二 鰯の腸
当月〆のカストリ雑誌の仕事を終えた途端、私は風邪にやられてしまった。熱で眩暈がするし、何より洟と咳がひどい。何度すすりあげても洟は垂れてくるし、咳の度に手元が狂う有様だったので、まだ別口の仕事が幾つかあったのだけれど、大人しく臥せっておくことにした。洟で紙や挿絵が変色してしまったら、目も当てられない。
そんなところにずかずか上がり込んできたのが、件のお鏡さんである。
「吾妻センセ、お粥もって来てん」
誰しも病のときには人恋しくなるものだ。私は先の髭騒動もすっかり忘れて感激し、お鏡さんが作ってくれた麦粥と鰯の丸干しを焼いたのを美味しくいただいた。熱で上顎が弱っているのか、鰯の頭がやけにがしがしと当たった。日頃は頭から尻尾まで丸齧りにしても平気なものだから、体力が衰えていることをとみに思い知った。このまま四十路へ突入して、段々歳をとっていくのか知らん。やりきれない。
粥をすするとふやけた麦粒が気管に入ってむせた。お鏡さんは背中をさすってくれた挙句鼻紙までくれた。とっとと帰れば風邪もうつらぬだろうに、大変面倒見のよい女である。
「ありがとよ」
咳が出て止まらなくなったので、合間に茶を飲んでようやく落ち着いた。温かいものを食うと洟が垂れていけない。すすりあげた途端にお鏡さんが鼻紙をくれる。どうにも間が悪い。それよりこの人は一体何枚鼻紙を持っているのだろう。布団の上に山のように鼻紙を置いてお鏡さんが言うには、洟を貯めていると蓄膿になるのだそうだ。私は時折上を向いて口を開けたまま唸り、お鏡さんの話を聞いていた。どうも喉がぜろぜろしていた。お鏡さんの薀蓄はまだ続いていたが、当の私はそれどころではない。婦女子の前でこんなことをするのは紳士的でないか知らんと迷いながらも、差し迫って仕方がないので、鼻紙の上に痰を吐いた。痰には細く血が混ざっていた。それを端から覗いていたお鏡さんは目を剥いて、燕もかくやという早さで飛んで行ってしまった。きっと結核か何かだと考えたのだろうが、私がそんな大病であるわけがない。まったくとんだ粗忽者だ。
麦粥は鰯が二本で足りた。粥は空だが、鰯が一本残っている。どうしたものだろう。日本の食糧事情が幾らかまともになったとは言っても、貧困はそう遠い時代のことではない。残すなど言語道断である。玉子酒でも作ってもらって、肴にしようか知らん。けれども肝心のお鏡さんはすっ飛んで行ってしまった。
一人寂しく鰯の腸を咀嚼していると、苦味が身にしみた。塩ッ気が濃くて、水が飲みたくなる。三本目を食いおわった頃、ひっかきまわすような騒がしい足音と共に、医者をつれたお鏡さんがようやく戻ってきた。戻ってきたと思ったら、当の本人はすぐに部屋から飛び出していくのだからよくわからない。
医者は鼻紙を覗いたり、私の胸に聴診器を当てたりする度に亀のように首を前に突き出して小さな目をぱちくりさせた。
「肺結核やて聞いて慌てて来たんやけど」
「まさか。ただの気管支炎でんしょう。おいらぁ、生まれつき気管がよえぇンです」
医者の診察はすぐに終わった。案の定、咳のしすぎで血が出たのにすぎなかった。医者が呆れて機嫌を悪くするので私は恐縮したが、何故私が萎縮しなくてはならないのだろう。勘違いしたのはお鏡さんだ。
「ご内儀にはよっく聞かせとき」
あのお鏡さんをご内儀とは、まったくとんでもない間違いをしてくれたものだが、医者の怒り顔を見ていたら話す気も失せた。医者を布団で見送ってから、空気を入れ替えたくなって障子を開けたら、お鏡さんが庭で珍妙な踊りをしている。おかげで私は阿呆のようにあんぐり口を開けてしまった。
「お鏡さん、そりゃあいってぇなんだえな」
「なにって、ご祈祷やないの」
当のお鏡さんは大真面目。阿波踊りのようなへっぴり腰で右足を宙ぶらりんにし、両手で頭の上に花を作ったまま鼻息を荒くしている。思わず私が吹き出すと、お鏡さんは本気で怒る。
ああこりゃあお鏡さんなりに心配してくれているのに違いないと、医者の話を伝えてやった。話の途中で徐々に腕がしおれてくる。それと共に貌から険がなくなってゆくのだから、百面相のようで面白い。聞き終えた途端、心配して損したと再び怒りだしたお鏡さんを笑いながら、布団に戻った。