第2話 “溶け込む幻”
リュークの目覚めからほんの少し前―
「そんなに魔法都市が珍しいかい、兄ちゃん」
「そりゃそうだろ!朝っぱらからいろんなところで魔法が使われているなんて初めてだぜ」
外を見ると、魔法で煙が出るほど火おこしをして客を呼び寄せるパン屋さんや、水魔法で花々に恵みを与えている花屋さんが見える。
「ははは、そうか。でもこれくらい盛り上がらなくちゃ、世界最大の魔法国家の名が傷つくだろうな」
数人乗りの移動用馬車が、活気溢れる首都の街中を風を切って駆け抜けていく。馬にも魔法はかけられるので、そうして限界以上の速度を出している。
馬車に朝から乗り込むなんて珍しいのだろう、御者のほかには会話を交わしていたショートの黒髪の青年しか乗っていなかった。少し重そうな肩掛けのカバンを隣に置き、それを枕代わりにしてのびのびと貸し切り気分になっている。
見るからに元気そうで、心は少年のままなのかもしれない。それに応えるかのように、空は青色に広がっている。
「ところで、この坂道を登って行けばいいんだな?サンクチュラスに向かうなら」
「うん、そっからだった」
「なんだい、兄ちゃんは今年入学かい?」
横にある鞄をちらりと見て、御者はだいたいの予想を尋ねる。毎年この季節になると、時々馬車を使う人間が増えるのである。
「まあ、そんな感じ!あーでも入学は入学でも、編入学とかっていうやつなんだけどさ」
馬を扱うための、魔力が充満した鞭を思わず振りそこなう。
「編入学で!?最近めっきり合格者が出ないあの試験に受かったのかい」
「そっ。まあ、天才じゃないから変な眼で見なくてもいいよ」
彼は人を惹きつけるような笑顔をする。やっぱり元気のいい少年と何ら変わりはない。そんなラルフ=ウォルトも、今日から丘の上通いを始める魔術士の一人なのである。 賢者の道に差し掛かった頃、急にラルフは御者に止めるように指示をした。
「わりぃ、ここで止めてくれる? 俺さ、せっかくだからここらへんを散歩してみたいんだ」
「ん、分かった。まだ早いし、さすがにデカいサンクチュラスでも一周できる時間だってあるだろう。道さえ迷わなければな」
「心配するなって! お金、ここに置いとくから」
彼は馬車の利用代を御者に直接渡さずに隣の席に静かに置くと、鞄を持って外に出ようとした。
「あ、ちょっと待て」
いきなり引き留められたのか、一瞬ラルフはびくっとなって彼を見た。そこまで驚かなくていいものだが、顔から少し汗が落ちた。 「ど、どうした?」
「いや、そのな」
御者が彼の方に指をさす。さらに体が震えた。
「お前の得意魔法を聞きたかったんだが」
「あ、そういうことか…」
ラルフはフーッと一気に体の力が抜けたようだった。そして、急に笑顔になるといたずらっぽい目でこう返した。
「もし今度会う時まで当てられたら、チップを多めに出してやるのっては駄目かな?」
「おっ、じゃあまた乗ってくれるのかい。よしきた、その時まで約束だ。忘れてくれるなよ」
「任せとけって! これでも俺、こういうのには慣れているからさ。じゃ!」 ラルフは勢いよく馬車から飛び出すと、外の空間を自由に駆け抜けるかのように体を飛びあがらせてあっという間に向こう側へ姿を消していった。
途中から編入できるほどの能力を持っている魔術士とはどんなものか、想像したことがないわけではないが、あそこまで活発で友好的な青年だったとは。
最近のサンクチュラスの体制が変わった事も関係しているのだろうか? 確か、1年前に新しく拝命された7大魔術師のうちの
「華麗なる火」は、他の先生方が30ないしはそれ以上だというのに未だ20代だと聞く。
やはり人は見かけによらないものなのだなと御者は感心しながら代金に手を伸ばそうとした。しかし、距離感がつかめないのかうまく取れない。
(変だな。まだ私は老いぼれでもないし、かといって病気持ちでもないし…、!)
まさか。ハッとしてよくよく目を凝らして見てみると、なんだかお札が揺らめいている。そして、その空間が歪んだかの感覚がしたかと思うと、砂が流れ落ちるように消えてしまった。 「か、彼の得意魔法は」 御者は勢いよく外に飛び出すと、目を回してしまいそうなくらい周りを見渡した。しかし、どこを見てもラルフの姿は無く、いつも通りの朝の風景が広がるだけである。
やはり人は見かけによらないなと強く痛感した。まあ、再び乗ってくれるらしいから、その時にどうにかしてふんだくれば元は取れるから大丈夫だが。
(サンクチュラスもとんでもない奴を採ったな。この国じゃあまりにも実用性のない、幻想魔法をマスターしている彼が合格したとは)
春の怪奇話として同僚に愚痴を言っても、オチがこんなものでは笑われるだけだ。やれやれと観念して、御者はいつもの廻り場へと馬車を進めていった。
サンクチュラスは一応研究機関の扱いを受けているので、しっかりと外壁で囲われている。外壁の色まではさすがに色とりどりにはできないらしく、人をぼんやりさせるようなグレーが塗られていた。しかし、敷地内の中に入れば、建物といい自然の木々や花といい、華やかな色が研究生たちを迎えてくれる。
ラルフは編入試験時にこの甘い罠にかかり道に迷って遅刻寸前になった思い出して、情けないため息をついた。
(この中に入るたび、何でサンクチュラスにお世話になっちまったかわからなくなっちゃうよな)
もちろん、目的がなければわざわざ半日かけて最大の魔法都市にまで行く必要はない。結局のところ、この風景が彼の意思を減退させてしまうようなものだった。要するに、平和すぎるのだ。
(戦いが好きって訳じゃねえけど、ぬるま湯も好みじゃない)
なんだかもう1つ何かやらかしてみたくなってきた。ラルフが頭をひねらせていると、目の前にある魔法駆動式の柱時計は7時きっかりを指しているのが目についた。
(散歩はこのくらいにして、さっさと基礎講義棟に入るとするか。もしかしたら同じ学年の奴がいるかもしれないし、意外と俺の魔法に引っ掛かってくれる魔術士がいるだろうな。しっかし、さっきのは大成功すぎてウケてたまらなかった!)
ラルフは回れ右をして赤い横長の建物に足を向けると、駆け足の命令に従うかのように小走りに速度を上げていった。やはり、彼でも多少の出会いは期待している。しかし、決定的に違うのは自分から色を混ぜていこうとする気持ちがあることだ。
基礎講義棟のある一室の窓から、若い水色の髪をした女性が彼の元気な躍動を見つめていた。興味があるのかどうかわからないような態度をとっている。
「ふーん。あれがあたしの追加担当、てとこなのかな」
ポニーテールの長い後ろ髪が、さらさらと揺れた。 彼女の部屋は魔法を極めるべく研究を重ねるような部屋というものではなく、そこがもう一つの寝床であるかのようになっていた。女性なのに散らかっているということは同じではある。
レナ=エリアーネはもう一ため溜息をつき、窓から目を背けて部屋の隅っこにあるロッカーから何やら暑苦しそうなローブやらマントやらを取りだすと、いそいそと時間を気にしながら着替えを始めた。
入学式にこれを着るのは彼女の
「義務」であり、それは女の人といえど甘えられるものではない。どうしてこの職業は伝統にうるさいのかしら。内心そう思いながらも、衣服を変える手は止まらなかった。
数回、静かなノックの音が聞こえた。それに反応するかのように、レナは短い言葉を発する。
「命の火は」
間が開いて、男性の冷静な声がした。
「己が内に」
彼女の表情に安堵が浮かぶ。こういうことをしないと、不審者は排除できないし、何よりも恥ずかしいプライバシーは防げない。
「あなたはレディの着替えを急がせるものなの? 『闇に生きる魔王』が」
まるでいたずらっぽく、高い声でレナはドアの向こうにいるであろう男性に声をかけた。しかし、反応はそこから出ない。
「お前も、心に闇をまとっているようだな。いや、けっして消せぬ炎か」
彼女の背後から声がする。
「そう。情熱ありて、『華麗なる炎』あり、って感じかしら」
ちょうど着替えをし終わったレナが振り返ると、そこには背の高く、闇の衣と間違えてしまいそうな漆黒のローブを身につける魔術士がいた。
キーワードさえ合わなければ上級魔法でも破れないドアは決して開かれず、そしてたやすく男の侵入を許したレナに恐怖は何もなかった。フードのかぶっているせいか表情は読み取れず、ただ分かるのは彼の髪の色は闇のように濃い黒であることだけである。
「アルラウス、あなたはどうして黒ずくめなのかしらね」
「俺は闇に生きているからだ」
「魔術士が一番恐れている闇に? あーもう、怖い怖い」
アルラウスと呼ばれた魔術士から発せられる言葉の数々は、周りを沈黙の世界へといざなう。事実、建物の中はおしゃべりをする新入生たちの声で埋め尽くされているにも関わらず2人にはお互いの相手の言葉しか聞こえていなかった。
彼女のそっけない態度にも何一つ動きを見せず、アルラウスは言葉を続けた。 「入学式後、時の部屋へ俺とついてこい」
レナの髪が、不意に揺れる。
「時の部屋、ね。何かヤバいことでもあったんでしょ。そんな言い方をするってことは」
「『彼ら』には俺の方から導く。お前は一切口を出すな」
彼女とある意味では同じような一方的な言動に、当の本人はやれやれと苦笑した。彼と話すと、毎回これだね。
彼の存在から眼を逃れるかのように、窓の外で青年を見ていた時から少し進んだ時計の針に顔を向ける。 「行きましょ。魔術士の鑑であろうあたしたちが遅刻なんてしたら恥ずかしい」
速い歩幅でドアまで歩き、手まねきするレナにアルラウスは初めて表情を崩した。
「『7大魔術士』たるものが何か、忘れていたかと思っていたぞ」
「休暇中に? この暑苦しいローブとか着てたら否応なしに思い出すわよ。全く、このお仕事も仕方なしにやると精神的に来るからねぇ」
馬鹿にしないでという風に彼に背を向けた彼女は、しかし顔をほころばせながら解き放たれた外の世界へその部屋をつなげた。