07 魔女、養女になる
食器セットを下げるためのワゴンをおしながら、侍女たちは足早に廊下を歩いていた。
淑女らしく足音を立てないように、しかし、興奮が冷めやらない。
「ちょっとお嬢様の笑顔見ました!?」
アンリエットが他二人に問いかける。
「見ました見ましたっ!」
ブルトンがそれに続く。
「私たちより年下だなんて思えないほど落ち着かれている方だけど、今回は特にすごかったわね~」
ヴィクトワールもうなずいた。
「これぞ淑女! って感じじゃない!? でもってそこらの殿方よりよっぽど凛々しいし魔術も使えるし! あのシュッて現れたペーパー・ナイフ見た!? 私もかっこよく小物を出してみたいわ」
身振り手振りを交えつつジャンヌの動きを真似するアンリエットに、ブルトンはきょとんとした表情を浮かべる。
「でもアンリエットは魔力を持ってないでしょ?」
「うるさいわねブルトンったら。まだ可能性あるかもしれないでしょ! 今の時代、少しでも魔力を持っていたら人生がらっと変わるもの。ちょっとは夢をみたいじゃない」
「それはわかる~私も魔力欲しかった~! ミレイユお嬢様もジャンヌお嬢様もいいなぁ~」
「まぁまぁ、落ち着きなさい」
二人の声がだんだんと大きくなっているのに気づき、ヴィクトワールがたしなめる。
年の近い方が緊張しないだろうという男爵の計らいで、侍女のなかでも一番若いブルトンがもともとミレイユの御付きとして動いていた。
そこに男爵家の新たな令嬢としてジャンヌがやってきたため、同じような考えから次に若いアンリエット御付きとなったのだ。
しかし、ミレイユは貴族の令嬢らしく身の回りの支度ひとつとっても一人では行えなかったが、ジャンヌはアンリエットが世話をしなくとも勝手に服を着るし、身の回りのことも魔法で片づけてしまうので逆にアンリエットが困ってしまっていた。
かといって同じ男爵家のご令嬢、しかもデュノワ伯爵直々に任されているご令嬢に対し扱いの差をつけるのは男爵家の品格に関わる。
だからこそ、なにかと対応に困惑するアンリエットの相談をヴィクトワールが受け、ならばついでにとばかりにブルトンも指示を仰いだ結果の今の形であった。
主人であるルイ男爵からもくれぐれも丁重にと言い含められていたため、幼い令嬢二人に侍女三人が常にそば仕えする形になっていても、周りの使用人もさほど不満はもらさなかった。
それどころか―――披露しようとしているわけではないのだろうが―――ジャンヌがふとした瞬間に見せる魔法の数々を聞いては他の使用人たちも興奮するものだから、直接相対している二人の興奮を押さえろと言う方が無理な話でもあった。
すっかり心酔している二人に対して苦笑をもらしながら、ヴィクトワールは頬に手を当てる。
「さすが伝説の魔術師様の血を受け継いでいる方ね~。ミレイユお嬢様も刺激を受けてより魔力の訓練に精を出されているようですし」
「え~ミレイユお嬢様のやる気の元はきっと、それ以外にもあると思いますけどぉ?」
口元を隠すようにしてくすくす笑うブルトンに対しアンリエットもうなずく。
「まぁ、まぁ、あの御顔は……ねぇ? 私でも思わず見とれてしまいましたもの。耐性のないお嬢様なんて、ねぇ?」
「あの黒髪に真紅の瞳がミステリアスなのは否定しないわ。王国の貴族にはなかなかない色彩ですもの~」
一度立ち止まって三人とも顔を見合わせると、きゃー、と小さく悲鳴を上げて、侍女たちは再び足早にその場を後にしたのだった。
王都ルテティアの中心にあるシテ島に建つノートルダム大聖堂。
その尖塔にルシファーは立っていた。
ジャンヌと接していた時とは比べ物にならないほど温度を感じさせない冷酷な眼差しで、夕闇に沈む東西を一望する。
ノートルダムはシテ島の宗教的中心であり、島の上流地域すべてに対しての力を持っていた。
その西側、シテ島の下流には政治、司法の中心である王城がある。
くん、と鼻を鳴らして、覚えのある香りに首を傾げるが、数瞬後にはその正体に気づいて目をキラキラと輝かせる。
「ほぅ! 馬鹿がいるぞ」
「自己申告ですか?」
ルシファーの足元に落ちた黒い影からツッコミが返る。
視線を足元へと落とせば、影はそれ自体が生きているかのように胎動し、ボコボコと音をたてながら人の形を成していく。
黒一色だった人影は次第に色を持ち、肌に影を落とすほどに長いまつ毛をふるりと震わせて見えるは鮮やかな琥珀の瞳。
息をのむような美少年だったが、肌は緑色で鱗が混じっており、耳は竜の飛膜のように広がり、臀部から生える竜の尾が、彼が人外であることを現わしていた。
ふんわりとしたクラヴァットとシャツ。半ズボンにサスペンダー。読み途中だったのか革張りの本を片手に欠伸をしながら後方に現れた美少年に対し、ルシファーは頭だけ振り返って肩をすくめた。
「来たか」
「神の不倶戴天の敵にして破壊の主、ドラゴンと呼ばれる大いなる獣、地獄の王ルシファー様、久方ぶりの地上はいかがです?」
「なかなか良い」
優雅に腕を振り丁寧なお辞儀をする美少年に対し、ルシファーは鼻歌交じりの上機嫌さを持って答えた。
「それは重畳。このクソったれなゴミだめの世界を良く思うなんてルシファー様ぐらいですよ。相変わらず頭沸いてますね」
「お前は相変わらず口が悪いなレヴィアタン。その上品な顔に不釣り合いで我は好きだぞ」
絶世の美少年ことレヴィアタンは、顔を上げると共に、にぃと笑う。
めくれ上がった口唇から見え隠れする捕食生物特有の鋭い牙が、見た目の上品さを十分に裏切る獰猛さを孕んでいた。
「お褒めいただき光栄です」
「ジャンヌにお前の所へ行こうと誘ったのだが断られた。海底火山は気に入らなかったらしい」
「だからって僕を呼び出すのは違うんじゃないですかね? 馬鹿と煙は高いところが好きって言いますが、そうか馬鹿だったんだな」
「くふふ、我に面と向かって馬鹿だというのはお前ぐらいだ」
「いやいや、そんなことないでしょ。ベヒモスもジズも僕よりずっと口悪いですよ。て、そんなことより、教会のてっぺんに呼び出すとか正気ですか? 並の悪魔なら神聖さにやられて消滅しちゃうんですけど」
「そうか、その程度だったか」
それなら仕方がないとでも言うように残念そうに首をふるルシファーに、レヴィアタンは不満だと抗議する。
「あん? そんな訳ないから呼び出しに応じているんだろうが。まぁ、足の裏が少し熱いかな程度は感じますけどね」
レヴィアタンは自身の足を持ち上げると、靴裏をちらりと見た。
艶のある黒の革靴の裏は少し焦げ跡があった。
それも、ふぅ、と息を吹きかけるとすぐに元通りに戻ったが。
「我も足がむずかゆい」
「だーかーらー、そんな場所に呼び出すなっての! やっぱ馬鹿なの? 馬鹿なんだね??」
頭に手を当てて唸るレヴィアタンに動じることなく、ルシファーは背を向けたまま首をかしげる。
「そんなことより、神族の勢力が拡大している気がするが、地獄の公爵たちは何をやっていたのだ?」
「何も? あぁ、悪魔としての本分は好き勝手やっていましたけど? みんな自分勝手なんだから、ルシファー様がいないのに歩調を合わせるわけがないでしょ」
レヴィアタンが、あふ、と欠伸をもらす。
不敬だ、などと言わない。
魔族とは悪の体現者であり、規律とは対極に位置する存在だ。
そうあれと定義されている存在に、真っ当さを求める方が酷な話だとルシファーは考えていた。
それに、態度がどうであれ、レヴィアタンとは天地創造からの長い付き合いだ。
「暇そうだな」
「まぁ、否定はしませんよ。一〇〇年戦争後、神族は雲隠れしてまったく表に出てこないし、噛みごたえのある人間もほぼいなくなって、他の種族も姿を隠すか人間の真似事をしているかでつまらないですね」
「そう嘆くな。じき面白くなるぞ」
「?」
ルシファーは先ほど眺めていた王城をちらりと横目で見て、鼻歌交じりに両の手を掲げる。
王都を眼下にまるで指揮棒を振るう指揮者のように優雅な動きで軽やかに踊るルシファーに、レヴィアタンは片方の眉をつり上げる。
「ずい分と上機嫌ですね。鼻歌なんて」
その疑問に対し、ルシファーは「くふふ」と笑い声をもらした。
「なかなか人間も面白い曲を生み出すと思ってな。まさにこれからの舞台にぴったりなタイトルだぞ」
「へぇ、なんていう曲です?」
ばさりと風を孕んだコードを宙に躍らせ、真紅の双眸を細めてからチェシャ猫のように嗤う。
「《運命》だ」




