8
「舞」
「どうして?」
舞のその言葉には、恐怖のようなものがあった。けれど朋久は、それに気付かないふりをした。
「風邪ひいたって聴いたけど、元気そうだね。サボり?」
「帰って」
舞は小さく、怯えた声で云う。朋久は微笑みで頭を振る。
おい、と、だみ声がする。舞はびくついて振り返る。「はい、おとうさん」
だみ声がなにか云った。舞は青くなっている。
「舞?」
声をかけると、彼女は朋久を見た。目に涙がういている。
「あのタオルハンカチ、返してくれるかな」
「え?」
「とりに来た」
外階段へ向かった。舞は短く鋭く、ダメッ、と云う。
その背後に、目付きの悪い男が立った。不摂生が顔にあらわれているタイプだ。肌がくすみ、目に力はない。ないが、凶悪なものを感じる。
「こんにちは」朋久はにこにこして云う。「舞さんのお父さんですか? 僕、佐橋朋久と云います」
「舞、なんだ、あののっぽは」
「おとうさん、煙草ならすぐに買ってくるから」
「あいつは誰だと訊いてる。高校生か? 男に俺のことを話したのか」
「クラスメイトの佐橋朋久です」
朋久はそう云いながら、外階段をのぼっていって、舞の手を掴んだ。ひっぱると、彼女はあっさり朋久の腕のなかへおさまる。
舞の父は、それに怒ったらしかった。「舞!」
舞は悲鳴をあげる。朋久は彼女を抱え、外階段を降りる。舞は震えている。「朋くん、だめ」
「怪我、酷そうだね。病院へ行こう」
「おろして……」
舞が大きく叫び、朋久は横へひょいと跳んだ。なにかが空を切る。
振り返ると、彼女の父親が包丁を持って立っていた。肩で息をしている。
朋久はそれを睨む。
「娘に触るな」
「娘さんが大切なんですか」
「あたりまえだ」
「だったら、病院につれていったらどうです? こんな怪我をして、視力にも影響があるかもしれない」
「親が子どもをどうしようと、勝手だろうが。ガキが口をはさむな」
「舞、朋久……」
翔哉がやってきて、包丁を持って立つ舞の父を見、硬直した。左手首からぶら下がったラジオが、耳障りな音をたてている。
舞の父が包丁を突き出してきて、朋久はその腕を思い切り蹴った。包丁が宙を舞う。「朋くん!」朋久のふくらはぎからは血が流れていた。制服のずぼんが裂けてしまったことを少しだけ惜しく思った。
体勢を崩した舞の父に、足を踵から振り下ろす。彼は朋久に踏まれ、その場に這いつくばった。
「大人が、子どもに包丁を振りまわすなよ」
ぽつりと云う。舞の父は呻くのみだった。