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そういえば自分以外にも『銀輪』さんがいました。
作者名変更しようかとも思いましたが、昔から使ってる名前なのでそのままにさせて頂けたらと思います。
(作者名を別の「銀輪」さんと混ざらないよう「銀輪。」に変更しました。)
「軽い女はキライなんだよ」
恋は盲目とはよく言ったものだと、あたしは思った。
簡単なことだったのに、気が付いていなかった。
彼の優しさは、いつも上っ面ばっかりだったのに。
事の起こりは、梅雨入りして間もないじめじめとした日曜日だった。
理由もよく思いだせない親子喧嘩の末、わたしは家出していた。
クラスメイトの男子の家に上がり込んで、彼の家族が家にいないのをいいことに寝泊まりしていた。その男子は山田という地味な名前の割に見た目がよく、比較的女子に人気の男だった。
何もいきなり押しかけた訳じゃない。元々クラスでも仲の良い方だったのだ。
家出したことを話したら、
「じゃあウチ来いよ」
と誘ってくれた。
それから数日、それまで以上に彼との距離が近くなった気がしていた。
友人たちにも、
「美佳も見た目良いからお似合いだよー」
などと言われ、その気になっていた。
山田も、薄っぺらだけど優しい言葉をかけてくれていた。
だから、バカなあたしは勘違いしたのだ。
その日の夕方、二人きりの家の中で、山田が詰め寄ってきた。
「なあ……」
あたしを壁に押し付け、太ももの間に膝を押し入れてきた。
その時のあたしは、まだ間抜けな事実に気が付いていなくて、むしろ少し喜んでいた。
「だーめ。順番があるでしょ?」
甘い声を出し、告白を迫った。
そういうことをするのは、やっぱり彼氏彼女の関係になってからがいいと思っていた。
「なんだよ順番って。いい加減やらせてくれよ」
興奮した様子で、あたしの太ももに手を這わせる。
「待ってよ。そういうのは付き合ってからでしょ?」
慌てて止めるあたし。
山田はあたしの言葉を聞いて、動きを止めた。
「はぁ? 彼氏にならないとさせないって?」
なんかおかしい。
やっとあたしは違和感に気付いた。
嫌な予感がして、聞いちゃだめだと思った。
でも、手遅れだった。
「なんだよそれ。やらせてくれると思ったから泊めてやったのに」
お前、尻が軽そうだったからな。
心底うんざりしたという顔で、あたしを見下ろした。
その目が、ひどく残念な物を見るような目に見えた。
「な、なによ……それ……」
たぶん、あたしの顔はひどく怯えたようになっていたと思う。
「軽い女はキライなんだよ。やれるなら別だけど」
だからやらせろよ。と山田は言った。
ショックだった。自分がそんな女だと思われていたことも、山田がそんな人間だったということも。
「は、放してよ…」
その時になって、やっと私は身を捻った。
彼から逃れるように、もがく。
「ぁあ? いいじゃんか! 泊めてやった礼くらいしろよ!」
抵抗するあたしに苛立ったのか、山田は急に乱暴になった。
肩を強く押さえつけて、片手であたしの胸をまさぐってくる。
さっきまでそういった未来を想像して嬉しがっていたのに、ひどい寒気が背中を走った。
「へっ、やっぱりいい体してんなぁ!」
鼻息荒く、強引に触られる。
「や、やだ! やめてよ!!」
恐怖と嫌悪感の中、無我夢中であたしはもがいた。
「いてっ!?」
暴れていたあたしの手が、いつの間にか山田の頬をはたいていた。
一瞬ひるんだ隙に、あたしは山田から逃げ出した。
そのまま部屋を飛び出し、玄関を体当たりするみたいに押し開けて、靴もはかずに飛び出した。
あたしが出てくるのを待っていたみたいに、雨が降り出した。
どこをどう走ったのか覚えていない。
靴下の裏は破けていて、少し足が切れていた。
血がにじんで痛みもしたけど、今は大して気にならない。
自分の頭の悪さを、心底恨んでいた。
山田があたしに近づいたのは、最初から体だけが目的だったのだ。
だからあたしを家に泊めたし、薄っぺらな優しさを見せていたのだ。
事実に気づいて思い返してみると、山田の言葉は何でもないものばかりだった。
当たり障りなく、あたしの言葉を適当に肯定していただけだった。
だからあたしには心地よく感じたのだ。
だから勝手に優しくしてくれてると思ったのだ。
あたしはバカだ。
歩き疲れて、小雨の降る中、駅前のベンチに座った。
屋根なんて付いてなくて、すでにびしょ濡れのベンチ。
そんなだから、にぎわっているこの駅前で、誰も座っていなかった。
こんなベンチに腰掛けているのはあたしだけ。
みんな、誰かと楽しそうに話しながら歩いている。
日曜日の夜。
小雨が降っていても、ぴったりと寄り添い一つの傘に納まっている。
ひどい眺めだな。
本当は、何にもひどくない。
自分が勝手にひがんでいるだけだ。
そんな自分勝手な感想を抱きながら、視線をさまよわせる。
ふと、視界の中で引っかかるものがあった。
にぎわいを見せる駅前の通りで、ただ一人、無愛想な顔をした男が歩いている。
誰かと共に歩くでもなく、ただ、人ごみをかき分けるように進んでいる。
梶屋だ。(← 読み:かじや)
それはクラスメイトだった。
いつも学校には遅刻してくるし、来ても机で寝てばっかりいる。
典型的な不良だ。
放課後には、先生に呼び出されるか、他の不良に呼び出されるかのどっちかだ。
たいてい平気な顔して教室に戻ってきて、荷物を取ってさっさと帰る。
特に話したことも無い、知っているというだけのクラスメイト。
だけどあたしは、なんとなく親近感を覚えた。
「あいつも、一人なんだ……」
あたしの声は周囲の喧騒にまぎれて消えた。
ベンチに座ったまま、どれくらい時間が経っただろう。
動く気にもなれなくて、雨に濡れながらひたすら座っていた。
こういうときは泣くべきなのかな?
と思いもしたけど、雨が代わりに頬を伝ってくれるので必要ないかと思った。
ただぼおっとそこにいる。
相変わらず、周りはにぎわっている。
ただ、聞こえてくる会話が変わっていた。
「これからどこ行く?」
「楽しみだねー」
と聞こえていたのが、
「おいしかったねー」
とか
「そろそろ帰ろっか」
になっている。
それだけ時間がたったのだ。
あたしはどこに、帰ろうか…
ふと、雨が止んでいた。
「え?」
顔を上げると、目の前に梶屋がいた。
相変わらずの無愛想な、不機嫌そうな顔のまま、傘をさしている。
雨は止んだのではなく、梶屋の持つ傘に遮られていただけだった。
「………………」
梶屋は無言であたしを見下ろし、立っていた。
もしかすると、しばらくそこにいたのかもしれない。
ぼおっとしていたあたしは、全く気付いていなかった。
お互い何も言わないまま視線が交差した後、コンビニの袋が差し出された。
ガサリ、という音とともに差し出された袋を、思わず受け取ってしまった。
「なに……?」
思わず口にした疑問にも答えず、梶屋はあたしを見下ろしている。
とりあえず、袋の中身を見てみた。
中には、パックに入ったままの新品のタオルと、缶コーヒーが入っていた。
缶コーヒーを手に取ると、暖かかった。
中身を確認したあたしを見て、梶屋は背を向けた。
傘を引っかけるようにしてあたしに押し付け、歩き出す。
ありがとうって、言ったほうがいいのかな。
そんなことを思いつつ、でも頭は回ってなくて、とりあえずコーヒーを飲もうと思った。
プルタブに指をかけ、引っ張ろうとするけど、うまくいかない。
「あれ?」
クワン、クワン、クワン
と、プルタブが振動する音だけが聞こえてくる。
やっきになって開けようとすると、缶が手から滑り落ちた。
水の張った地面に落ちて、思いのほか大きな音が出た。
「あ…」
拾おうと手を伸ばすけど、座ったままでは届かなかった。
転がる缶を追う私の視界に、足が入った。
あたしのとは別の手が伸びてきて、コーヒーを拾う。
「……………」
手にしていた適当な布で缶を拭き、あたしに差し出してきた。
梶屋だった。
あたしはなんにも言わずに手を伸ばす。
お礼も言えないのかあたしは…
そんなことも思ったけど、口が動かなかった。
コーヒーを受け取ろうとして、指先が梶屋に触れた。
「………っ!」
梶屋の表情が、何かに驚いたようになった。
梶屋は、あたしにコーヒーを握らせながら、手をつかんだ。
どうしたんだろう。
「………………」
しばし思案したように黙った後、あたしを引っ張り上げた。
手を引かれ、ベンチから立ち上がらされる。
立ち上がったあたしと目を合わせ、
「来い……」
とだけ言って、そのまま手を引き始める。
なんだか分からないが、もうどうにでもなれ、と思った。
もう少し続きます。
これから怒涛の展開に…………
なりません。