十九 濡れ縁にて
お鏡さんを追って離れを出たが、未だに何と声をかければよいのかわからない。福嶋の言うのは別としても、私の来客が粗相をしたのだから、きちんと謝っておきたい。
母屋の軒先に入ったところで、下駄をつっかけた足が止まった。
今ならお鏡さんは、私のことなど屁とも思っていないだろう。福嶋の言葉に傷ついて、私のことを不潔な男だと嫌ってくれるかもしれない。いずれ神戸から去るのであれば、何も追う必要はないではないか。
妻を持つなら、絵を捨てねばならぬ。私は絵を取ることに決めた。それなら多少誤解されようとも追わぬ方が良い。
そう思いはしても、お鏡さんの様子が気にかかって仕方ないのである。
惚れた人に背を向ける辛さは、男も女も変わりがない。女はさめざめと目元を抑え、男はぐっと背筋を伸ばして堪える。戦友達は皆そうして戦場に出たのだ。私も堪えねばならぬ。
母屋の濡れ縁に腰かけて、感情と理性の間で唸るうち、日が傾いた。流石にお鏡さんは夕食の支度を始めただろうし、福嶋は帰っただろう。一つ処に留まって悩み続けるのは私ばかりだ。
男らしくすっぱりと答えを出すべきだと己を叱咤しても、腹が決まらぬのだから仕様がない。仕舞いにうじうじしているのが馬鹿らしくなってきた。こういうところが、私が女にもてぬ最大の理由であろう。考えている内に時機を逃す。慰めるにはもう遅い。
やはり私は絵に生きるのだと清清しい気持ちになったのは最初だけで、次第に背が丸まった。最後の方はただ夕日を見つめて呆けていた。
このまま神戸を去ってしまおうかしらん。絵描きは部屋を汚すからと言って、なかなか家を貸してもらえない。勤め人でもないので尚更である。ここほど好条件で貸してくれる大家はなかなかいないが、このまま神戸に居ついて、お鏡さんが見合いでもして嫁ぐのを見るのも辛い。嫁ぐのであれば見送るだけで済む。亭主とここに住むことになって、離れに住まわせるからお前は出て行けとでも言われたら、みじめでやりきれないではないか。出て行けと言われなかったとしても、お鏡さんが夫を迎えて子でも孕もうものなら、やはりみじめでやりきれないことには変わりがない。幸い私は畜生ではないから、夫婦の間に生まれた子猫をさらう雄猫のような真似はしないが、嫉妬に身をやつすのは明白だ。
嗚呼、なんたる我儘! 恋しい人の隣にいるのが自分でなくては許せぬとは、幼子が玩具を弄るが如くである。
鬱々とした気分は時の経つ毎に増していき、とうとう日が沈んでお天道様に顔向けができなくなった。福嶋め、何故手土産を酒にしなかった。酒ならお鏡さんは飲まなかっただろうに。
やはり神戸を去るよりない。そうと決まれば早いに越したことはない。