第21話『魔の17時42分』
挨拶とともにふわりと笑った姫乃ちゃんが、小さく頭を下げると、絹糸のように美しい黒髪がさらりと流れる。
成長して見違えるような美人になったけど、何気ない仕草は4年前と変わらないなぁ。
「おはよー、ひめのん」
「姫乃ちゃんおはよう。もしかして待った?」
昨日は自己紹介の後に、なし崩し的に話が始まったのもあって、朝の挨拶をしなかったから、実に4年ぶりとなる「おはよう」だ。
まさか姫乃ちゃんと再会できるなんて。
そのことが今でもどこか信じられない俺がいた。
「いえ、私もさっきの電車で来たところですから」
「ならよかった」
「あのねー、ユータ。時刻表で電車の時間を確認して待ち合わせしたんだから、待つわけないじゃんかー」
「はい。昨日ラインで決めたとおりに、2分前に到着の電車で来ました」
「まったくもー。過保護だよねーユータは」
「この時間に来るのは今日が初めてだからさ。念のために聞いたんだよ。時間によって微妙に遅れがちな電車とかあるだろ?」
「あるあるー。17時42分の上り電車とかね」
「魔の17時42分な」
「な、なんですかそれ?」
つい身内話をしてしまった俺と小春に、姫乃ちゃんが私もいますよとばかりに食いついてきた。
姫乃ちゃんは昔から聞き上手というか、俺の話をすごく熱心に聞いてくれたんだよな。
「次はどうなるの?」「それでそれで」って。
それは今も変わらないようで、俺は嬉しくなると同時に溢れんばかりの懐かしさを感じていた。
見違えるように綺麗になっても、姫乃ちゃんはどこまでもあの頃の優しい姫乃ちゃんのままだった。
「じゃあ、歩きながら話そうか」
3人で並んで通学路を歩き出す。
クラスの席と同じように、俺の右隣に姫乃ちゃん、左隣に小春というポジショニングだ。
2人とも俺に触れるような近い距離だった。
「なんか、近くないか?」
「3人で広がって歩いたら迷惑でしょ?」
「ですです」
「それは、そうだよな」
2人の指摘は実に正しい。
駅から高校に向かう道は、その先に高校以外の施設がないため、ほとんど在校生専用って感じだ。
朝の通学時間なので、人の流れも高校に向かっての一方通行。
それでも3人で広がって歩くのは、他の生徒の迷惑になるだろう。
だからお互いの距離を詰めて歩くことは、とても正しいことだ。
でも肩や腕が触れてしまったり、小春のフローラルな甘い匂いや、姫乃ちゃんの石鹸のような清楚な匂いが時おりしてくることに、俺はどうにも気恥ずかしさを覚えてしまうのだった。
「それでさっきの話はどういうことなんでしょうか?」
もう一度姫乃ちゃんが尋ねてきた。
「実を言うと、そんな大した話でもないんだけどさ。俺や小春の地元の最寄り駅で、17時42分に到着する上り電車は絶対に遅れるんだ」
「そうなんですか?」
「遅れるって言っても普段は2分くらいなんだけど、時々5分以上遅れたりすることもあってさ」
「そうなんですね。ですが常に遅れるとわかっているのなら、その時間の電車に乗らなければいいわけですよね? なにせ遅れるのはわかってるんですから」
俺の説明を聞いた姫乃ちゃんが、ほんのわずか首をかしげた。
「さすが姫乃ちゃん、頭の回転が早いね。だけど俺が言いたいのはまさにそこなんだ」
「と、言いますと?」
「その電車が、塾に行くときの時間にピッタリ合う電車だったんだよ」
俺はさらに続けて説明しようとしたんだけど、
「アタシたちが通ってた塾は18時10分から始まったんだけど。普通ならその電車に乗れば10分前には塾に着けるのに、電車が遅れるせいでいつもギリギリになっちゃってたの。5分遅れると5分前、6分遅れると4分前って感じで」
小春が後を受けるように続きを話し始めた。
「なるほど、そういうことでしたか」
「電車を1本早くすると25分前に着いちゃうから、それはそれでアレでしょ?」
「いつも25分前に行くのは、さすがに少し早すぎますよね」
俺たちの説明を聞いた姫乃ちゃんが、あははと小さく苦笑した。
「そういうわけで、俺たちはその電車のことを『魔の17時42分』って呼んでいたんだ」
「なるほどです」
納得いったのだろう、姫乃ちゃんが満足顔でうなずいた。




