Chickin or the egg(2)
遅くなりました。
視界右端から突如ストロボのように断続的に輝く強力な光が走り抜ける。
するとその先のモノが見る見るうちに崩れ落ちてゆく。
腰から突如飛び出してゆく筒の様なモノが地面に刺さる度、夥しい量の骸が転がる。
まるで夢の様に、自分の体ではないかのように視界で繰り広げられている殺戮は“わたし”には実感が無い。それでもこの殺戮は私が演出したものだ。こうなるようにしたものだ。計算され尽くされた“人殺し”だ。
だけど、私は直接手を下す必要は無い。全部このカラクリ巨人がやってくれる。私はただテレビゲームの様に、ゲームセンターにあるアーケードゲームの様におもちゃの様な引き金を引き続けるだけで良いのだ。それだけで一瞬の内に数百の命が跡形もなく消える。それだけでこれだけの殺戮が起きる。まったく凄い世の中になったものだ。
戦争が近代化するにつれ、殺人方法が簡略化されるにつれ、人を殺すことに対する倫理的ハードルが下がったことにこの罪の無意識さは由来するだろう。
今ではボタン一つで、数百億という命を一瞬の内に欠片すら残さず消し去ることも十分可能になってしまったのだ。
先程からバイヴレーションの様に激しく唸っていた右手のバルカンが弾切れを訴えてきた。そこで私は新たに指示を飛ばし、腰部に付けたオプションの120mm機関銃を手に取らせる。プルバップ式を採用している為比較的他のモデルより本体長が短くなっているので取り回しが良く、大抵の特殊作戦群の機兵隊の二足歩行兵器の標準装備となっている。
毎分1600発のレートで人にとっては砲弾のようなサイズの弾丸が無辜の人々に突き刺ささらんとする。しかし、口径が大きすぎるためか刺さるより先に彼らの肉体が赤い水風船のようにはじけ飛んでしまう。かつては国際法を破り、人に対物ライフルを放たなければ見られなかった人間の水風船が大型二足歩行兵器が各国の主力となった今では当たり前のように見れてしまう。別に見たかったわけではないが、人に向けて120mmを撃つのは初めてだったのでつい珍しいと思ってしまったのだ。
撃ち続けていると当然のように弾切れを起こしたので、二足歩行兵器専用のマジックテープで括り付けられたデュアルマガジンをずらして再装填を行う。
嗚呼、私はいつまで人とは呼べぬ肉塊の山を作り続けていればいいのだろう。
此処にいれば、思わず噎せそうな硝煙や蛋白が灼ける臭いも、直視するだけで吐き気を催す程炭化した肉を直接見ることはない。
しかし、実感が薄れていく程、大切な何かを亡くしていっている気がする。
ここは牢獄などではない、ここは天国だ。一日のノルマを達成すればこの目の前の地獄から一時的に逃れられる。奪ったモノを考えなくて良くなる。ちゃんと食事が与えられる。休息が与えられる。クスリを与えられる。ここ程素晴らしい場所が一体どこにあるというのだろう。
だから私は離れない。否、離れることができない。
だから私は玩具のような引き金をVRで引き続ける。
―――――――
「…………………………………………これは、」
男の目の前に広がっていたのはある種のアートの様であった。
所々欠損した骸がまるで蜘蛛の巣の様に複雑に絡まっている。そしてそのすぐ近くで地面に突き刺さるように上半身が消し飛んだ身体がひっくり返っている。
また別の方では破片をいっぱいに浴びたのだろう、ハリセンボンのように全身破片だらけの少年の遺体や爆風に巻き込まれ、マネキンのように首が180°後ろ向きに回転してうつ伏せなのか仰向けなのかわからない少女が臥していた。
――まるで、死者の国。
一歩踏み出すとネチョッと嫌な音がした。思わず足をどけるとそこにはツヤツヤしたピンク色の柔らかい筒のようなものが転がっていた。これが何処から出ているのか目で辿ってみるとそれはでっぷり肥えた婦人の腹部から出ていた。そこで初めて男はこの筒が腸であることに気づいた。
男は無言で絶えた婦人に詫びつつ黙祷を捧げ、死体の山をただひたすら進んでいく。どす黒い血で滑りやすくなっている地面はまるで地獄のようであり、男の気分をますます悪くさせた。
――パパン、パンパン…。
何処かから乾いた銃声が聞こえ、慌てて地面に身を伏せる。着ている白衣に酸化した真っ黒な血がべっとりとついたがそんなことはお構いなしだった。それよりもここで目的を果たせず死ぬほうが男からしては嫌なことであったからだ。
死体に紛れじっと伏せていると、明らかに正規の軍隊のような重武装の兵士達が小型のSMGを構え軍人特有の歩き方をしながらゆっくり巡回しているのが見えた。
兵士達は、弾の節約の為か確認の為に死体にわざわざ撃ち込むことはせず、呻いていたり、命乞いをしている者のみ発砲しているようだ。ならば死んだふりをするのが彼らを回避するには一番もってこいだろう。すぐ近くの血溜まりを軍用ブーツが静かに踏んでいく。着ている白衣に血が染み込んでいたこともあってか、気付かれることもなく兵士達はゆっくりと立ち去っていった。
彼らが見えなくなるまで遠くに行ったの確認してからほっと息をつくと、すぐ近くから何者かが小さく呻いているのに気づいた。どうやら兵士達が通り過ぎるまで堪えていたらしい。大した忍耐力だ。
「あんた……奴らとは違うのか?」
呻いていた中年の男の質問に男は「ああ」と応えた。中年は「そうか」といい安心したように深く呼吸をした。すると突然中年の男が呻いて脇腹を抑えた。見ると抑えられた箇所からはおびただしい量の血が溢れている。
「は…はは、大きく息したせいで破片が刺さった傷口が開いちまったかもしれねぇ……」
そう言うと彼は力無く笑った。なんでこうなっちまったんだろうな、と彼は更に言う。男は取り敢えずこの中年に応急処置を施すことにした。
「あんた……名は…?」
「カズキだ」
名が聞けて満足したのか、彼はまた「そうか」と言うと穏やかな顔になった。しかし依然としてその顔色は真っ青だった。
「…俺達はいつも通り何でもない日を過ごす筈だった。いつものように働いて、いつものように飯食って、いつものように家族の待つ家に帰って、いつものようにベットで寝る…。そうやって過ごす筈だった。それが当たり前だったからさ……まさかさ、こうなるとは思わなかったんだ…」
中年はいつの間にか涙を流していた。彼の顔はどんどん悲しみと彼らに襲いかかった理不尽への怒りに歪んでゆく。
「…なぁカズキさんよ。日常っつーのは…こんなにもあっさり壊れてしまうもんなんだな……。俺達は……何一つ恨まれるようなことをしてねぇのによ……。何にも…何にも悪い事なんかしてねぇのによ……」
彼の顔からはどんどん血の気が引いていく。気がつくと彼の座っている周囲には水溜まり程の血の池が出来ていた。
「おい、もう喋るな。死ぬぞ」
彼の肩を掴み、もう止めるよう言ったが彼はゆっくり首を横に振った。死にゆく者の愚痴だ、せめて言うだけ言わせてくれと彼は言った。
「……生きるってぇのは、こんなにも難しいもんだったんだなぁ……。エミリー…、ジャック…待っててくれ。俺も今すぐ追いつくから……」
彼の瞳から光が徐々に失われていく。完全に息絶えたのを確認してからカズキは何の罪も無い彼に黙祷を捧げた。
乾いた銃声は未だに鳴り続けている。まだ終わってない。カズキは立ち上がり一枚の外套を羽織った。
「誰でもない男」
外套の名を呼んだ途端、彼の姿は一瞬にして見えなくなる。これはかつて使っていた『二つ名』で、使用すると正体を暴かれない限り周囲から視認不可能になるといったモノで何世紀も生きていたたとされるサンジェルマン伯爵という怪人物からその名を頂いている。
物陰からそっと路地に向かって走る。姿こそ見えないものの、動いていれば必ず立ててしまう音までは防ぎようがないので見えないからといって派手に動き回れるわけではない。結局、多少派手に動けるようになっただけで先程と同様、芋虫のように鈍重な行軍を続けなければならない。
カズキは出来るだけ足音をたてずに移動することを心がけた。顔を上げ、其処に挙立する巨像を見上げる。あと少し。それで彼女の元に……。
・
・・
・・・
足元に近づくにつれ、警備が厳重になってくる。これは仕方の無いことだ。しかしだからといって下がる理由にもなりやしない。ゴミ箱の裏に隠れながらカズキはどう潜入しようか考えることにした。
唐突にリズミカルな音が彼の思考を遮る。彼の脳は瞬時に戦闘に備えて動き出した。音をたてずにナイフを抜き、ゴミ箱の裏を覗こうとする兵士の顔を掴み兵士が抵抗する前に首元にナイフを突き立て、一気に横に引く。暖かい血がカズキの顔にかかるが、彼はお構いなしにそのまま兵士をゴミ箱の裏に引きずり込む。
無論、バレないようにする為だ。
ここで、カズキは一つの疑問を得た。果たしてこの兵士を殺す必要が本当にあったのか、と。すぐに進路の邪魔であり、発見されそうだから止むなく殺した、という解を得た。しかし同時に殺したかったから殺しただけではないか、という疑問が生まれた。
彼女を救う為に殺したのか、単に己の意志で殺したのか。彼は答えを得られなかった。
そこで何故か『卵が先か、鶏が先か』のパラドックスを思い出した。そして何故かそのパラドックスが今の自分に酷く当てはまっている気がしてならなかった。
今の彼には果たしてこの殺意が他によるものか、己から沸き立ったものかがわからなかった。これを彼は最後の最後まで引き摺ることになることを、この時の彼は知る由もなかった。
彼はゆらりと立ち上がり、右手を開き虚空からソレを掴む。
今はそんなこと関係ない。そして、その答えはこれから掴むのだ。自分は罰せられるだろう。裁きが下るだろう。だが、だからといって信じた道を進むことを止める理由にはならない。裁きを受けるなら大切な彼女を救ったあとだ。その時は快く罰せられることを受け入れよう。
カズキは虚空からソレを一気に引き抜く。これもまた彼がかつて愛用していたモノの一つである。それは剣のようでどこか生物じみた不気味な容姿をしていた。そして、彼が剣を抜くと同時に腰から羽状の甲殻のようなものが飛び出す。それもまた生物じみた見た目をしており、時折微かに動いている。
彼は先程の問に一時的な解を得た。少なくとも自分はこの殺意の正体を知る為にここにいる。人を殺める。世界が望むなら虐殺だってやってのける。この殺意の正体を知る事が、彼女への道に繋がるなら。数千、数万の人々を殺してきた人間が何を今更悩もうというのか。
彼が剣を振るう度、いのちが消える。ある者は胴を断たれ、またある者は肩口から脇腹にかけて袈裟斬りにされた。返り血を気にすることも無く冷酷に剣を振るうその姿は鬼神そのものであった。
―――そしてまた一つ、何処かで激突があった。
「…まさか、戦争を陽動に使って入ってくるとはな」
幽霊は目の前の男を見る。
彼の黒い前髪は片目を隠し、そして更に身に纏ったコートの襟が彼の口元を隠している。腰には随分昔によく使われた短期間銃と反対側に大きなナタを携えていた。
「どうした?俺がいない間に随分とやり方が変わったな。“正義の味方”はそんな姑息な手も使うのか?」
男の肩がぴくりと揺れる。すると忽ち周囲に殺意が満ち始めた。
「“正義の味方”…?」
男は鼻で嗤った。あたかも“正義の味方”という単語を憎悪するかのように。
「まさか、ここに居るのは…」
すらり、と男は腰のナタを抜き、幽霊に向けて構えた。
「ただの復讐者です」