一 御髭騒動
お鏡さんが言うには、私に髭は似合わないらしい。
その当時、私は気ままに絵を描く仕事をしながら、神戸三宮にある屋敷の離れに暮らしていた。屋敷には老夫婦が住んでいたが、息子たちを先の大戦で亡くしたために、離れに下宿人を住まわせることにしたものらしい。私のように友人の乏しい者を店子にしても、邸内は一向に明るくならぬのではないか知らん。暇さえあれば家に篭もって絵ばかり描いているものだから、老夫婦の目論みはすっかり外れたものと思われる。
この屋敷には、住み込みの下女が一人いた。この人がお鏡さんである。米軍のじゅうたん爆撃で親兄弟を亡くし、身寄りのなくなったのを老夫婦に拾われた。防空壕の一歩手前でつまづいた婆さんを助けたのがはじまりだと言うから、人の縁とは奇妙なものである。年の頃は十八、九。神戸ッ子らしく漁師訛りの言葉を早口に使うので、邸内のどこにいてもすぐにわかった。実にせわしない娘で、東京生まれの私にしてみれば、下町の祭が毎日続いているかのような騒々しさであった。
このお鏡さんが、私には髭が似合わないと言うのである。
「吾妻センセ、今日び髭なんて流行らしまへんで。すっぱり剃ってしもたらどうです」
紺絣の着物にもんぺをはいた小娘に、髭の魅力などわかってたまるものか。お鏡さんは花も盛りの娘の癖に、常にたすきをかけていた。ところどころ煤けた二の腕が覗くたび、内心まぶしく見たものである。いや、そういうことを言いたいのではない。私はずっと自分の顔が幼く見えることを気にして髭を生やしてきたものだから、意固地になってしまった。
板垣退助や伊藤博文のように口が髭に埋もれる段になり、好物の山芋がとんでもなく食いにくいことに辟易しても、私は頑として髭を剃らなかった。そんな私に髭を剃らせたのは、やっぱりお鏡さんであったのだから、我がことながら不思議なものである。
「吾妻センセの髭は面白いなぁ。火事になってちりちりしとうのが目に浮かぶようやわ」
この一言にはまったく呆れた。お鏡さんは、私の髭面を否定したことをまったく忘れてしまったらしい。しかしお鏡さんの言う通り、ひとたび火事になればさぞかし大変なことだろう。幸い私は煙草を喫まないが、愛煙家の諸君は一体全体どうしているのか知らん。こうして私は髭を剃る決意をした。
いざ、と膝立ちで鏡に向かい、背を丸くして鼻の下に剃刀をあててみるも、長い月日をかけて伸ばしたものだから、どうにも決心が鈍って仕様がない。剃刀をあてがってはやめ、少しばかり剃っては入念に鏡で眺めていたら日が傾きだした頃、ついに顎髭がなくなった。鼻の下にはまだ残っていたが、天然の外套をなくしたように顎が涼しく、心細い。そこで鋏を二番目の引き出しから出して、ちくちくと切りそろえてみたが、毎朝顔を洗う際に見る己の顔が見慣れないのには変わりない。これは一気に剃ってしまうべきだとついに心に決めて、向かって右の髭を落とした。懐紙の上に次々と髭を乗せていくが、これではまるで遺髪である。思わず声に出して笑ったら、風が起きて飛んでいきそうになったものだから慌てた。もう片方を落として、鼻の下を撫でているところに、お鏡さんが来た。少々ばつが悪くしていると、お鏡さんときたら、私を見るなり吹き出した。
「とうとう剃りはったんですねぇ。あたしが要らんことを言うたばっかりに、センセが意固地になってしもうて、悪いなぁと思とったんです」
吹き飛ばされてはたまらんと髭を押さえこんでいた私は、これに唖然とした。西の女にまんまと騙されたわけである。
私が目を剥いているうちに、お鏡さんはけらけら笑いながら母屋へと戻ってしまった。