九 内宮の松
ようやく見つけたお鏡さんを伴って赤福の店を出ると、私たちは伊勢神宮の内宮に向かった。道中お鏡さんがやれ漬物だ、やれ伊勢うどんだと店から店を燕のように渡り歩くものだから、まったくもって辟易した。女という生き物はその大半が買い物好きであるような気がするが、お鏡さんのように「欲しがりません、勝つまでは」の時代に青春をおくった者でも変わらぬようである。いつまでもぶらぶらしているお鏡さんを待っていたらあっという間に日が暮れてしまう。私は首根っこをつかまえんばかりの勢いでお鏡さんを急かし、ようやっと内宮にたどりついた。
階段をのぼって進むと、お鏡さんが突如駆けだして木の幹に抱きついた。まさに五つか六つの子供である。
「尋常小学校の先生ってぇのは、こんな心持ちがするもんかね」
「吾妻センセやしね」
私は一瞬きょとんとして、「ああ」とざらつきはじめた顎をなでた。なるほど、お鏡さんが私を先生と呼ぶことを指しているのだ。
「先生は先生でも、こんな落ち着きのねえ生徒は受け持ちたかねぇなあ」
「英語もわからへん癖に、先生面せんとって頂戴」
お鏡さんが鼻息を荒くするのも無理はない。先程赤福屋の会計でもめたことを言っているのである。私は頑として米兵の支払いを拒絶したが、敵もさるもの、なかなか折れない。結局会計は折半することになったが、私は英語がからきしだから、米兵とのやりとりの間中お鏡さんに通訳してもらう羽目になった。
「そいつだよ。お鏡さんはまちっと警戒心てもんを持つべきだ。米兵なんてのは日本で何したっていいと思ってやがんだぜ」
お鏡さんは幹にしがみついたまま顔をしかめた。ところ構わず吠えたてる犬のように、鼻の頭にしわが寄っている。
「うっわ、時代錯誤。米兵はチョコレートくれるんやで」
「食いモンなんかに釣られんじゃねぇよ」
「その食いモンがなくて仏さんになった人がどんだけおると思てんの」
確かにお鏡さんの言う通りだ。ぐうの音も出ない。
「……赤紙もらった連中に米兵のことが好きなんて奴ぁいねぇよ」
負け惜しみの一言、いたちの最後っ屁であったが、お鏡さんはするりとかわした。
「うちのお父ちゃんはちゃうかったで。海軍さんやったけど」
お鏡さんの父親が海軍に所属していたというのは初耳である。家族がじゅうたん爆撃でやられたとは聞いていたが、詳しいことは聞けずにいた。戦後もしばらく神戸元町の駅前でのたれ死ぬ孤児がごまんといたと聞くが、お鏡さんも一歩間違えばそうなっていたかもしれないのだ。辛いことを思い出させるのは心苦しい。私だって戦場でのことは思い出したくもないのである。
「大尉やったかな……とにかくえらい人やったんやから。英語もしゃべれたし」
「ああ、お鏡さんの英語は親父さん譲りかい」
お鏡さんが小さくうなずいた。懐手をして寄り道に満足してくれるのを待っていると、彼女はまだここにいると駄々をこねるように木の幹にしがみついた。お鏡さんは冷たい水を使ううちにすっかり荒れてしまった手で、そっと幹を撫でた。
「ほんまはね」
お鏡さんはひどく小さな声で、心細そうに笑った。
「靖国に行きたかったん。戦争で死んだ人は、皆靖国に行くんやろ」
私は何も言えずに、ただじっとお鏡さんを見つめた。いつも縦横無尽に飛び回っている燕の如き娘に元気がないと、妙にしんみりしてしまう。
お鏡さんの感傷はわからないでもない。私の戦友の幾人かがそうであるように、お鏡さんの父親も靖国に眠っているのであろう。亡骸は満州やノモンハンやフィリピンや、レイテ沖や太平洋にあろうと、魂は靖国にある。
私は山と積まれた戦死者を見てきたものだから、今ではすっかり無宗教になってしまったが、内地にずっといたお鏡さんなら靖国に魂が戻ってくるのだと考えるのも無理はない。
私はようやく口を開いたが、かすれた声しか出なかった。
「行ってみたいかえ?」
幹に抱きついたまま、お鏡さんは睫を伏せた。
「どうやろ。靖国に行ってしもたら、ほんまにお父ちゃんが帰ってこおへんことがわかって辛なるかも」
まだ心のどこかで信じているのだ。いつか引揚者に混じって帰ってくるかもしれないと。
海に出た海軍士官のほとんどが船と運命を共にすると知っていても、骨を目の前にしなければ諦めきれぬのだろう。
思わず目頭が熱くなった。私が戦死していたら、きっと母もお鏡さんと同じようなことを思ったに違いない。戦争などというものは、するものではない。
私はほんの少しだけ過日の親不孝を詫びながら、お鏡さんの頭を撫でた。