03 魔女、養女になる
一〇〇年ほど前、騎士道精神を奉ずる紳士たちの帽子に大羽根が飾られるようになり、競い合った結果つば広の帽子が流行った。
最終的に大羽根の自重に耐え切れずブリムが垂れさがっているのを見て、当時ジャンヌは呆れたものだった。
被りづらくないのか? とジルに訊ね肩を竦められたことがあったな、と思い出しながら、ジャンヌは目の前の柔和な笑顔を浮かべる壮年の男を見上げた。
フローランからリス男爵家の現当主であるルイ・デュ・リスその人だと紹介を受けたばかりである。
ルイが左脇腹に押し当てるようにして両手で抱え持つブリムを片方どころか両方折り上げた―――やっと不便極まりないと気づいたのだろう―――三角帽には大羽根のかわりにリボンのバッジが飾られていた。
(王族と王家に仕えるものの識別……忠誠の証だったか? 装飾の種類は変われど昔から階級を表すのに余念がないな)
ジルはさておき貴族に対する印象があまり良くないジャンヌにとって、忠誠心が高いと示されても安心材料とはならない。
デュノワ伯爵夫人から贈られたリボンとレースで美しく飾られた婦人帽子をかぶったまま、貴婦人のように笑顔を浮かべることもなく、無垢な子供のようにフローランの背に隠れることもなく、堂々と、ただじっと見上げるジャンヌの姿にルイは鳶色の目を瞬かせてからフローランを一瞥する。
貴婦人はもとより、例え子供とはいえ、服飾のエチケットとして身分の高い人がいる場での脱帽は原則である。
男爵からしてみれば、この場で一番地位が高いのは伯爵であるフローランだ。
つまりジャンヌの態度はフローランすらも侮辱しているに近い。
しかし、当のフローランはといえば、そんなジャンヌの様子に怒るでもなく逆にどう反応すべきか迷うように視線を泳がせていた。
「その……育った環境が特殊だった故あまり気になされぬように」
「なるほど」
傍から見ても分かりやすく動揺しているフローランにジャンヌはやや呆れる。
初対面の印象もあり、腹芸ができなそうだな、と思ったりなどした。
ジャンヌとて伊達に長くジルと付き合っているわけではない。貴族間のエチケットもある程度把握している。
ただ、相手の反応が見て見たくてわざとやったのだ。
フローランの言葉に納得したのか分からないが、ルイは素直に一つうなずくと、ためらうことなく片足を前へと滑らせ深くお辞儀をした。文句のつけようのない美しい動作だった。
それに今度はジャンヌが目を瞬かせる。
お辞儀は相手の身分に従って深くなる。ルイのそれは伯爵以上、侯爵や公爵へ向けての礼儀と同等だったからだ。
静かに身を起こすルイと目が合う。
過去出会った貴族たちのように屈辱で怒り狂っているかと思えば、その目は相変わらず柔和な光を宿したままジャンヌを優しく見つめていた。
目尻にいくつか見える皺を確認して、ジャンヌは負けたというように苦笑してから帽子を脱ぎ恭しくお辞儀を返した。
「試すような真似をしてしまい大変失礼致しました。ジャンヌと申します。不束者ですが本日よりお世話になります」
「ふふ。未熟だなんてとんでもない。年甲斐もなく興奮でドキドキしてしまいました」
言うほど年を取ってるようにも見えない男爵の食えない表情と言葉と態度に、ジャンヌはさらに笑みを深くする。
二人のやり取りに唖然とするのはむしろフローランの方で、あまりにもあっさりジャンヌを受け入れたルイに対して確認するように言葉を重ねる。
「いや、確かに受け入れを要請したのはこちらだが、その……本当に問題ない、のか?」
「はい。なにを問題あることがございましょうか? むしろ生きてる内にかの英雄にまみえることができる幸運を与えられ感謝いたします」
「は?」
目を見開き、愕然とするフローランに、ルイは苦笑を返す。
「大公閣下の右腕であらせられる閣下が直接男爵家にお越しになられ、手ずから紹介されたご令嬢です。しかも、我が家に家宝として代々受け継がれている肖像画の少女と瓜二つ。その上ご尊名まで語られては……というわけでございます」
「はぁ……それにしても察しが良すぎるというかなんというか我々の寿命を考えてみたりは」
「それこそ大公閣下がご健在でいらっしゃるではありませんか」
「……む。愚問だったな」
感動のあまりか、目尻に軽く涙すら浮かべて見せるルイの返しにフローランスすら納得してしまう。
頭上で行われる二人のやり取りを眺めながら、ジャンヌはジルから言われたことを思い出していた。
『英雄の血脈だからね。途絶えないように気を使ったよ。おかげで子孫たちはすっかり君の信者だ』
(なるほど)
半眼になる。確かに、確かにその通りだった。
ジャンヌは肖像画など描いてもらった覚えはないが、恐らくジャンヌが知らぬタイミングで誰かが画家に依頼したのだろう。
それがジルなのか、それとも兄なのかは知る由もないが。
はは、と遠い目をするジャンヌに対し、フローランは咳ばらいをひとつすると、ジャンヌの後方を示した。
「表向きの立場も理解してくれているな?」
「はい。ドーレリャンの魔術師の末裔のご令嬢と秘密裏にご令嬢を保護し我が国へ亡命した帝国の公爵閣下、でございますね?」
言いながら、ルイの視線がジャンヌの後方―――それまで黙って空を見上げていた―――ルシファーへと流れる。
視線が自らに集中したことを感じたのかルシファーの視線がルイへと向けられた。
柔和な笑顔のまま対応しようと口を開きかけるが、吸い込まれそうな真紅の瞳にじっと見つめられ、ジャンヌの時とは違う胸の高鳴りを感じる。
まるで心臓を直で握られているかのような、それでいて、興味のない玩具をみつけたか子供のような純粋さを感じる少しの力加減。
いずれにせよ生殺与奪権を相手に握られているかのような恐ろしい感覚にルイが震えていると、ぐらりとルシファーの上半身がわずかに横にゆれた。
「おい」
声の発生源はジャンヌだ。
思いっきりルシファーの横腹を叩きながらの言葉に、ルシファーは目を瞬かせて首を傾げる。
「ただ見つめていただけなのに」
「ただ、でもなんでも、あまり目を合わせるな」
女性以上に男性というものは生物としての序列に敏感だ。
ルシファーが意識さえ向けなければ相手も感知しないのだが、認識したら最後、本能的に敵対者としての恐怖を与えてしまうようだった。
ルイだけではなくフローランも若干顔を青くさせている様子を見かねたジャンヌが口をとがらせると、「冤罪だ」とルシファーが嘆いた。
存在しているだけではた迷惑な男である。
「その、害はない。今のところ。すまんな」
「いえ……帝国の貴族の方々はみな独特な空気を持つと伺っております」
「あ、その」
(帝国の貴族ではないんだが……)
青ざめながらも懸命に笑顔を浮かべるルイに対して、ジャンヌはなんといったものか説明しかねてもごもごと言葉にならない言葉を重ねる。
「帝国のエチケットを知らぬもの故なにかと配慮が行き足りぬことも多いかと存じますが、精一杯快適に過ごせるよう努めさせていただきます」
ルシファーにまでしっかりとしたお辞儀を披露するルイに、ジャンヌはもう一度ルシファーの横腹を強く叩いた。
それに対しルシファーは今度こそ拗ねた表情でジャンヌに唇を尖らせると、ルイをあえて視界に収めぬようにしながら答える。
「感謝する」
魔王に感謝される人間の貴族。なかなか見ない光景である。
ジャンヌは珍妙な状況に苦笑し、フローランは青ざめたまま必死にルシファーから視線をそらし、ルイも震えたままさらに頭を深く下げたのだった。




