十三 唐草絵付
子供に誘われたってちいとも食指は動かぬ。ましてや色気の「い」の字もない娘だ。それも色気の「ろ」の字が抜けて頭に「く」の字がくっついて食い気になるような娘だ。それでも潤んだ瞳でじっとりと上目遣いに見つめられては、退くに退けぬ。普段はおさげにしている髪を右肩の上で一つに束ねているのも相まって、いつもと違った雰囲気を醸し出している。据え膳を前に退くのは男の恥であろう。そもそも、私がここで退けばお鏡さんに恥をかかせることになる。
尤もらしい理屈をつけて、私はどっかと畳の上にあぐらをかいた。今日この時ほど煙草が喫めればと思ったことはない。この手持ち無沙汰な沈黙を埋めてくれるなら、ちょっとやそっと咳き込むぐらいどうだと言うのだろう。尻の座りの悪い沈黙は堪らぬ。
「よかった」
ほっとしたように小さく笑ったお鏡さんに、私はようやく懐手を解いて、投げ遣りな返事をした。
「そんなら邪魔するけどよ、後で文句言ったって、知らねぇからな」
「文句? なんで?」
声だけ聞けば無防備もいいところである。しかしながら夜のお誘いをした上でのことだから、見事な策略としか言いようがない。女という生き物は時折参謀本部も真っ青な偽装をしてのける。私はお鏡さんの無邪気な声に少々面食らいながらも、うるせぇと毒づいた。
「なんやようわからんけど、おやすみなさい。灯りはつけときます」
少々どころかかなり面食らった。鳩が豆鉄砲どころの騒ぎでない。何故灯りを消さないのか。なんとも大胆というか、剛毅な娘だ。初めてともなれば、灯りを消して尚恥じらうものではないのか。
驚く私をよそに、お鏡さんはちゃくちゃくと就寝の準備を整えている。
「センセ、朝まで描かはるんとちゃうの?」
一体何をだ!
強張った私の顔から何を思ったのか、お鏡さんは「うちは描かんとってくださいね」と念を押した。
ここに至って、私はようやく己の間違いに気付いた。色気の「い」の字もない小娘が、参謀本部も真っ青な手練手管など使おうはずもない。まさに言葉通り、文字通りなのである。
清い娘のすることを下手に勘繰って、あれやこれやと想像するなど下衆の所業だ。
私はお鏡さんに背を向けたまま、言われた通りにすごすごとスケッチブックと木炭を鞄から出した。乙女の清らかさを前に、下衆はひれ伏すより他ないのである。
手始めに、埃の積もった行灯を描いた。光の届く範囲を考えて描いたら、やけにおどろおどろしい絵になった。さしづめ現代の牡丹灯篭といった風情である。
背後で寝返りをうつ気配がして、私は背筋を伸ばした。下手に振り向けぬ。首の筋肉がこれほど硬直するのは軍隊生活以来ではあるまいか。
目の前の卓袱台に、唐草模様の灰皿がある。大量生産された安物だが、その模様は私の中にとぐろを巻く欲望のように思えた。
全体像を大まかに描き、少しずつバランスを確かめながら細かくしていく。藍の蔦を一本一本丁寧に描くうち、すっかり我を忘れた。
悟りを開いた僧のようにと言えば聞こえはいいが、要は絵の中にすべて置いてきてしまったわけである。描き終えた私は頭を悩ませた。これはひょっとしたら、男として大変情けないことなのではあるまいか。
じきに日が昇る。夜が明けるまで没頭して、一体何を描いていたのかと問われてこの絵を見せる訳にはいかない。残念ながら私は、己の罪深い思い違いを白日の元に曝して喜ぶような被虐趣味は持ち合わせていない。
灰皿に放り込まれていた握り飯の米粒を拾って、指の間で潰した。丸めるうち、適度に粘り気が出てくる。潰した米粒を今しがた描いたばかりの絵の四隅に貼り付けた。この絵を見せるわけにはいかない。