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舞の目許へ、冷えたタオルハンカチをあてた。彼女はまだすすり泣いている。朋久は舞のせなかを撫で、手を握り、なにも云わない。
翔哉の姿が脳裏によみがえった。黒いヴァイオリンケースは、映画かドラマで見たことがあってそう判断できた。しかし、翔哉がそれを担いでいるのには、なんとなく違和感がある。
翔哉はクラスに親しい友人は居ない、らしい。隣のクラスの峯田という生徒とつるんでいるのは見かけるが、それ以外の生徒と接触している様子はない。
目付きが悪く、髪の色がうすいので、生徒達から避けられているのもある。実際、染めている訳ではないらしいが、ゆるくウェーブした金茶の髪は、不良と勘違いされるのに充分だった。
山城の家庭のこと、彼がなにを好きなのかなど、朋久は知らない。舞とこよみがここまで親しい関係だったことも知らないくらいだ。朋久がはっきり把握しているのは、幼馴染みの和佐についてくらいである。
「……ごめん、こんなに、泣いて」
「かまわないよ」
やっと落ち着いたのか、舞は手をおろす。
「これ、洗って返す」
「いいよ」
「ううん……」
「じゃあ、送らせて。藤咲さんのお家まで」
舞はぱっと、朋久を見る。かすかに怯えを含んだ目付きだ。
舞は家に近寄ってほしくないようだった。やんわりと拒絶された。朋久はけれど、ひきさがらず、強情をはった。
それで、家の近くまで、と、舞も納得した。だからふたりは、並んで歩いていた。
舞は繁華街のほうに住んでいるらしい。街の中心部へ向かっている。泣き腫らした目が痛々しくて、朋久はそれを見ていられない。
「あのね」
「うん」
「いつも、歌ってるでしょ」
「……うん」
舞は俯いている。「あたし、あのヴァイオリンの音、聴いたことがあって……」
「うん」
「なんか、凄く懐かしい感じがするんだ」
舞は朋久を見る。
「だから、覚えてるよ、忘れてないよって、云ってあげたいの」
「じゃあ、また」
「また明日」
商店街の入り口で、朋久は立ち停まり、彼女はゆっくり歩いていく。黒いタイツをはいた脚が、膝下丈のプリーツスカートを跳ね上げるように動く。不格好で型崩れしたバックパックは、彼女には大きすぎて、大人のお下がりだろうと思った。
舞は振り向いて、軽く手を振ってくれた。朋久もそうした。「ありがとう、朋くん」
「……舞、無理しないで」
舞は微笑んだらしい。
「朋久、機嫌いいな」
「そんなことないよ」
「彼女でもできた?」
持っていたおたまを落としそうになった。
朋久は居間を振り返る。そこでは和佐が、弟や妹にぽかぽかやられながら、洗濯ものをたたんでいた。和佐は年の離れた弟と妹が居て、母親が入院しているのでその世話で手がいっぱいなのだ。だからたまに、朋久がこうやって赴いて、食べられるものをつくって冷凍していた。ついでに、ここでご飯をもらうので、朋久にも得はある。
和佐はにやにやしている。
「誰だよ。盛林か?」
「そんなんじゃないよ」
「御厨さんは休んでるしなあ」
御厨こよみは、クラスの男子の憧れだ。たしかに可愛い。
朋久は苦笑いする。「その親友と、ちょっと喋ったくらいかな」
「え? 藤咲さんと?」
和佐はきょとんとした。その頭を、四歳の弟がぱたぱた叩いている。ちょっとね、と朋久は濁した。なんとなく、詳細は話したくなかった。