第2話 転生の始まり
僕の名前は”ソータ”。
地球での名前は”夜刀衣 蒼太”。
なんやかんやあって異世界に来てしまった僕の日々をここに語ろうと思う。
自分たちが行ってきた所業を皆に知らしめたい、とかそんな大袈裟な話ではなくて、辛いながらも楽しく充実した僕の異世界生活をなんらかの形にして残しておきたかった。
おっと、”なんやかんや”って部分にツッコミは入れないでほしいかな。
異世界急行便である居眠り運転に撥ねられた訳でも、魔法陣がいきなり現れて連れ去られた訳でもない。
偉そうな神様とおしゃべりしてチート能力や使命を貰った憶えもない。
本当に気がついたら異世界だった。
神様とかって、実は空想上の創作物なんじゃないかって思ったりしている。
まぁ、あれこれ悩んでも仕方ないと割り切ったよ。
僕にはやりたいことがある。アイデンティティと言っても過言ではない。
それができるなら異世界人生だって構わないのさ。むしろ大歓迎。
とりあえず僕の地球での最後の記憶と異世界初日について話そうかーー。
◇
ーー東京都:とある病院の一室ーー
「今日も生きてーー」
「このデータではーー」
「明日はあの新薬でーー」
「いつ死んでもーー」
部屋の外で下らない大人が下らない話をしている。
予め言っておくが、難病を治すため新薬の副作用に苦しみながらも家族と共に健気に頑張るドラマチックな少年の話ではない。
あの会話に僕の意思なんて入る余地もない。
どんなに声を張り上げた所で、彼らの目には僕を映すことはない。
たまに見ているかと思えば、それは僕を”物”としか見ていない。
少しでも雑音から意識を遠ざけようと、僕は小さな窓から空を見上げる。
冴え渡った空は雲ひとつなく気持ち良い青色が天上に広がっていて、快晴と呼べるほど美しい空には2羽のツバメが気持ち良さそうに飛んでいた。
「空を飛ぶのは気持ちいいのかなぁ……」
ポツリと呟いた独白に思わず苦笑してしまう。
21世紀の現代、人類は様々な方法で空中を駆けている。多少値は張るが、飛行機という人類を空へ持ち上げた空力学の恩恵に預かればいい話だ。
別に特権階級だけのものじゃなく、一般人も乗れるというのだから人類の”空”へのーーいや、非日常に対する向上心は素晴らしい。アンビリーバボー。
ただ、人類の叡智を以ってしても僕は空へ旅立つことはできないだろうな。
病的に痩せた身体を清潔なベッドに沈み込ませ、柔らかく被せられた布団からは無数のコードや管が伸びていた。その先を見れば、身体状況を数値で表してくれる機械達がピッ、ピッ、ピッと機械音を定期的に鳴らしながら、まるで僕を監視するようにぐるりと囲っていた。
僕は試験治療薬の実験台をさせられている。
いわゆる臨床試験というやつだ。
だが、法のもとに行われる安全なものではない。イリーガルなやつだ。
僕が病気にかかってから、もう4年は経っているのか。
”僕の病気の治療”という建前の中、金の亡者である病院と製薬会社がグルとなって、僕の家が”僕”という材料を提供する。
動物実験や細胞組織を使った非臨床試験を飛ばして人体実験ができるため、開発コストを抑えることができる製薬会社。
開発した薬を優先的に低コストで回してもらえる病院。
協力金が入る僕の家。
三者三様にメリットがある。
あとは全員がお口チャックしていればいいのだ。
そして狂っている大人たちはいつも言う。
「君のおかげで周りのみんなが幸せになれる」
ふざけている。
僕は決して自分の意思でこの身を差し出した訳じゃない。
なぜ、僕がお前たちのメシの種にならなきゃならない。
なぜ、僕が薬の副作用で苦しんでいるのに、お前たちは笑っているんだ。
悔しさと悲しさと怒りがごっちゃになった感情が生まれる。
”僕”をいないものとして扱う世界が恨めしい。
現状を変えようと抗おうとしたこともある。
だが、被害者である僕はもうすぐ死ぬ。
早くいなくなった方が家も嬉しいだろうな。死人に口無しだ。
僕は医療に詳しくないから、モニターに映っていることの半分ぐらいしか分からないけど、長年付き合ってきた間柄だ、どの数値がどう健康状態に関わっているのかぐらい理解している。見た感じ、過去最高に悪いね。
死ぬと分かってしまった時から、僕の抗う気持ちは消え失せた。
もう何をやっても無駄になってしまうと悟ってしまった。
死に対する恐怖は以外と小さい……死因? なんか色んな症状を持つ何とか合併症による病死にされるんじゃないかな。
フと幸せとは何だろうかと頭に考えがよぎった。
18歳で病死する僕は一般的に見れば不幸なのかもしれない。けれど、病弱だった僕にとって病魔とは友達みたいな感じだ。
起きてるときも寝てる時も一緒だった……友達よりも恋人みたいじゃないか。コンチクショウ。
とにかく、僕にとっては当たり前のことなんだ。
物に困ることもなかったなぁ。
クソッタレなしがらみに囚われたクソッタレ家だったが、裕福ではあった。欲しいと思った日用品や雑貨等は頼めば買い揃えてくれた。
テレビやゲーム、マンガは病室でもそれなりに楽しめた……インターネットに繋がるときは監視付きだったけど。
では愛情は? 死にかけの人間に相応しい数字を叩き出しているのに機械はアラームを鳴らさず医者も呼ばず平常運転していることから察してくれ。
どんなに物に恵まれていたとしても、自分の居場所や必要としてくれる人がいないってのは、とても寂しく感じるんだよね。
仕事をしない無愛想な機械たちに呆れると同時に、人生最後の日をいつも通りに過ごせることに安心する。
大人と家の都合で勝手に見切りつけられた僕は何も悪くないはずなのに、憐れみや同情といった負の視線は向けられるだけで疲れる。
まぁ、何が言いたいのかというと……衣食住だけでは心が満たされないってことさ。
心を満たしてくれるピースが僕には入手できなかったんだ。
あぁ、鎮痛剤が切れてきたせいか、体がだるくて重くて辛い……そろそろ終わりが近くなってきたかな。
僕にとっての、心残りというか未練というか祈りに近い願いだけど、一度でもいいから空を飛びたかった。
ずっと見上げることしかできなかった”空”は、鳥籠に閉じ込められた僕にとって自由で憧れの象徴だった。
春・夏・秋・冬の季節や晴れ・曇り・雨・雪といった天候によって変わる景色は豊かな表情みたいで、毎日見ていても飽きることがなかった。
流れる雲を見ては、どこまで続いているのかを考え、一緒に旅をしたいと何度も願ったことか。
空から見た広々とした景色はどんなに爽快な気分なんだろうと何度も想像したことか。
空を飛ぶ鳥達のように、風に乗り気持ち良さそうに、どこまでもどこまでも遠くへ羽ばたくことを何度も夢に見たことか。
飛べないことへの悔しさというか恋い焦がれるようなくすぶりが痛みのように胸に残っている。
今すぐにでも空に向かって飛び出したい。けど、死に向かう身体がそれを許さない。
言う事聞かない腕にゆっくりと力を込めて動かし、窓に向ける。
空に届かない事は分かっている。ここから逃げることすら叶わないのもわかっている。
近いように見えて、遠い場所にある空を撫でるようにゆっくりと手を伸ばす。
自分が持つ空への気持ちを忘れる事がないよう、この命の炎が消えるまで、自身に心ゆくまで憧れを語りかける。
「もし、生まれ変わりがあるのなら……どうか、僕に自由に空を飛べる翼をください……」
そして僕は意識を手放す。
夜刀衣 蒼太 (やとい そうた) 享年18
◇
ーーエルマー国:住宅街にあるアパートのとある一室ーー
覚醒するように目が覚めた。
……生きている?
自分の”魂”みたいなものが身体から抜けて、全ての感覚が消え失せるというゾッとした気分になったのだが……ただ寝ただけ?
死を覚悟したのに拍子抜けしたような、いつもの日常を過ごせる事に安心したような複雑な気分だった。
またいつもの苦しくて退屈な日常を過ごすのか。
「んん……?」
何か違和感があった。いつものあるはずの何かが欠けていてそれが分からないもどかしさ。
数瞬の内に気付いた。目覚まし代わりに聞こえてくるいつもの機械音がない。
周囲を見渡せば、僕を囲っているはずの機械がない。機械がないということは、そこから伸びるコードもない。
布団を慌てて捲っても見当たらず、恐る恐るパジャマの袖も捲ったが痛々しい注射痕もなかった。
ここまでやって気付いた。
何故だが身体の調子がすこぶる良い。
いつもの挨拶だと言わんばかりに激痛を送ってくる病魔や薬の副作用の気配が全くない。
自分の身体なのに本物かどうか疑ってしまうぐらいビックリしている。
夢かと思うような調子の良さで、周囲を見回す。
そこは見知らぬ部屋だった。
表面加工してあるフローリングや断熱材を内包した柄の入った壁紙といった地球の21世紀現代風ではなく、何の変哲も無い木の板を打ち付けただけのシンプルな造りだった。
目に見えて分かる家具は、椅子と机と調理場ぐらいか。
それだけなら山小屋と何ら変わらない。
驚いたのは、何を表しているか分からない計器、用途不明の機器とそれらに繋がっている金属製の管が、部屋のあちこちにあったことだ。
カタカタと常に何かが動いている音が聞こえ、別の場所では一定量溜まったのかプシューッと蒸気を噴き出していた。
前世にあったスマートな機器に比べて、どこか古臭さを感じる。
それは決して悪い意味ではなく、懐かしささえ感じる木製の部屋に非常にマッチしており、使い込まれた様が一種の芸術品、アンティークさを醸し出している。
柔らかな日の光を入れてくるカーテンと窓を開けて見ればーー.
「おぉっ!?」
目の前に広がるのは澄んだ青空と活気づくファンタジーな街並み。
一見、レンガを使った建築物や描かれた紋様、敷き詰められた石畳は絵本やおとぎ話の中に入ったかのような西洋の風情。
だけど各家に歯車やパイプなど色々剥き出しで周りを囲み生活の一部になっていた。
向かいにある店なんかレジスターらしき物も見えていたし、最初は産業革命時代のヨーロッパにタイムスリップでもしたのかと思った。
だが、それは違った。
大通りには、僕から見れば今にも止まりそうなぐらい蒸気を上げながら、見たことのないデザインの自動車のようなものが走っている。
道行く人たちを見れば、ケモ耳を生やした人や自立する機械人形など地球では見たことない人たちが歩いている。
地球のことは幸いにも憶えている。歴史、科学技術、生活様式、流行……などなど、学校や日常生活で培ってきた知識はちゃんと持っていた。
それらを総動員した勘ともいうべき感覚が訴えてくる。
地球とは別の技術と価値観で発展している異世界。
そう認識するのには十分な光景だった。
残念ながら”ステータスオープン”で謎のウィンドウが出るようなゲーム仕様ではなかったーー文字通り世界が変わったことにしばらく混乱していたが、とある存在がグルグルとする頭の中を吹き飛ばしてくれた。
ーー飛空船。
地球で海を航海していそうな船が、”風”という波に乗って空を飛んでいた。
何十人も乗れそうな重厚な船体が雄々しさを物語り、内部の機械群が稼働してゴウンゴウンと重低音を響かせ、排出される廃蒸気がさらに存在感を知らしめる。
それに僕は心を奪われた。
あれに乗りたいーー心からそう思った。
前世の僕の”家”は家柄とか格式とかを気にする窮屈な場所だった。そんな僕は狭くて苦しい地面と比べて「空」はどこよりも広大で美しいと感じていた。
だけどここでは、家の束縛も病魔の苦しみない。僕は自由の身だ。
願うことしかできなかった”空を飛びたい”目標が掴めるかもしれないーーそれはどんなに嬉しいことか。
この世界へ連れてきてくれた運命に感謝だ。
「飛空船のお帰りだぞー!」
住民が大きな声で凱旋を伝えると、気づいた人は称賛や労いの声を上げていた。
飛空船からも甲板から顔を覗かせている船員らしき人が笑顔で手を振っていて、住民もそれに応えていた。
飛空船はこの世界にとってなくてはならないもので、住民もそれを理解している。飛空船に向ける眼差しは憧れや尊敬といったもので、僕にはそれがとても眩しく見えた。
「絶対に、飛行船に乗って世界を冒険するんだ」
前世? そんなものに未練なんてない。僕はこの世界で新しい人生を送るんだ。
のどかな雰囲気に、忙しなく動く蒸気機関と吹き出る蒸気、アナログさと近未来さが混じったスチームパンクなファンタジー世界で、空を飛ぶ目標と共に生きていくことにした僕だった。
スチームパンクの世界は好きですか?