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十八 狂乱怒涛

 私はぎょっと目を剥いた。福嶋とお鏡さんは勝手に雑誌の内容など話し出し、すっかり二人で盛り上がっている。あまりの盛り上がりぶりに、もうお前ら結婚しろ、と胸の内で毒づいた。いや、本当に結婚されると困る。


「小さな絵を枠に囲んで描くんだ。そいつを一頁に何個か、ぎっしり描く。それで仕舞よ」


 福嶋の説明を聞いて、お鏡さんが感心する。完全に騙されている。福嶋の語り口も見事だが、説明をよく聞けば胡散臭いのがわかる。


「騙されんじゃねぇよ。そりゃあ漫画だ」


 今度はお鏡さんの目が丸くなる番だ。鳩が豆鉄砲食ったような顔で、私と福嶋を交互に見やる。そんなに見るな。視線を逸らして首を掻いた。


「吾妻、お前、漫画を馬鹿にするなよ、のらくろ読んだ世代だろうが」

「馬鹿にしてねぇよ、ありゃあべらぼうに難しいっつってんだよ」

「そうかい? やぁ、勿体ねぇなぁ」


 福嶋が珍しく退いたのにぎょっとした。この男がそんなに簡単に引き下がる訳がない。私はこれまでの身の毛もよだつ経験に基づいて身構えた。


「な、勿体ねぇよな、鏡子ちゃん。せめて挿し絵くらいはやってくんねぇかなぁ」


 成る程、元より狙いは挿し絵なのである。それなら請けても構わないが、後々痛い目を見るのは御免だ。念を押しておかねばなるまい。


「漫画は描けねえからな。話を考えんのは紙芝居で懲りてんだい」


 神戸に来る前、福嶋に頼まれて何度か紙芝居を描いた。私も子供の時分はよく見に行ったものだが、紙芝居の話を考えるというのは恐ろしく難しい。毎回続きの気になる内容で終わらせねばならないし、うまく作ったつもりでも人気がなければ打ち切りだ。逆に人気が出ようものなら、綺麗に終わらせたつもりの話に更なる続きを描かねばならぬ。難儀した記憶しかない。


「なんでぇ、それでへそ曲げてんのかい。話ならおいらが考えてやるって」


 頼りになる風を装っているが、嘘っ八である。


「お前ェの考える話は、亭主が死んで泣いてる後家さんに手ェ出す坊主の話みたいな、子供に見せらんねぇもんばっかじゃねぇか」


 私の言葉を聞いてお鏡さんが口を開いた。三人の中で一番若い自分がと思ったのやも知れぬが、春画を見ても動じぬ娘、危なっかしい娘、色気の「い」の字もない娘と考えると、期待できそうにない。


「福嶋さん、そりゃあんまりやわ。まだうちが考えた方がマシや」


 なんと。あれ程意気投合していた福嶋をすっぱり斬り捨てるのが小気味いい。流石(さすが)に私の惚れた女だ。一人、腕など組んでにやにやしていたら、福嶋がとんでもないことを言った。この男は本当にめげない。


「そいじゃ、鏡子ちゃんに話を考えてもらやあいいじゃねぇか」


 薮蛇である。


「え、そんなっ」


 さしものお鏡さんも形無しだ。不忍池の鯉のように、口をぱくぱくさせて慌てる様子が珍しくて見入っているうちに、反論する機会を逃した。福嶋がこの機会を見逃す筈がない。


「鏡子ちゃんは吾妻のことが好きなんだろ。だったらこれはまたとない好機だぜ」


 福嶋ァ!

 今度は私が不忍池の鯉になる番だ。まったく、突然とんでもないことを言う。奴にしたら友人の恋路を手伝うつもりでいるのだろうが、傍迷惑なこと極まりない。目の前にお鏡さんさえいなければ、この男の胸倉くらいはつかみ上げている。困る。うっかり恋が成就するようなことがあっては困るのだ。


「はぁ? うちが? なんで?」


 素っ頓狂(すっとんきょう)な声を出すお鏡さんがいとおしい。同時に少し気落ちしないこともない。


「だって伊勢で一緒に泊まったんじゃねぇの? そりゃあ据え膳だろ」

「福嶋ッ」


 気付けば胸倉をつかんで締め上げていた。何も知らぬ娘に下衆の勘繰りなど知らせる必要はない。けれども当の福嶋はしれっとしている。ふと我に返って後ろを向くと、強張(こわば)ったお鏡さんの顔があった。膝の上で両手が震えている。

 かける言葉が見つからずに逡巡するうち、お鏡さんはすっくと立ち上がった。いつものように勢いよく襖を開く。いつもと変わらぬ勢いである筈なのに、音が冷たく聞こえたような心持ちがした。そのまま廊下を進む後ろ姿がいつもより小さく見えて、ずきりと胸が痛んだ。

 平手の一発くらい食らわせてくれた方が、ずっと楽だ。


「吾妻、呆けてねぇで追いかけてやれ。しくじんなよ」


 ここまで計算尽くだったらしい淡々とした声が聞こえて、私は一発福嶋を殴った。

 彼女の代わりに殴ったつもりでいたが、ひょっとしたらお鏡さんを傷つけられた怒りに任せて殴ったのかもしれなかった。

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