04 魔女、養女になる
小夜啼鳥の群れがその美しい声を存分に使って高らかに歌い、蝶も気持ちよさげに羽を広げる。
柔らかなそよ風が運ぶライラックの芳香が、色とりどりの花々を引き立たせる。
リス男爵家にも貴族のたしなみの一つである植物園は作られていた。
男爵家に来てから二月。ジャンヌにとってここはすっかりお気に入りの場所となっていた。
暖かい陽射しがガラス作りの温室に降り注ぎ、様々な植物の影が生み出す幻想的な雰囲気に、ジャンヌはほぅと感嘆の一息をつく。
初日はぎくしゃくとしていたルイだったが、出来るだけ目を合わせないようにとのジャンヌの助言が功を奏したのか、顔さえ直視しなければルシファーとそれなりに会話ができるようになっていた。
さすがジャンヌと同じ血筋の人間といっていいのかどうか。とにかく―――。
「平和だ」
「なんだ刺激をご所望か? そうだな海底火山で戯れるシードラゴンを観に行くなんてどうだ? 芯から震える咆哮を味わえるぞ」
「お主の提案はいつも極端すぎる」
食器セットには美しく盛られた色とりどりのジャムと焼きたてのクロワッサン。
ジャムの種類はモモ、アンズ、サクランボ、オレンジ、イチゴ、スミレ、バラ。
すべてこの植物園でとれたものらしい。
宝石の欠片のようなジャムをクロワッサンにひと塗りして微笑むルシファーの姿は、一枚の絵になりそうなほど洗練された貴公子然としていた。
しかし、言っていることは危険すぎる提案だ。
ジャンヌはげんなりしながら、サクランボのジャムを塗ったクロワッサンに口をつけた。
歯を立てれば、さくりと軽い音が小気味よく響き、溶けてしまいそうな柔らかい食感に触れる。
あわせて上品なサクラの香りとほどよい甘みが口の中に広がり、思わず口元が緩んでしまう。
(うむ、うまい)
ほぅ、と感嘆のため息をひとつ。じっくり味を堪能してから、少し眉を寄せる。
(しかし、こんなにたくさんのジャムを用意しなくとも)
ジャムは高級品である。
いくら貴族といえども、朝食にこんな大盤振る舞いをして良いのだろうか? とジャンヌは少し不安になる。
しかし、ジャンヌの心配は玉を転がすようなはしゃぎ声にさらわれた。
「公爵様! 是非こちらも召し上がってみてくださいな」
ルシファーを挟むようにしてジャンヌの反対側に座る少女―――ミレイユが頬をバラ色に染め、ルシファーへとバラのジャムを薦めていた。
「私が育てたバラから採れたジャムですの!」
ミレイユはルイの一人娘だ。
『妻の忘れ形見として、蝶よ花よとばかりに甘やかして育ててしまいまして……』
そういいながら申し訳なさそうに苦笑していたルイを思い出す。
黄金色の髪はリボンや生花を巻き込んで長く豊かに垂らされ、耳には小ぶりではあるがキラキラと明るく輝く金剛石の耳飾りが存在を主張していた。
くわえて愛されて育っているのが分かるふっくらと健康的な肌にバラ色の頬と唇。
着飾りたくのがわかるくらい整った容姿の少女であった。
外見はジャンヌとそう変わらないだろうに、ジャンヌよりよほどお洒落を熟知しているだろうミレイユの関心は、初対面の時よりずっとルシファーに向いていた。
『親の贔屓目と言われそうでお恥ずかしいですが、私の娘にも少しばかり魔力の才がありまして、よければご指導ご鞭撻いただければと』
そう頭をかきながら語ったルイの紹介の受け彼女と初めて会った時、その翠玉の瞳がルシファーを映した瞬間キラキラと輝き、バラ色の頬を更に赤く染めたのを目の前で目撃したのだ。
以後も、今のようになにかにつけてルシファーの関心を引こうとしている様子を見ていれば、鈍い鈍いと言われるジャンヌとてさすがに気づく。
白魚のような手で大事そうに持ったバラジャムの小瓶を差し出すミレイユを見つめ、ルシファーは口をつぐんだ後、困ったように無言でジャンヌを一瞥する。
途端にミレイユがキッとまなじりをつり上げてジャンヌを見るものだからたまらない。
内心やれやれと思いながら、手の甲をルシファーへと向けて軽く振る。素直に受け取っておけ、の合図だ。
若くして戦地へ旅立ち、戦後は弟子たちの教育や研究で忙しく過ごしていたジャンヌにとって、本当の子供のように面倒を見られるというのも経験がなければ、このように少女の勘気をこうむることも今までにない体験で新鮮だった。
しかし、本来の目的を忘れてはいけない。
「わしが言うとるのは《可愛い娘のドレス》の件じゃ。あれ以来、バタールからとんと連絡がこない」
「あぁ」
眉間に皺を寄せるジャンヌに対し、ルシファーは興味なさげにミレイユからバラのジャムを受け取って空を見上げた。
「そもそもアヤツはどうやって連絡をよこす気なのか? まさか郵便とやらを使う気ではあるまいな?」
ジャンヌはマナーもへったくれもなくバターナイフを振りながら呆れた素振りを見せる。
現在の主な連絡手段は馬を用いた郵便である。
国王が公文書を運ばせるために設置した宿駅から端を発し、その後、その宿駅を郵便局として改め国民の多くにも手紙郵便という制度が浸透していった。
が、魔法全盛期に活躍していたジャンヌからしてみると、郵便とはまだまだ新しい手段であり、馴染みのないものであった。
「いくら親しい間柄とはいえ、大公様を愛称で呼ぶのは控えた方がよろしいのでは? それに大公様ともあらせられる方が庶民と同じ手段なんて使いませんわ。使者様が直接来られるでしょう」
ミレイユがジャンヌの世間知らず具合をあざ笑うように口の端を歪めて説いて来る。
幼いとはいえ淑女である。教養はきちんと備わっているのだろう。
そして、しっかりジャンヌを恋のライバルだと認識してもいる。実に面倒くさい。
残念なのか幸いなのか。ミレイユのやや失礼な態度に腹を立てるほどジャンヌの感性は若くはなかった。
それにジャンヌもジャンヌで貴族のエチケットなど完全無視しているのだからお互い様、いや、むしろジャンヌの方がやや分が悪いかもしれない。
「まったく、魔法を使えば一発なのに」
ふぅ、と長く息を吐く。
手紙を直接飛ばすことなど人を転移させることに比べれば息を吸うように簡単な出来事のため、何日も待たなければならない郵便と言うシステムだろうが、使者を遣わせるシステムだろうが、いずれにせよジャンヌにとっては不便にしか感じられなかった。
しかし、そもそも昔も万人が魔法を仕えていたわけではないことを考えれば、連絡手段が市井にまで浸透していること自体は生活水準が上がって喜ばしいことでもあるように思えるので、ジャンヌの憤りはやはり贅沢なのであろう。
「いかんな」
自分の考えを振り払うように首を振るジャンヌの動きを遮るように、ついと伸びたルシファーの指先がジャンヌの口唇にふれ、そっとなでる。
ルシファーの指先にはジャムがついていた。
「む。ついていたか」
恥ずかしくなってあわてて口元をナプキンで拭う。
ジャンヌのそんな様子ににっこり笑ってから、ルシファーはジャムがついた指先を己の口に含む。
「あまい」
「…………あのなぁ……」
漂う空気の方が甘い。
視界の端に映るミレイユがハンカチの裾を噛んですごい表情をしていた。怖い。
そして、黙って付き従っている侍女たちも頬を染め、自分たちは何も目撃していないとばかりに視線を逸らすのが居たたまれない。
普段は子供のような態度をするくせに、油断すると色っぽい動作をするものだから、その緩急の激しさについていけなくなる。
ジャンヌの呆れから出るため息を気にもせず、ルシファーは指先をぱちんと指を鳴らした。
「こんなものがそんなに欲しいのか?」
ルシファーは背もたれに寄りかかりながら足を組んで不満そうに、ふんと鼻を鳴らす。
その指先に挟み込まれるように真紅の光をまとった書簡が現れていた。




