第51話 時々ボソッと緊張でつぶやく隣の姫乃ちゃん
球技大会当日の朝。
朝一で体育館に集められた俺たち新1年生は、
「とにかく熱中症に気を付けるように。まだ身体が暑さに慣れていないこの時期は、熱中症になりやすいから、少しでも不調を感じたら、すぐに先生に報告するように」
熱中症についてしつこいくらいに念押しされた開会式を終えると、全員でラジオ体操を行った。
この後、男女別にクラス対抗総当たりでのバスケットボールがスタートするのだが、俺たち1組は、まずは女子が開会式直後のオープニングマッチを戦うことになっていた。
「き、緊張してきました……」
体操が終わると姫乃ちゃんがボソッとつぶやいた。
さしずめ、時々ボソッと緊張でつぶやく隣の姫乃ちゃんである。
「緊張はするよな。でも姫乃ちゃんはしっかり練習をしてきたよ。小学校の時に、一生懸命に練習して逆上がりができるようになったようにさ。バスケだって大丈夫だと俺は思うぞ」
俺は安心させるようにニコッと笑いながら、そう言った。
さりげなく過去の成功体験を持ち出したり、まったく淀みなくスラスラと言えたのは、これが事前に用意してあったセリフだからだ。
というのも、姫乃ちゃんが一番苦手な運動の、しかも球技大会ときたら、姫乃ちゃんが感じる緊張は相当なもののはず。
だから俺が、姫乃ちゃんの緊張を解きほぐし、沈んだ気持ちをプラ転させるためのセリフを用意しておくのは、当然だろう?
姫乃ちゃんが不安でいっぱいになるであろうことを、姫乃ちゃんを誰よりも知る姫乃ちゃんマイスターの俺は、簡単に予想できたからな。
だが緊張するなと言って緊張しなくなるなら、誰も苦労はしない。
そこで俺は、姫乃ちゃんの最大の成功経験である逆上がりをここぞとばかりに持ち出したのだ。
「そうですよね……あの時と同じで、勇太くんが練習に付き合ってくれたんですから……」
普段のふわりとした笑顔と比べたらまだまだ固いものの、姫乃ちゃんの沈んだ顔がまぁまぁ明るくなったのが分かった。
と、
「ユーター? アタシもちょっと緊張してるから、頭撫でてよー?」
小春が俺の前に来て、頭を突き出してきた。
「別にいいけど」
答えながら小春の頭を撫でり撫でりすると、ふわふわと柔らかい髪の感触が返ってくる。
「えへへ……」
小春が気持ちよさそうに目を細めた。
それを見て、ちょっと前の記憶を思い出す俺。
「そういや高校受験の日にも、これやったよな」
「あ、覚えてた?」
「まぁな」
「受験の時、ですか?」
姫乃ちゃんがおずおずと聞いてきた。
「受験の時にすごく緊張してたんだけど、これで一気に緊張がなくなったの。きっとユータの手は、緊張をほぐす魔法の手なんだと思うんだよねー」
「あはは、どんな手だよ。俺は神様かよ?」
俺は思わず笑ってしまったのだが、
「わ、私もお願いしていいでしょうか……!」
姫乃ちゃんは小春の言葉を真に受けたのか、小春の隣に来て俺に頭を向けてくる。
まぁ鰯の頭も信心からって言うしな。
これで姫乃ちゃんの緊張がさらにほぐれるなら、やらない理由などないわけで。
「お安い御用だよ、姫乃ちゃん」
俺は今度は姫乃ちゃんの頭を撫でり撫でりした。
キューティクルでさらさらの髪は、まるで絹糸のようだ。
「ね、緊張が取れたでしょ?」
「はい、かなり落ち着いた気がします」
「それはよかった」
「やっぱり魔法の手じゃない? いわゆるマジックハンド?」
「かもしれませんね」
「一応言っておくと、マジックハンドは手の届かないところのものを掴むための、便利道具のことだからな?」
苦笑する俺を見て、小春と姫乃ちゃんが楽しそうにクスクスと笑った。
「じゃあ、ひめのん、みんなのところ行こっか」
「はい」
チームメイトと合流するべく歩き出した2人を、
「がんばってな!」
俺は元気よく送り出したのだった。




