目の前の女将とまた目が合った。
「親子かね? いやぁ、美男美女だね。目の保養だ。きっとお母さんも美人さんなんだろうね」
「ははは」
「娘ではない妻だ」
「面白い冗談だねぇ」
「ほら! パパ! あっちに座ろう!」
「パパ……」
見るからにショックを受けたルシファーが青ざめて黙る。
これはこれでなかなか面白い、と内心笑ってしまう。
ルシファーはジャンヌの指した椅子へと大人しく進んだが、ジャンヌを下ろすことなく抱いたまま座った。
周囲の視線がいたい。
無の境地で周囲の視線を遮断すると、目の前の新聞へと集中する。
記事には天国という単語も地獄という単語もなければ、当然のように神族や魔族という単語もなく、人間同士の事件や話題しか載っていない。
魔法に関する記事は日常生活に役立てるのがせいぜいな簡単な魔術のレクチャーが載っているくらい、といったものが圧倒的に多かった。
どうやら、フローランの言う通り、今の時代の寵児は人間らしい。
一人目の弟子が治めている国は今も存続しているようだが、なんと「人間」と名乗っている。
物は言いようだな、とジャンヌは思う。
たしかに、太陽光が苦手で、人より長命で、血が主食、というところをのぞけば人間とそう変わらないが。
二人目と三人目が住んでいる地域は今日の新聞には残念ながら載っていなかった。
四人目の弟子は……あれは住む地域を特定できるような存在ではないから、新聞で情報を得られると思う方が無理があるだろう。
ジャンヌは一通り読み終わると、顔を上げた。
ルシファーと目が合った。一緒に紙面をのぞき込んでいたらしい。
「そういえば、お主は人間の文字は読めるのか?」
「読める。神に近づこうと驕り、天に届く高い塔を建てた罰で、人間は言語を割られただろう?」
「創世記の話だな」
「俺はそれ以前から存在しているから言語の壁というものはない」
さらりと語られたが、さすが魔王といったエピソードに思わず一瞬黙る。
古の神話を昨日のことのように語るな、と内心思いながら、ジャンヌは話の趣旨に戻ることにした。
「そうか。なら分かっただろうが、どうやら本当にお主たちの存在は忘れられているぞ」
「らしいな」
ルシファーは拍子抜けするぐらいあっさりとうなずく。
今こそチャンスだと思わないのだろうか。
「気が変わってやっぱり世界征服するとか言わんじゃろうな?」
「言って欲しいのか?」
「いや」
首をかしげるルシファーに、逆にジャンヌが困ってしまう。
「俺にはそんなことより大事な使命がある」
「なんだ?」
「ジャンヌと一緒に過ごすことだ」
「……そうか」
大丈夫かこの魔王、と思ったが、ジャンヌは懸命にも顔には出さなかった。