令和のロミオとジュリエットは、ハッピーエンドで終わる。
「ご結婚、おめでとうございます!」
万雷の拍手、色鮮やかな花吹雪が舞い上がる中、私はバージンロードを彼と歩く。
共に歩むは、私よりも十センチほど背の高い、見上げるだけでため息が出ちゃうほどに整った顔をした、私の最愛の人だ。参列客の羨望の眼差しが痛いくらいに突き刺さってくるけど、それが心の底から気持ち良い。
鳳凰鷹仁。
名前を聞けば、知らない人はいない程の一流企業の御曹司。
鳳凰鷹グループの跡取りにして三代目社長。
同族経営は宜しくないとし、二代目は社外の人が社長になったらしいけど。
彼はそれら逆風を物ともせずに、自らの実力で社長の座に上り詰めたんだ。
「愛優菜、階段あるから、気をつけて」
「仁君、ありがとう」
階段ひとつでこんなにも心配してくれる。
優しくて、背も高くて、お家柄も良くて。
こんな最高な人を射止めた私、時名愛優菜は、きっと今この瞬間、世界で一番の幸せ者なのだ。
そして、この名前はこの後すぐさま消える。
私の名前は鳳凰鷹愛優菜へと、変わってしまうのだから。
そんな、幸せの絶頂にいる私なのだけど。
視線は会場、ひとつひとつの席へと、首を巡らせてしまっていた。
「愛優菜、誰かを探しているの?」
「うん、高貞君、来てないなって思って」
高貞巌、私の幼馴染にして、初恋の人だ。
彼とは高校生の頃に告白され、二年程ほど付き合ったけど、別れる選択をした。
後腐れ無いようにしっかりと話し合った結果だから、双方納得しての破局。
正直なところ、一緒にいて安心は出来た。
でも、安心しかできなかった。
テストの点数も酷かったし、遅刻の回数も多く、周囲の評価も低い。
もちろん良いところだってある、でも、それ以上に悪いところが多すぎたんだ。
「ああ、ハガキの返事を出さなかった彼か。来てくれたら特別待遇してあげたのにな」
「特別待遇とか、仁君大げさだよ」
「大げさなもんか、だって、俺の愛優菜をここまで困らせてるんだからさ」
微笑む彼につられると、自然と口端が下がり、私も笑みを零してしまう。
「でも、愛優菜を困らせるのは、きっと俺の方なんだろうな」
「……大丈夫、覚悟は出来てるよ」
社長夫人として、一流階級で生きる以上、学ばないといけないことが多い。
今日の結婚式だって、一体どれだけの知識を頭に叩き込んだことか。
彼の足を引っ張ってはならない、むしろ、彼の横に立たないといけないんだ。
鳳凰鷹家の夫人として、胸を張って生きるようにしないと。
「頼りにしてる、俺の嫁さんが愛優菜で良かったよ」
「まだ早いって……でも、早くないのかも?」
今回の結婚式の段取りだって、多忙な仁君を抜きにして打合せしたこともあったし。
頼られてると言えば、既に頼られているのかも。
でも、それが何よりも嬉しい。
「お飲み物、交換いたします」
「ああ、はい、ありがとうございます」
あれ? ずっと専属の人だったのに、男の人に変わったんだ。
今日の結婚式で何十人って人が動いているから、当然と言えば当然なんだけど。
奥様には私が付きっきりでサポートしますから、安心してくださいね、とか言ってたのに。
「ん?」
男の人、なんか見覚えがある。
おぼろげだけど、記憶に残るこの顔は。
「……高貞?」
声を掛けた途端、彼は視線を背けた。
長かった髪を短くして、無精ひげもなく、服装もタキシードで決まっている。
高校時代の彼からは想像も出来ないぐらいに、カッコいい。
正直、見直した、そう思っていたのだけど。
「ぐっ」
途端、高貞は仁君の背中に、全体重を掛ける仕草を取った。
足を滑らせて寄りかかってしまったのか、仁君の顔がテーブルに突っ伏してしまう。
「ちょっと、何してんのよ高貞!」
今日は私達の晴れ舞台なんだ、それに招いた客人だって超一流ばかり。
今日のミスはそのまま数年後に、数百倍になって返ってくる恐れがある。
結婚式会場で顔を汚した花婿、なんて、いい笑いの種だ。
「早く離れて! 仁君、大丈夫!?」
彼を押しのけるも、仁君は顔を上げなかった。
肩を揺さぶろうとした時、会場に一人の女性が叫びながら乱入する。
「この中に、私を襲った人がいます! 不審者がいます! 気を付けて下さい!」
あ、あの人、私の専属のコーディネーターさん……不審者?
呆けていると、高貞が仁君の背中に当てていた手を放し、もう一度押し込んだ。
「ぐあ!」
悲鳴、それと鮮血、バージンロードみたいな赤が、二人の間でほとばしる。
そこまで見て、私は高貞が何をしているのかを理解した。
彼が仁君の背中から再度離れ、握り締めた物を突き立てようとした瞬間。
「やめて!」
高貞のタキシードを掴み、私は彼を、仁君から無理やりに引きはがした。
そのやり取りを見てか、周囲が一斉に動き始める。
「刺されてる……花婿が刺されてるぞ!」
「おい、救急車! 早くしろ!」
「犯人を逃がすな! 追え!」
喧々囂々とした会場で、私は一人、倒れこむ仁君を抱きしめ続ける。
やがて訪れた救急隊員へと彼を引き渡すと、自分が着用しているドレスが血まみれだったことに気付き、悲鳴を上げた。こんな事になるなんて夢にも思わなかった、抱いたのは、大事な結婚式を徹底的に破壊してしまった、高貞への怒りだけだ。
だけど、周囲の人の反応は、違った。
「婚姻届けを出す前で良かったな」
仁君のお父様、鳳凰鷹紀仁は、病院の一室にて、私を見ながら言葉にした。
「聞けば、犯人は貴様の昔馴染みとのこと。鳳凰鷹家に属するべき人間が、過去の清算すらせずに歩み寄り、伴侶となり親族となろうとした。この紀仁、堪忍袋の緒が切れる思いをしたのは、これが初めてだ。今生の間、貴様への寛容はまかりならん」
お父様の言葉は全てが是であり、否は許されない。
どれだけ泣き叫ぼうとも、以後、私が仁君の病室に入ることは、許可されなかった。
婚約破棄、鳳凰鷹家からの報復は、それだけじゃ済まなかった。
私の両親、兄弟、さらには親戚に至るまで、制裁を加えたんだ。
「時名君……申し訳ないのだが、自主退職をして頂けないだろうか? いや、分かるだろう? 君の娘さん、鳳凰鷹グループを敵に回しちゃったみたいじゃない? こちらとしても守るべきは会社であり、君一人を切るだけで何万という社員が助かるんだ。分かってくれるよね?」
こんなことを言われているのが、私の第六親等の親戚にまで及んでいる。
母さんと父さんのスマートフォンは鳴りやむことを知らず、毎日誰かしらに怒鳴られながら、どこでもない場所へと頭を下げ続けているんだ。私の方にも、結婚式会場の修繕費用とか、今回掛かった費用の損害賠償を多方面から請求されている。
四面楚歌、幸せだった日常が一転、地獄の底よりも暗い不幸の海に沈んでしまった。
「後悔はありません、彼女が幸せになるのなら、僕は満足です」
裁判所で高貞が言った言葉だ。
被害者じゃない私は、傍聴席に座ることすら許されなかった。
いや、被害者どころじゃない、鳳凰鷹家から見たら私は加害者だ。
大事な一人息子の命を危険に晒した醜女とまで言われている。
だから、高貞に対して文句のひとつも、言うことが出来ていない。
そんな訳ないだろうと、お前が私の幸せを全部ぶち壊したんだよと、言ってやりたかった。
今回の事件、世間では〝令和のロミオとジュリエット〟なんて言葉まで出てくる始末。
さらに許せないのは、高貞への世間の評価だ。
「高貞容疑者が運ばれる車に、一般の女性が詰め寄って動くことが出来ません! ああ、凄い人の数です! 数千人、いえ、一万人はいるでしょうか! みな、高貞容疑者を釈放させようとしています! あ! 高貞容疑者の乗った車が動きました! 悲鳴です! これはもう、――――聞こえ――――叫びすぎて、何も――――」
学生時代、彼は髪をずっと伸ばしていた。
前髪で顔を隠し、見えても片方の瞳とかだけで、誰も彼の美貌に気づかなかったんだ。
それを、今回の復讐劇の為に髪を切り、髭も剃り、顔の全てを彼は整えた。
結果、そこにいたのはアイドルを超えた美貌を持つ、一人の男だった。
〝高貞様を救おう!〟といったふざけたクラウドファンディングも立ち上がる。
見ると、目標金額の一千万を遥かに超えた、二億という数字が羅列していた。
そんな人気にあやかってか、鳳凰鷹家の御曹司を刺したというのに、彼へ下された懲役は最低の五年。しかも、被害者の仁君が加害者である高貞の下を訪れ、彼へとオファーを出したらしい。
「俺の身体に傷をつけたんだ、出所したら、死ぬまで俺の為に尽くせよ?」
何を言っているのか理解出来なかった。
もちろん、直接聞いた訳じゃない。
ネットに掲載されたニュースを少し読んだだけ。
私たち一家は職を失い、信頼を失い、住まう場所さえ失おうとしているのに。
それだけじゃない、私個人に至っては、親族からも恨まれているんだ。
何勝手に尽くすとかになってるわけ? 仁君の隣は私なんじゃないの?
全てがドン底で、何もかもが憎く見える中、ふと、私は気づいた。
アイツは私に惚れている。
アイツから見て私はお姫様なんだ、だから、利用するのは私の方だ。
「二年の懲役を経て、高貞さんが仮釈放、刑務所から出てきました! 凄い人の数です! 警察が規制線を設けていますが、抑えきれておりません! あ、鳳凰鷹グループの車が刑務所に横づけされて、今、高貞さんを車に乗せました! 被害者が加害者を許す、なんという美談なのでしょうか! 高貞さんのこれからを、スタジオで検証した参りたいと思います!」
★高貞巌視点
「凄い女の数だな。まさかこれほどとは……しかしまぁ、想像の範疇と言ったところか」
「俺には関係ない」
「関係無くはないさ、女たちの熱気が、今のこの状況を生み出している」
「……利用すると言っていたな、俺は何をすればいい?」
「人気者なんだ、することなんざ何をしてもいい。何をしても金になる」
「俺は、そんな人間じゃない」
「それを決めるのはお前じゃない、俺でもない……決めるのは世間だ」
利用できるものは、例え自分を刺した人間でも利用する。
鳳凰鷹家が一流企業へとのし上がった根幹は、きっとこれだ。
愛優菜が巻き込まれないで良かったと、心の底から思える。
「さて、どうあがいてもお前は殺人未遂の犯罪者だ。だが、世間の評価は違う、俺という悪役からお姫様を救い出した王子様だ。そんなお姫様は、お前の中では時名愛優菜、彼女だけなんだと思うが……これも世間は違う。お前を慕う全員が、自分こそお姫様だと思っていやがる」
下卑た笑みを浮かべると、男は俺へとタブレットを差し出してきた。
画面に映る写真は、五十代から七十代に見える女ばかり。
そして写真の下には、金額が表示されていた。
「言わなくても、分かるよな?」
「……ああ」
「理解が早くて助かる、なに、きちんと報酬は出るさ。どこかのテレビ局でもやっていたことだ。別にお前だけじゃないし、俺だけでもない。女を一晩抱くことで、八桁の金が動く。お前は言われた通り、指示された女を抱き、愛してやればいい」
噂は、真実だったという事だろう。
鳳凰鷹家の人間は、身内ですら身売りし、金に換える。
愛優菜が嫁ごうとした家は、人を人と思わない、最低の家だ。
「貴方を抱きたい女が、この世の中に一体何人いるんだろうねぇ。まぁ、今この時間だけは、アンタはアタシの犬さ。せいぜいアタシを悦ばせるんだね。それが、この世界でアンタが唯一生き残れる道さ」
類は友を呼ぶ、まさにこの世の中を表現した言葉だ。
人を人と思わない人間たちの繋がりが、どこまでも薄汚く見えてくる。
ただ、そういった人間は、一度自分の物にしたら、二度目は無いらしい。
俗な言葉を使えば、飽きた、ということなのだろう。
新しい刺激を、彼女たちは求め続けている。
「高貞、お前をアイドルとしてデビューさせるからな」
「……俺を?」
「ああ、そういうご依頼が入ったんだ。せいぜい稼いで来いよ」
羨望を集める男を抱きたい、そう思う人間は星の数ほどいる。
アイドルに必要なものは、御仁からの需要と世間の評価だ。
残念なことに、俺はその両方を兼ね揃えていた。
大したダンスレッスンもせずに舞台に上がり、マイクを前に口パクで歌う。
実際に歌っているのはどこかのボーカル志望の男で、俺は飾りだ。
「歌う時に声が変わるなんてのは、歌手なら常識だろ?」
俺の知らない常識を語る男の言いなりになり、俺は何度も舞台へと上がった。
それが終わると、女たちの欲望を満たすために、ホテルへと向かう。
俺という価値が上がったからか、これまで無かったリピーターまで発生した。
どれだけ価値がある人間であっても、金の力には跪くしかない。
そんな、クソみたいな世界を、二年程経過したある日のことだ。
「久しぶりだね、高貞」
俺の前に、天使が現れてくれたのは。
★時名愛優菜視点
どんどん人気者になっていく高貞に会うことは、至難を極めた。
実家にも全然帰らず、彼は毎日どこかのホテルに宿泊している。
会うことは難しかったけど、高貞の行動を把握するのは簡単だった。
SNSで検索を掛ければ、バカみたいに簡単に検索結果が出てくる。
それで分かることは、彼は毎晩、どこかの一流ホテルに宿泊しているということ。
いいご身分だなと、ネットカフェのフラット室で横になりながら、半眼で睨む。
今の私は実家にいることも難しくなり、一人さまよう生活を強いられているというのに。
(ライブ……昔の高貞からは想像も出来ないな。カラオケ行っても何も歌わなかったのに)
いつの間にか歌手になり、音楽番組にも出演し、ライブまで開催するようになっていた。
世界が彼に魅了されている、そんな気がしてくる。
でも、それでも彼は、特定の誰かとのお付き合いはしていない。
あくまで彼の中でお姫様は私だから。
私以外の誰かとなんて、付き合うことも出来ないんだ。
だから、そこだけが彼に会えるチャンスとも言える。
「久しぶりだね、高貞」
ライブが終わり、観客が全て帰った後、ライブ会場の近くで、私は彼の名を呼んだ。
「……愛優菜? どうしてここに」
「どうしてって、あんまりじゃない? 高貞が私のことを愛してくれているのは、世界の皆が知っていることなんだよ? 関係者の人に私の名前を教えただけで、こうしてここまで来れたのだから」
これまで何度か試してみたけど、通してくれることは一度も無かった。
今回が初だ、なぜか通してくれて、こうして彼を待ち伏せすることが出来た。
「高貞、凄いね。今や世界の人気者じゃない」
「……そんなことない」
「そんなことあるでしょ。私の旦那になる人を刺して得たんだから、誇らしげにしなさいよ」
幸い、大した怪我にはならなかったみたいだけど、それでも仁君は私を迎えには来てくれなかった。お父様に逆らえないのは、私たち家族だけじゃない。仁君本人も、お父様には逆らえないんだ。あの人が否定している以上、私は彼の側にいることが出来ない。
「私ね、これでも幸せだったんだよ?」
「……愛優菜、聞いてくれ」
「高校の卒業式で高貞と別れて、大学のサークルで参加した社交パーティで仁君と出会ってさ、毎日一緒に過ごして、彼の為にお弁当とか作ったりさ、連絡だってマメにしてたし、ちょっと重い女って思われてもいいぐらいに、ずっと頑張って手に入れた幸せだったの。一流には遠く及ばないかもしれない、でもね、必死になって頑張ったんだよ。私なりに必死になって頑張ったんだよ! それをアンタは全部ぶち壊したんだ!」
「愛優菜」
「うるさいッ! 私の名前を呼ぶ権利があるのは、仁君だけなのッ!」
駆け寄り、両手を高貞のお腹に押し合てた。
私の手に握られているのは、あの日、高貞が手にしていた物と同じ物だ。
女の私でも扱えることが出来るそれは、左手で握り締めて、右手で押し込むだけ。
たったそれだけのことで、これまでの全てにケリを付けることが出来る。
「……っ、愛優菜、お願いだから、話を」
「聞きたくないよ! お前なんか死んじゃえばいいんだ!」
高貞のお腹に刺した物を、引き抜き、そしてまた刺した。
人の身体って、思っていた以上に簡単に刺すことが出来る。
でも、二回目以降は、何もすることが出来なかった。
血の温度が指先から伝わってきて、私が刺したんだという事実が、脳内を支配する。
「うあぁ……血ぃ……」
「愛優菜……」
「私、私は悪くない。全部、全部高貞が悪いんだ!」
「ああそうだ、全部その男が悪い」
いきなりの言葉に、私は驚き周囲を見回した。
誰もいなかったはずなのに、いきなり私達にスポットライトが浴びせかけられる。
「その声……仁君?」
逆光になって良く見えないけど、それでも、彼だって分かる。
「仁君、私やったよ。貴方を刺した男を、この手で殺したよ」
「そうだな。だがな愛優菜、ロミオとジュリエットの最後を、君は知っているか?」
ロミオとジュリエットの最後、それぐらい、私でも知っている。
ロミオが死んだと勘違いしたジュリエットが自殺し、目を覚ましたロミオが彼女の死に耐え切れず、彼もまた自ら死を選んで物語は幕を閉じる。悲恋の代表作だ。
「だからね愛優菜、君もまた、ここで死なないといけないんだ」
「……何を、言っているの?」
「この世の中には特異な性癖を持った人もいてね。スナッフビデオじゃないと悦べないと、その人は言うんだよ。今のこの状況なら、君が高貞を刺し、そして君は返り討ちにあった。誰が見てもそうとしか思えない状況が、今ここにある」
仁君が何を言っているのか、理解出来なかった。
理解出来ないままでいると、物陰から数人、私へと歩み寄る。
目出し帽をかぶった男が、刃物を手にしている。
「私……殺されるの?」
「ああ、高貞の邪魔が入った分、長引いた命とも言えるな」
「……それ、どういう意味?」
「説明してやる義理もないが、悲壮にくれる顔も演出のひとつか。いいだろう、全て教えてやる。時名愛優菜、お前は俺との結婚後、外国の著名人へと売り飛ばされる予定だったんだ」
私が、売り飛ばされる?
「世の中、全てを支配下に置こうと考えるご老人が多くてな。ましてやその相手が若者となると、手段を選ばなくなるんだ。俺にとっての大事なものを奪い、壊そうとする。俺にだって守るべきものがある、その為のダミーとして、愛優菜という存在が必要だった」
「私が、ダミー……」
「ああ、その通りだ。お前ならどれだけ壊されても俺は何も痛くない。相手としても満足だろうさ、新婚の花嫁を手中に収めるのだからな。だが、まぁこれも想定通りだが、高貞が現れ、お前との関係を破壊してくれた。俺としてはどちらでも良かったのだが、結果としては今の形が一番金になる。高貞は女帝から金を稼ぎ、お前はこうして俺にスナッフビデオを提供してくれる。最高の形だよ」
「ちょ、ちょっと待って、高貞が結婚式に現れるのも想定通りって、どういう意味」
「そのままの意味だ。奴の耳に先の件が入るよう、俺が噂を流した」
「先の件って、私が外国に売られるっていう」
「理解が遅いな。全ては俺の計画通りって訳さ」
仁君は自分の守りたいモノの為に、私を捨て駒にするつもりだった。
だけど、高貞が現れてくれたから、私ではなく、彼を捨て駒にした。
これまでの二年間で、彼は私の代わりに、世界の闇をその身に受けた。
そして今、全てを終えて、私と高貞は仁君……鳳凰鷹仁に殺されようとしている。
「……じゃあ、高貞が言ってたのって」
「全て真実だ。コイツはお前の幸せだけを考えて、行動していた」
……私、なんなの?
世界一のバカじゃん。
何も考えないで自分勝手に行動して。
一番私を守ってくれていた人を、この手で殺してしまった。
どうしようもない、世界で最低な人間は、間違いなく私だ。
「高貞……」
謝ることも出来ない。
私の謝罪なんて、何の意味もないから。
でも――――「ごめん……ごめんね、高貞」――――謝ることしか出来ない。
殺されるのなら、死ぬことから逃げられないのなら、貴方と一緒に死にたい。
足りないところが多かったのは、きっと私の方だ。
だって、抱きしめたら、こんなにも安心してしまうのだから。
「謝る必要なんか、無いさ」
抱きしめていた彼の身体が、ゆっくりと起き上がる。
「高貞……動いたらダメだよ」
「大丈夫、あの時の鳳凰鷹と、同じことをしただけのこと」
あの時の鳳凰鷹と同じこと?
「背中に刺したのに、アイツは無傷も同然だった。仕込んでたんだろ、血糊と防刃ベストをさ。だから、俺もコンサートの度に、防刃ベストと血糊を仕込むようにしたんだ。幸い、ダンスは動かなくても良かったし、歌は口パクだったからな。三時間程度なら、余裕で凌げる」
高貞は起き上がると、お腹に刺さっていたナイフを抜き、地面へと落とした。
「痛く、無かったの?」
「ああ、全然平気だ」
「そっか……そっかぁ、良かった、良かったよ……うぇぇぇぇん」
彼を刺したのは私なのに、それでも彼は私の頭を撫でてくれた。
感情が、もう良く分からない方向へと傾いてしまって、泣き止む事が出来ない。
「……何故だ」
そんな私たちへと、鳳凰鷹が問いかける。
「何故、お前が防刃ベストや血糊を用意することが出来た。お前の行動は逐一監視していたはずだ、そんな準備を……しかも毎回だと? ライブの度に毎回準備していただと!? 出来るはずがない! そんなこと、出来るはずがないんだ!」
「頭の良いお前なら、分かるんだろ?」
「ああ!?」
「女帝は飽きやすい生き物なんだ。彼女たちが欲しているのは、新しい玩具なんだよ」
スポットライトの光が、今度は鳳凰鷹を照らし始める。その光はライブ会場近くの雑居ビルからも照らされ、包囲された私達を更に囲むように配置されていた。さらには遠くからパトカーのサイレンまで聞こえてきて、目出し帽をかぶった男たちにも動揺が走る。
「鳳凰鷹仁、お前には感謝している。何も無かった俺に、素敵な彼女たちを紹介してくれたんだからな」
私達を殺そうとしていた彼は、握り締めた両の拳を震わせながら、歯を食いしばり私達を睨みつける。だけど、ふっと息を吐くと、いつもの飄々とした雰囲気と共に、両掌を上へと挙げ、やれやれと、首を横に振った。
「ったく……奪われる側に回るのは、嫌だったんだがな」
「弱肉強食、所詮お前も、食われる側の人間だったってことさ」
「……どうせアレだろ? ウチの会社も親父たちも、根こそぎなんだろ?」
「ああ、彼女たちに狙われたら、草の一本も残らないだろうな」
「なら、別にいいさ。あんな家、壊れちまえばいいんだ」
憑き物が落ちた顔をした彼は、その顔のまま、懐から拳銃を取り出した。
銃口をコメカミに当てると、彼は迷いなく撃ち放ったんだ。
「……!」
響き渡る銃声をきっかけに、鳳凰鷹側の人間は蜘蛛の子を散らすように逃げ始め、それを高貞側の人間が取り押さえる。そこに警察官も加わり、周囲は大混乱になるも――「愛優菜、行こう」――高貞は私の手を握ると、集団を抜け出し、二人だけでその場から逃げたんだ。
「ここ、俺の宿泊してるホテルだから。ここなら追手が来る心配はない」
一流のホテルには特別なルールがあるのだと、高貞は教えてくれた。
警察も手が出せない治外法権みたいなものが、ある場所にはあるらしい。
私はというと、彼に連れられたままベッドへと腰掛け、静かに座る。
「……高貞」
「ん?」
「ごめん……私、貴方にしてあげられること、何もない。前みたいに、綺麗な体じゃないし、貴方が喜ぶようなことも、何も出来ないと思う」
シャワーを出て、濡れた髪のまま彼は近づくと、私の顎に手を当て、くっと持ち上げる。
求められるままにされたキスは、思っていた以上に熱くて、全身がぽかぽかする。
「俺の方が、もっと汚れてるよ」
そんなことない。
言おうとしたけど、彼の唇によって、それは塞がれてしまった。
「それでも……いいか?」
「……うん、いいよ。高貞がしたいようにしてくれれば、それでいい」
「わかった」
彼と過ごした夜は、やっぱり、心の底から安心するものだった。
どうして手放してしまったのか、過去の自分を怒りたくなるくらいだ。
それから三年、身辺整理をしたという高貞の横に、私はいる。
形はどうあれ、アイドルとして大人気だった彼との結婚を、世間は祝福してくれた。
「令和のロミオとジュリエットは、ハッピーエンドで終わるんですね!」
マイクを向けられながら、彼と共に笑い、そして衆目の中でキスをする。
とても幸せな日々が、これから始まるんだ。