Dead man's ROND(1)
幻霊第一個小隊の面子は、かつて世を騒がせた殺人鬼『CrownRipper』を追う為、急遽彼が隠れ蓑にしていると思われるサーカスへ向かう。
だが、そこは一見何の変哲も無い普通のサーカスで……。
寝床の上で私は覚醒する。
ぼんやりとした視界で天幕を開けると、外は生憎の雨だった。
細かい雨粒がまるで霧吹きのように空から絶え間なく降り続けている。霧雨だ、と思った。
でも、憂鬱な気分にはならない。
何故なら私の在り方を変えたあの日も今日のような霧雨の日だったからだ。
・・・
私は、至上の踊り子。
観衆に視姦されながら曲芸を舞う、下衆共の劣情の吐き口。
そして、そうある事を良しとしている私。
男達を嬲りながら、それでも純潔を守り続けた私。
そして搾り尽くした後、彼らを殺していた私。
いつかはバレると思っていた。でも、そんな日が来ても自分なら何とかなる、とそう思っていた。
現実は甘くなかった。
霧雨の降る夜、幾重にもなる男達に囲まれ、暴虐の限りを受けた。
裸に剥かれ、男達が前戯と称して、初めに純潔に手を出さずに只ひたすらに私を開発しにかかった。
私の全身を這うように走る男達の舌のざらついた感触が無意識の内に私の身体を跳ねさせる。
それを私が達した、と思ったのか男達は更に強く、それでいて情熱的に舌を走らせていた。
体を蹂躙されている間、私の頭の中を占めていたのは痺れるような快楽でも無く、身体を弄ばれた屈辱でも無く、自分に対する嫌悪感だった。
自分が強かったら、こんな恥を受ける必要は無かった。
自分が強かったら、こんな風に弄ばれる事も無かった。
自分が強かったら、これから純潔を喪う事も無かった。
だから私は現状を受け入れる事にした。
もうどうにでもなれ、と。
が、その時思わぬ横槍が偶然にも私を救ったのである。
目の前でほくそ笑んでいた筈の男の首が巨大な鋏に挟まれている。
男の首は鋏の上を静かに横滑りし、やがて潰れたような音を立てて床に落ちた。
男の首を斬った襲撃者はかなりの長身だった。丁度逆光で顔はよく見えない。
首を埋めるように羽織ったトレンチコートを翻し、襲撃者は舞った。
ベッドに仰向けで固定されていた為、よく見えなかったが、襲撃者は手にしたあの大きな鋏を用いて男達と交戦しているようだった。
『――――ッ!!!』
よくわからない言葉を喋りながら、男の一人はアサルトライフルを取り出した。今の御時世では珍しい、一切の電子安全装置が常備されていない所謂、骨董品の類であった。
雷のような音を掻き鳴らしながら銃口から人を殺せる光がストロボのように部屋を照らす。
が、それらは襲撃者に向けて放たれたのでは無く、誰もいない見当違いな方向に放たれたものであった。
襲撃者の左手で煙をたてながら、鈍い光を発しているのはこれまた俗に言う回転式拳銃と呼ばれるもので、こちらはどうやら電子安全装置が着けられた近代改修モデルのようだった。
銃のポインタが消え、襲撃者は銃をくるくる回しながらホルスターに収める。
そして右手に持っている鋏を勢いよく後ろに突き出した。
粘ついた音が部屋に響いた。
襲撃者の背後に迫っていた最後の男はその腹に深々と大剣と見間違う程の鋏をねじ込まれ、異常な量の出血をしていた。
ぬるり、という音が聞こえそうなほど滑らかにそれでいて静かに襲撃者は男の腹から鋏を抜く。
最後の男は糸が切れた人形のようにゆっくりと崩れ落ちていった。
――生者は最早、私と襲撃者以外いない。
ゆっくりとしかし、着実に襲撃者は私の本に歩いてきていた。
殺して、と私は口にしようとした。が、からからに渇いた喉が発声を許してくれず、唇だけが殺してのカタチに動いただけに留まった。
襲撃者の顔が見える。
美しいブロンドの髪を乱雑に切り揃え、隈が出来た瞳は饐えていて曇った輝きをしていた。
犬歯を剥き出しにした笑みを浮かべているかと思われた口は、どうやら仮面のようでその下の口が仮面と同じく笑っているかはわからなかった。
彼の肩の筋肉が何かに出そうと動く。
――武器を、出そうとしてるの…?
そう思った途端に数刻前まで死を受け入れていた筈の体が形容し難い恐怖で震え始める。
死というこの世で最も恐ろしいものを深くイメージすればする程、私の“仮面”は剥がれていった。
だからそれが突きつけられた際、私は身構えてしまっていてなにが突き出されていていたか気づけなかった。
彼は参ったな、と言わんばかりに頭を掻く。そしてよく見ろ、と言わんばかりに突き出したものを指差す。
私はよくよく彼が突き出してきたものをよく見る。
それは武器でも凶器でも何でもなく、たった一枚の『怪我はない?』と書かれた画用紙であった。
私は虚を突かれ暫し唖然としている内に彼はまた何か新しい画用紙にさらさらと書き始める。
画用紙曰く、
『わたしは生まれつき声が出ないんだ』
とのこと。
またさらさらと何か書き。
『何かと不便だと思うが、我慢してくれ』
画用紙を私が読み終わり、彼と目が合うと彼は力強く首を縦に振った。
・
・・
・・・
どうやら彼は最近世間を騒がせている殺人鬼であるらしい。
目の前の本人が言っているのだし、何より先程の戦闘…というより一方的な殺戮を見ていると彼が殺人鬼であるのも頷ける。
なんの為に殺すのだ、と訪ねた所彼は何の躊躇いも無く、紙にさらさらと書き綴った。
『己にとっての悪を断つ為だ』
では貴方は何をもって悪と断ずるのか、と私は重ねて訪ねた。
彼はこう記した。
『その時、その一瞬、その刹那の“世界”が悪と定めたモノだ』と。
元より、この世に善悪などの明確な基準は存在しない。
例えば、通り魔に襲われそうになった際、反撃したとしよう。結果として殺してしまった場合、果たしてそれを完全な悪である、と断じることが出来るだろうか。
また例えば、危険な宗教団体がテロを起こす前に処分したとしよう。結果としてテロを未然に防ぎ多くの人を守れたとしても、果たしてそれを完全な善と呼べるだろうか。
彼の言う通り、善悪の基準とはその時代、その西暦、その国、その王朝、その政党、その民衆、その個人、その思想によって幾らでも変化する。
言わば、彼は『Coordinater』であり、正義の味方でもある。
その時代のその瞬間の人々の信条を護り、悪を誅す存在なのだ。
『ちょっとはわかってもらえたかな』
彼は少し自嘲気味に微笑みながら、画用紙を見せてきた。
『正義の代行者とは言え、わたしは人殺しには変わりない。わかってもらえないのも仕方がないんだがね』
そんなことない、と私は横に首を振る。
例え結果として殺人、という行為に堕ちてしまったとしても根底にある“それ”はとても美しい物だと思う。
――だってそれは誰しもが一度は考える事なのだから。
『で、君はこれからどうするの』
まだ何も、と答えると彼は一枚の広告を見せてきた。
『わたしが身を隠している雑技団だ。丁度今看板娘が欠けててね』
そこまで書くと彼の手が少しの間止まった。何やら悩んだ末少し雑な字で彼は画用紙に書き殴った。
『行く宛が無いなら、看板娘という枠で面倒見れるけど…どうする?』
私は軽く吹き出しかけた。
何か厳しい条件でも付けられるかと思ったがそれも杞憂のようだった。
結局彼は何処までもお人好しなのだ。
きっと、これからもずっと。
―――例え、それが仮面の表面上だけのモノだとしても。
―――――――
ゆったりと大仰に揺れる大型ブランコに跨っていた女性が、反対側の男性の乗るブランコに移った瞬間、案山子は地震が起きたと錯覚した。
ワッ、と湧く観客席に驚き、思わず肩を竦ませる。
そしてそんな事になっているのは自分だけだと気づき思わず赤面した。
「あら、案山子君。もしかしてこれぐらいの規模の雑技は初めてかしら?」
隣でクスクス、と上品に笑いながらニコニコしているのは勿論、槍を持たせたら誰にも負けない絡繰師である。
「サーカス自体初めてですよ。…にしてもこんなに盛り上がるもんなんですね」
心底感心した、と彼は再び雑技を見やる。
彼らの演目を演じる為だけに鍛え上げられた肉体や精神はその道の者でない限り、そう容易く得られるものでは無いだろう。
「ふふ、そうね。本来こういうのは殆どが滑稽さと奇抜さを求めているのだけど、ここはどうやら違うみたいね。…何というか、常に美を意識してる」
壇上では、精錬された肉体によって繰り広げられる大技や、上部の者がしっかりしているのであろう統率力に基づいて繰り返されるコンビネーションはどれも整然としていて純粋に美しいと感じた。
「見惚れてるところ悪いけど、今回は遊びにきた訳じゃないのよ。わかってる?」
「ええ、わかってますよ。準備に入りましょう」
ぱちぱちぱち、と万雷の拍手が鳴り響く会場を二人は後にすることにした。
―幻霊第一個小隊偽装装甲車内部―
パチリ、パチリ、パチリ……。
真っ暗な部屋に金属とプラスチックが当たる音が聞こえる。
部屋に居る人物は一通りそれらを詰め終わった後、傍らに置いていた筒――何故か引き金が着いていないライフルを取り出し下部に先程の詰めていたケースをはめる。
きちんと弾が籠もったことを確認した部屋の主はジャキン、とライフル右側に取り付けられたコッキングレバーを引き、弾倉から次弾を装填する。
弾籠めが終わったライフルを反対側に置き、また新しい空弾倉を取り出し再び弾を籠め始める。
部屋の主――南瓜紳士はただひたすらそれを繰り返していた。
あっという間に20個近いライフルが弾丸の装填を終え、いつでも発砲可能になった。
彼女はため息をつき、テーブルに置いていたコーヒーを手に取る。
すっかり冷えて不味くなったそれは疲労で微睡んでいた彼女の精神を再び覚醒させるのに十分だった。
…しかし、不味くなっているのは冷めただけではなく、そのコーヒーはとてつもなく甘ったるかった。
そのコーヒーを口に含んだ瞬間彼女は数センチ程床から跳ねた。
「げホッ、ゲほっ!誰だっ!このコーヒー淹れたやつ!!ゲホゲホッ」
「――私だけど…」
突如としてスッ、と現れる生贄人形。驚いた南瓜紳士は後ろにある棚に頭をぶつけてしまった。
「いてッ!?………チミねェ、そろそろそうやって突然出てくるの辞めた方がいいってウチ思うネ」
「…そうは言っても、近づいても誰も気づいてくれないんだもの」
「ならせめて遠くで返事しロッ!!」
いつも通り取っ組み合いになる二人。
女同士のデスマッチに水をさしたのは、無線のCALL音だった。
既にズタボロになった南瓜は何とか無線の所に張り付き、何とか応答する。
「ど、どうかしたかイ…?」
『ん?ああ、偵察が終わったから帰ってきたんだけどドア開けてくれないから入れないなー、って』
南瓜は慌てて掛け時計を見る。
針が指していたのは帰還予定時刻を十分も過ぎている辺りだった。
「だァーーーーッ!!!!すまねェ!すぐ開ける…!」
バシュッ、と中の空気が抜ける音がし、少しの照明しか無く暗かった部屋に日差しが差し込んできた。
「あー、疲れた。コーヒーあるかしら〜♪…って何よこれ」
絡繰師が訝しげにコーヒーサーバーの近くに置かれていた瓶を見る。
その瓶のラベルにはこう書いてあった。
『honey』
「こ、コーヒーに蜂蜜入れるやつがあるカー!!」
南瓜の断末魔が装甲車内に響く。
――因みに、南瓜はブラックコーヒーしか飲めない程、甘いのが嫌いな少女である。
ところで蜂蜜入りコーヒーは風邪や喉の不調に効用があるそうだが、正直疑い深いところである。
・
・・
・・・
それは装甲車の後部に格納されていた。
南瓜がコーヒーの飲むまで準備していた新型兵器であり、今回の作戦がこの兵器の初陣である。
テスト用の試作機である為、装甲は極力剥がしてあるが、その武装の多さには威圧感すら覚える。
その名は、殲滅外装。
敵勢力との一対多数を想定した装着型兵器である。
Next episode is “Dead man's ROND(2)”
See you next time...