三十四 三日天下
あどけない仕草で首を傾げるお鏡さんは、同時に小悪魔的でもあった。宵越しの金を持たぬことを批難されているのではなく、映画館への誘いを遠回しに催促されているように思えてならぬ。西の人間は遠まわしに催促をすることが多い。行きたいのならばすっぱり言えばよいではないか。しかし子供相手にがっぷり四つに組んで折れぬ大人げない男だと思われるのもこれまた癪である。江戸っ子に生まれて後悔したことはないが、負けず嫌いというのは困りものだ。
「そいじゃ、お鏡さんも行くかい?」
「ほんまに? ええの?」
「おう。かまやしねぇよ」
遠き江戸の昔より女は強いと言われるが、ひょっとしてこういうことなのではないか知らん。いつの世も男が折れてやるもんだから、かかあ天下なんて言葉が生まれたのに違いない。折れざるを得ないのでなく、男が折れてやっているのだ。
お鏡さんが支度をするというので、中庭を我が物顔に歩き回る鶏を眺めて待った。雄鶏が地面を突付く度、鶏冠がぷるぷると震える。堂々と胸をはる雌鳥を眺めていたら、ふと両親の姿を思い出した。亡くなった父はどう逆立ちしても母に主導権を握られているようにしか見えなかった。
雄鶏が掘り当てた蚯蚓を、雌鳥が脇からつまみに来る。亭主が稼いで妻子を養う姿がまるで社会の縮図を見るようだと目を細めていたら、あっという間に雌鳥が蚯蚓を取り上げてしまった。畜生の世界までかかあ天下である。
私の両親も真逆新婚当時から母が強かった訳ではあるまいが、父は結果的に天下を追われて子飼いの武将に落ちた。結婚して子でも産まれようものなら、亭主はたちまち天下人の座から追い落とされるのに違いない。想像するだに恐ろしい。
「おまっとぉさん」
背中にかけられた声に振り向くと、珍しいことに洋装のお鏡さんが立っていた。頭の先から順に見た。両肩に乗ったおさげは相変わらずだが、白いシャツの上に毛糸で編んだ紺の上着を羽織っている。女学生の様に清楚だ。下は膝小僧が隠れる長さの紺色のスカートで、私は思わず目を逸らした。嗚呼、スカートなど! 思わず筆を走らせたくなる程形の良いふくらはぎと踝が惜し気もなく披露されている。最早公然猥褻ではなかろうか。出来うる限り足元を見ぬよう気をつけながら、靴下を履けと促した。
「足袋はあかんかなぁ。靴下やったら下駄履かれへんやん?」
お鏡さんは招き猫の様に両手を上げ、皺一つない足袋を顔の横に並べた。縫い目までしっかり隠れている。アイロンを当てたのか知らん。細かい処でいちいち洒落ている。
「知らねぇよ、好きにしゃあがれ」
投げやりに言ってあぐらの上に頬杖をついた。己の鼻の下がだらしなく伸びていないか手をやって確認したら、髭の剃り跡のぷつぷつした感触が指先に伝わった。
外へ連れ出して思いを告げるのも悪くはない。進駐軍から解放されたばかりの聚楽館はどっと人が押し寄せて満員御礼の大入りだろうから二人っきりになれるかどうかは甚だ疑わしいが、そのときは海にでも行けばよいのである。問題があるとすれば近所の喧しいのに見つかってああだこうだと噂されるかもしれぬということだ。娯楽の少ない分、他人の噂話……特に誰それが良い仲であるというような話を女達は好む。私は所詮他所者であるし、二人でいるところを見られた処でほんの少しばかり恥ずかしいくらいで済むけれども、お鏡さんは平気か知らん。
「婆ちゃん、靴下あったっけ?」
大きな声で母屋に戻っていくお鏡さんに背を向けたまま、私はようやく重い腰を上げた。お鏡さんが洋装で出かけるなら、私も少しめかしこまねば釣り合いが取れぬ。負けず嫌いはここでも顕在である。髪を撫で付け、帽子など被ってみる。背筋を伸ばして襟巻きなど巻いてみるけれども、大して代わり映えもしない。元がよければこうまでして鏡とにらめっこする必要もないだろうに恨めしい。
「セーンーセェー」
子供が遊び友達を誘う様な屈託ない調子で呼ばれては、苦笑するより他ない。どれ程めかしこんでも中身はそう変わらぬものだ。私は鏡を見るのを諦めて「はーぁーい」と子供の頃を思い出しつつ答えた。




